フィレンツェ歩き ここだけの話

フィレンツェ、シエナ県公認ガイド。日本の大学で学んだイタリア美術好きが高じて、イタリアへ。気づいたらイタリア居残り部16年目。 自分の目から見たフィレンツェ、美術の解釈、美味しいものを発信します。

フィレンツェ歩き ここだけの話

フィレンツェ、シエナ県公認ガイド。日本の大学で学んだイタリア美術好きが高じて、イタリアへ。気づいたらイタリア居残り部16年目。 自分の目から見たフィレンツェ、美術の解釈、美味しいものを発信します。

最近の記事

パルミジャニーノ 「長い首の聖母」

マニエリスム様式の代表作です。 マニエリスムとは後期ルネッサンスの事です。 盛期ルネッサンスが左右対称、落ち着いた色調と雰囲気、プロポーションのとれた人体などバランスの取れた作風に対し、後期は異様に長く引き伸ばされた体、不安を誘うような暗い色や異様に派手な色、艶めかしさ、ひしめき合うように描かれた人物などが特徴です。 「長い首の聖母」は上述した特徴が見て取れます。 タイトルにもあるように聖母の首は長く、左右非対称に人物が配置されています。 作者のパルミジャニーノは本名を

    • ラファエッロ 『ヒワの聖母』

      ローマで長く活躍したラファエッロも、フィレンツェで過ごした時期がありました。その時、フィレンツェの商人ロレンツォ・ナーズィが結婚祝いとして依頼したのが『ヒワの聖母』です。 聖母子ともう一人の男の子は洗礼者ヨハネです。実はヨハネはイエスの従兄弟にあたります。ヨハネを守護聖人とするフィレンツェではイエスとの繋がりを強調するためか、幼馴染として幼少期の2人を描く事がしばしばありました。 この作品は結婚祝いであると同時に、イエスキリストの受難も示唆する作品です。 ヨハネがイエス

      • ミケランジェロ 「ドーニ家の聖家族」 

        彫刻家ミケランジェロの数少ない絵画作品の一つ。フィレンツェにある彼の唯一の絵です。 生まれて間もないキリストとご両親、背景に裸体の人物がいる不思議な絵です。 この作品は盛期ルネッサンスから後期(マニエリスム)への変遷が見られる貴重なものです。初期や盛期ルネッサンスの静謐な雰囲気、一場面を切り取った様な描写、落ち着いた色使いを塗り替えています。 聖母は腰を大胆にひねり、後ろにいる夫ヨセフにイエスを渡そうとしています。彼女の両腕がイエスに視線を導き、イエスの腕がヨセフへ。ヨ

        • レオナルド・ダ・ビンチ 「受胎告知」 1472年頃 ウフィツィ美術館

          マリア様が家で本を読んでいた時大天使ガブリエルがやって来て、彼女が神の子を授かる事を告げる行。丁度降り立った天使に驚いている様子を表しています。 夕暮れ前の静かな光に照らされた2人。 現在この絵はレオナルドの作とされていますが、少し前までは別のミケランジェロの師ギルランダイオに帰属されていました。 レオナルド・ダ・ビンチと言えば、先日ご紹介した「イエスの洗礼」にも見られるように、正確な人体表現で知られます。しかしこの作品に描かれた聖母も天使も少しいびつです。 例えばガ

          レオナルド・ダ・ビンチ 「三王マギの礼拝」

          キリスト生誕後に駆けつけた、3人の王が挨拶しているシーン。 マギ(東方の三博士)は遠方から従者を率いてイエスの下へ駆けつけたため、伝統的には ・くねるようなマギ達の従者の行列 ・画面の右か左端にいるイエスと聖母に、マギ達が挨拶をしている という図像でした。厳かな雰囲気で恭しく3人が救世主と向き合う場面です。 ですがこの作品は全く新しいスタイルです。 まず構図。画面前方の聖母子を中心に、三角形を成すようにマギたちが取り巻いています。行列は描かれず、左右に配置された人

          レオナルド・ダ・ビンチ 「三王マギの礼拝」

          ヴェロッキオ、レオナルド・ダ・ヴィンチ 「イエスの洗礼」 1475−78年 ウフィツィ美術館

          レオナルドと先生ヴェロッキオの手が入った絵。 レオナルドの才能を示すエピソードでご存知の方も多いと思います。 工房で頭角を表していたレオナルドに左下に天使を描かせたところ、あまりの上手さに師は衝撃を受け、二度と筆を取らなかったという。 しかし近年の研究では、作り話と考えられています。 現在の研究では、最初ヴェロッキオがフィレンツェ郊外の修道院のために仕上げた後、レオナルドが手を加えたとされています。 作品の納品後、何らかの理由で工房に作品は戻ります。レオナルドは左下を

          ヴェロッキオ、レオナルド・ダ・ヴィンチ 「イエスの洗礼」 1475−78年 ウフィツィ美術館

          ボッティチェッリ 「マギの礼拝」 1485年頃 ウフィツィ美術館蔵

          引き続きボッティチェッリの有名作品を。 メディチ家と強いつながりを持ち彼らのために多くの作品を手がけたボッティチェッリ。これは彼らへの賛美歌を絵画化したと言える作品です。 まず、描かれている内容から。 マギは東方の三博士と呼ばれる男性達で、占星術師だったと言われます。聖書によると、イエスが生まれた時、夜空に星が強く輝くのを見た彼らは、救世主の誕生を知ります。そこで各々が贈り物を持って挨拶に行くことにするのです。作品は従者と共に長旅を経てイエスの下に辿り着き、挨拶をしてい

