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身体からのアラート

※Manuel AlvarezによるPixabayからの画像

ASDが体験する日常の変化

「あ、今日は体調が悪いのかな・・?」と感じることの1つに "コントラスト・明度" の感じ方があります。「なんだかいつもより眩しく感じる」「視界が白っぽく感じる」など。

こういう時は自動車メッキ部品の反射光が辛い。ピカピカに磨き上げてある車は窓ガラスなんかも十分に眩しく感じますが、メッキ部品はその比ではありません。光が目に刺さる。

まぁそうなることはわかっているので、オーバーグラスという、眼鏡の上から掛けるタイプのサングラスを持ち歩いて対処します。元々掛けている眼鏡のレンズも眩しさを軽減させるものではあるのですが、そこまで遮光のレベルは高くありません。あまり色の濃いレンズだと夜が見え辛くて危ないですからね。

それでですね。その視界がいつもと違った感じのままで頑張ってしまうと、今度は視界に現実感が薄くなってくる。

白昼夢?なんと表現していいのかわかりませんが、脳の疲労感と共に視界の現実感が薄くなってゆく。
こうなってくると外界の刺激を遮断したくなります。特に人とのコミュニケーションにはエネルギーを消費するので辛い。返事をするのさえ億劫になります。

「そんなの誰にでもあること」

と言われてしまえばそれまでなのですが、それによって通院が必要であったり、投薬による療法が必要になったりなどの対処が必要になってくる。その辺りが「誰にでもあること」との違いではないでしょうか。それがある種の線引きになっていると思います。なかなか感覚の話ではあるので難しいところではあります。

「誰にでもある」という思い込みは危ない。

「誰にでもある」「皆やれていることだから」
この思い込みというか暗示とでも言いましょうか。これで身体からのメッセージに蓋をしてしまうと、身体は更に違った警告を発し続けます。

私事になりますが、「もう仕事ができない」という段階では身体に力が入りづらい状態になっていました。身体が重い。少し動いただけでも疲労感が強く出て、しゃがみ込んで立ち上がれない。息苦しさ。呼吸がしづらい。
当時はまだ「心療内科」という言葉も珍しく、「精神病院」という言葉が一般的な時代でしたね。「ストレスが原因では?」と、世間も少しだけストレスに対して言及しはじめのころだったと記憶しています。

(だから最初に行ったのは内科でしたね。次に回されたのが耳鼻咽喉科。
咽に謎の異物感(ヒステリー球)を感じていたので耳鼻咽喉科に回され・・脳神経・・24時間心電図・・とまぁ総合病院を一周させられましたよ。)

そうなる前から予兆というか身体の異変はありました。(原因不明で夜中に吐いたりなど)その時点で医師や就労センターなどに相談していればよかったのだろうと、今になればそう思いますが、当時は自分が当事者であるなんて夢にも思っていません。
「単なる疲労?」それが溜まっているのだろう。くらいの意識でしかありませんでしたから。

何事にも絶対ということはありませんから、ここに書いたことは私個人の少ない経験談でしかありません。何事も絶対はなく、人は千差万別。
それでも身体からのメッセージは再優先で意識を向ける声だと実感しています。

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