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「脳は国家、意識は新聞」: ニューロンたちが運営する国家について何も知らないあなたは"意識"という新聞を手に取り、脳みそで起こったことのすべてを知った気になっている────心のわけを解き明かす「進化心理学/EvoPsy」とは何か:これからの時代を切り拓く50の思考道具 tool.6-1

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「ガリレオは、地球を宇宙の中心という特権的な地位から引きずり下ろした。それと同じように、意識も、人間の行動の支配者という特権的な地位から引きずり下ろされようとしているのだ。これはまさに知の革命というべきだろう」

────ジョン=バージ


・今回のテーマソング:All Along The Watchtower / The Jimi Hendrix Experience

“ そんなにイライラするなよ
盗人が道化師(ピエロ)に優しく言った
こいつらはみんな
人生なんてジョークだとおもってやがる
でも俺たちだけは気づいてたんだ
こんなはずがないって

もう自分を偽って話すのはやめようぜ
夜も更けてきたしな ”
見張り塔からずっと
王子さまは眺めていた

侍女達や裸足の使用人が
行ったり来たりしている間中
凍りつくような暗闇のどこかで
野良猫がうなっている
2人の騎士が王国の崩壊を告げにきた
風が鳴り始めた ”

(詞:ボブ=ディラン)

・読まれてない方はまずはこちらから:


tool.6「脳は国家、意識は新聞」(“Brain is Nation, Conscious mind is like a Newspaper”)


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さて、今回紹介する思考道具は、スタンフォード大の神経科学者デイヴィッド=イーグルマンが著書の中で用いた喩え:

脳は国家、意識は新聞」(“Brain is Nation, Conscious mind is like a Newspaper”)

だ。

イーグルマンは人間の「脳」というものを「国家」にたとえる。その国家は無数のニューロンたちによって運営されている

(運営はトップダウン式ではなく、ボトムアップ型の協議制だ)。

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その「ニューロン国家」では毎分毎秒、息をつく間も無く様々にたくさんのことが起きているのだが、われわれ"意識"が知るのは(=知らされるのは)そのうちのほんの一握りの情報に過ぎない

────そういう話をこれからしようと思う。前回の「ゾンビシステム」について読んだ人なら、イメージはつかめるはずだ。

Re:“ ゾンビエージェントのしたことを後から意識することはできるが、ゾンビエージェントが働いている最中にその働きが意識にのぼることはない。 ”

>参考:ゾンビ=システム(フランシスクリックとクリストフコッホによる造語)

*  *  *


# 意識は傍観者(bystander)である


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────スタンフォード大の神経科学者ディヴィット=イーグルマンは、「」および「意識」といった神経科学の研究テーマについて、進化心理学的アプローチを土台に組み入れて謎にせまるというモットーを掲げていることで有名だ。

彼の著書『INCOGNITO: Incognito: The Secret Lives of the Brain / 邦題:意識は傍観者である』は世界中でベストセラーとなった。

なんといっても素晴らしいのは、「脳は国家、意識は新聞」「意識は傍観者である」などの、そこで用いられている"たとえ"(=メタファー)が的を射ていて、非常に分かりやすいことだろう。

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✔️メタフォビカル=ブレイン


────ここで少し寄り道して、サピエンスの脳に絶えず浮かんでくる思考道具としての「メタファー」の有用性について。

さっき俺は「イーグルマンの著書が素晴らしいのは、メタファーが分かりやすく説明(explanation)に使われているからだ」というようなことを言った。

こういうことを聞くと、数式やデータやコンピュータを使ってハードにシコシコやるのがサイエンス(科学)だ、という現代の考え方(=ミーム)に毒されているインテリたちは、顔をしかめるかもしれない。

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そういうタイプの人たちは、ドーキンスが数式を一切使わずに書いた『利己的な遺伝子』(Dawkins 1976) にも文句をつける。

こんなもん読んでも進化生物学を"理解"したことにはならない!適応度の計算問題やれ!シューワルライトの血縁係数からハミルトン則を理解しろ!

だが、進化生物学のエッセンスは計算問題を解くよりもドーキンスの『利己的な遺伝子』を一冊読んだ方が身につくし、この言葉をここでどう定義するかはさておき、そっちの方が「理解」は深まるものなのだ。

ここでどう定義するかはさておき、と修辞的なことを言ってはおきながら余計な付け足しをすると、「理解」という言葉を俺は「ロジック(理)が解ること」というふうにざっくり定義している。────この定義には数式を使った説明が必要だろうか?それは可能だろうか?