          ボッティチェッリ 「マギの礼拝」 1485年頃 ウフィツィ美術館蔵

          ボッティチェッリ 「ヴィーナスの誕生」 

          もう一つボッティチェッリの有名作品を。 神話によると、ヴィーナスは海の泡から生まれたと言われます。きっかけは両親の夫婦喧嘩でした。 彼女の両親である天空の神ウラヌスと大地母神ガイア。2人がティターンという神々を生んだ後、更に一つ目の巨人キュクロープス、百手の巨人ヘカトンケイルが生まれます。 2人を気に入らなかったウラヌスは、地底に閉じ込めてしまいます。 怒り狂ったガイアは息子クロノスに夫の急所を釜で斬らせ、キプロス島の側の海に捨ててしまいます。そこから泡がたち、生まれ

          ボッティチェッリ 「ヴィーナスの誕生」 

          ボッティチェッリの「春」に込められた意味

          いつもイタリア通の方向けの内容を取り上げているので、今日はフィレンツェの有名作品を取り上げます。 フィレンツェ、イタリアと言えば頭に浮かぶ絵画。 ボッティチェッリの「春」です。 私が日本の大学で学んだ時は女神ヴィーナスの話が描かれていると習いましたが、最近は神の飛脚メルクリウスと人間の女性の恋物語を描いたものとされています。 お年頃を迎えたメルクリウスはお嫁さんが欲しくなり、色々な神様にいい女性がいないかお伺いを立てます。多くの女神に会ったものの納得がいかなかったので

          ボッティチェッリの「春」に込められた意味

          フィレンツェのサステナブルな試み

          フィエルーコラという市場に行ってきました。 フィエルーコラは大量生産品でなく、かつての様に自然の素材を用いて丁寧に時間をかけて作り上げた品々を並べる市場です。今注目されている、サステナブルの先駆けです。 40年程前、あるフィレンツェの有識な方が職人や農家の方が生み出した、健康や心に良い物を提供する機会を、と思いつきます。 最初は農家の方が焼いたパンの市でした。年に一度、9月7日にフィレンツェの外からやってきた職人、羊飼い、農家の方達が、サンティッシマ・アンヌンツィアータ

          フィレンツェのサステナブルな試み

          本物を見ることで培う感性

          アカデミア美術館の夜間開館に行ってきました。 アカデミア美術館は毎年夏から秋にかけて週に一度夜間開館を行います(19時から22時。最終入場は閉館の40分前)。人気美術館なので夜でも人はいますが、昼に比べると静かで作品とゆっくり向き合うことができます。 なので復習のため、何よりもただ作品たちに囲まれて何も考えずに楽しむために、夜に行くことが多いです。先日は今年最後の夜間開館日でした。 パンデミックが起こってから国際情勢の不安定もあり、日本からのお客様は依然として少ないです

          イタリア式の甘い朝ごはん。フランボワーズジャムのブリオッシュ。ここは何時も変わらずおいしい。

          イタリア式の甘い朝ごはん。フランボワーズジャムのブリオッシュ。ここは何時も変わらずおいしい。

          ミケランジェロのピエタ

          あまり知られていないけど、間違いなく見逃せないミケランジェロの作品の一つ。 昨日の投稿で触れたミケランジェロの「ピエタ」の一つ「バンディーニのピエタ」(1547-55年)です。十字架の上で亡くなったイエスを、身近な人達が降ろしている場面を捉えています。 向かって左にマグダラのマリア、中央には彫刻家自身の顔を持つニコデモ、向かって右には聖母マリアがいます。 この彫刻はミケランジェロが自身の墓碑として作り始めたものです。伝統的にニコデモは依頼者の肖像であることが多いために、

          ミケランジェロ 「パレストリーナのピエタ」 1550-60年 アカデミア美術館

          帰属とする研究者もいますが、晩年の作風や完璧な解剖学から、ミケランジェロの作品と広く認められられる作品です。 彼は若い頃から「ピエタ」(哀悼。イエスの死を身近な人間が悼む様子)を何点か制作しています。一番有名なのはヴァチカンの「ピエタ」で、イタリア旅行にいらした方なら必ずと言っていいほど目にする作品です。マリア様が若すぎるとの批評も出ながら、その美しさと完成度の高さ、他者が入り込む余地のない二人の存在感から絶賛される彫刻です。 ですがミケランジェロは次第に、のみの跡を残す

          ミケランジェロ 「パレストリーナのピエタ」 1550-60年 アカデミア美術館

          古代ローマからの人生の教訓

          前回、シエナ大聖堂の魔法陣に触れたついでに、もう一つご紹介します。 シエナの大聖堂と言えば 56 の場面から成る床の装飾で有名です。内部だけに注目が行きがちですが、入り口の前にも興味深いパネルがあります。 中央の扉の前にある「MEL (蜂蜜)」と「LAC (ミルク)」と書かれたアンフォラ(大型の壶)です。 本来なら「LAC(ミルク)」でなく「FEL (胆汁)」なのですが、1800年代の修復中に蜂蜜とミルクのおいしい組み合わせにすり替わってしまったそう です。恐らく、文字

          古代ローマからの人生の教訓

          中東や欧州で見られる魔法陣

          古代ローマの遺跡やユーフラテス川、起源の古い教会で見かける事がある石碑。 これはSATOR (サートル) と呼ばれる魔法陣です。 「サートル、アーレポ、テーネト、オーペラ、ロータス」 不思議な事にこの魔法陣は、左上から横と縦に読んでも、右下から横と縦へ読んでも同じように読めます。内容は創造主としての神を讃えるという説がありますが、はっきりと分かっていません。 そして、サートルが刻まれている街や建物は、絶対に崩れる事がなく形が残ると言われます。 例えば、ポンペイ。ヴェ

          中東や欧州で見られる魔法陣