理解や発見は、当人にとっては常に新しい
理解や発見は、当人にとっては常に新しいものです。
ゆえに、教養化・教条化・知識化したものでない、生きた伝統との出会いは常に新しい。
仮に、一般的には言い古された言葉であっても、その真意を発見し理解したなら、その古い言葉から得たのは新しいものです。
その人はその古い言葉で刷新され、時にまるで産まれ変わったかのように変化させられます。
生きた伝統は、その伝統自体が時間の影響を受けない特別な存在です。
なぜなら、現代人の精神を刷新する力を持ち、かつそれが過去とつながっているからです。生きた伝統は、どの時代でもそのような力を持ち続けているから「生きた伝統」なのです。
旧約聖書に「日の下に新しきものなし」という言葉ありますが、本当にそのとおりだと思います。
自分で「ああ、新発見だ!」と小躍りするようなことは、だいたい後に、既にもっと完成度が高い状態で世の中に存在していることを知ります。
しかし、その発見や理解そのものは、本人の精神を刷新するほど新しい体験なのです。
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