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実際の話、チャールズ=ダーウィンは『種の起源』において、数式を一切使っていない。ダーウィンが今も特定のニューラルタイプの人たち(=数式オタク)から不当に評価されているのはそのせいでもある。

そして、過去においてメンデルの研究が再発見された際「ダーウィンはもうオワコン」という流れになったのも、メンデルの遺伝の法則は計算オタクたちの脳みそを喜ばせる系のアレだった(これこそ科学だ!)からではないかと俺は訝っている。

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↑ 数式が一切出てこないドーキンスの本を読むよりも、こういう計算問題を解く方がお勉強として有意義であると考えている人たち(= 数式愛好者たち。特定の型のニューラルタイプをもつサピエンス個体)が、この世の中にはそれなりに多くいて、そういった人たちがよりにもよって教科書を編纂していたりする。*
* しかし、よく考えてみよう。この問題が解けたとしても(みなさんは高校受験で解法を暗記させられていると思うが)、それって生物学のエッセンスを"理解"しているといえるのだろうか?:もしかしてこの問題が解けてもそれは数学ができるようになったというだけの話なのであって、生物について何か本質的なことがわかったということにはならないのではないか?
興味がある人は、「日本生物学オリンピック」の試験問題をググってみるべきだ、これで金メダルをとった人間が、何か役に立つということがあるだろうか?────進化心理学者はそうやってすぐにお勉強(学問)を点数化・競技化しがちなサピエンスの性向に警鐘を鳴らしている。それは進化で培ったサピエンスの心のデザインだが、教育的弊害は大きい。**
** それを正すのは進化教育心理学(Evolutionary educational psychology)の分野かもしれない。


ダーウィンの後の時代、生物学という学問の主導権数学オタクたち化学者たち物理学者たち(+医者)に乗っ取られてしまったという話をこれまでもしてきた。

現代もその影響は色濃く、生物学の"セントラルドグマ(=中心教義)"はダーウィンの進化論ではなく、分子生物学者たちによって崇められているアレであるということになっている。

>それの何が問題なのかは以下の稿を参考

しかし、生物という存在について"セントラルドグマ(中心教義)"と呼べるものをもし定めるとすれば、それはおおよそ至近要因的なメカニズムの話ではなく、究極要因(Ultimate cause)の枠組みを構成する法則や理論であるはずなのだ。

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さて、話を戻して、

なぜ素晴らしい「メタファー」を開発して人びとの理解を手助けするというイーグルマンの功績が素晴らしいのかというと────、

(あるいは進化論を「利己的な遺伝子」などのメタファーを用いて説明したドーキンスやデネットの功績が卓越しているのかというと)

サピエンスの脳がなにかの概念(concept)を理解する際の認知構造そのものが、本質的にメタファーの力に拠っているからなのだ。

“ 理解の本質がメタファー? ”


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なにを適当なことを言っているんだ、と思われるかもしれない。しかしそうなのだ。

現在、サピエンスの脳の"理解力"の進化、"思考力"の進化ということを探求している人なら誰でも「メタファー」の重要性を強調する。

たとえばホフスタッターによれば、人間の認知は類推(アナロジー)、隠喩(メタファー)、概念融合などによって成り立っている。*Hofstadter & the Fluid Analogies Reserch Gioup 1995

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メタファーがいかにサピエンスの認知に進化的に組み込まれたかについては、また別の稿でゆっくりと説明したい)


人間の脳はメタフォビカルブレインなのだ。ハーバード大の進化心理学者スティーブン=ピンカーも述べている;

“ 人間の心には、西洋科学や数学やチェスその他の気晴らしをするための能力など、進化的にみてどうでもいい能力は装備されていない。”
“ 心に装備されているのは、局所の環境を熟知し、そこの住人たちを出し抜くための能力である。ヒトは世界の相互関係的なテクスチャのなかにかたまりを見つけ出す概念を形成する理解の方法あるいは直観理論をいくつかもっていて、それは人間が経験するおもな種類の存在物────物体、生きているもの、自然物、人工物、心、そして…社会的な結びつきや力に適応している。”

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“ そして私たちは論理学や数学や確率論といった学問の要素(element)となっている、推論のツールを使いこなす。いま知りたいのは、こうした能力がどこからきたのか、現代の知的課題にどのように適用できるのかである。”
“ 〔ヒトのあらゆる言葉や思考に無意識に組み込まれている〕メタファーの遍在性は、私たちをウォレスのパラドクスの解決に近づける。「人間の心はなぜ、抽象的なものごとを考えるように進化上適応したのか?という問いの答えは、「本当はしていない」なのだ。人間はコンピュータや数学的論理のルールとはちがって、Fやxやyで考えたりはしない。”

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“ 私たちが受け継いだメモ帳には、〔太古の生息環境において〕遭遇する物体や力の主要な特徴や、食べ物、健康など人間の条件につきもののテーマの特徴をとらえた形式が書きつづられている。その内容を消したり、余白に新しいシンボルを書きたしたりすることで、受け離いだものをより抽象的な領域に適用できる。”
難解な科学的推論さえも、素朴な心的メタファーの集合である。私たちは、ある領域のためにデザインされた能力をそこから引きはがし、メタファーの機構を使って、観念的に似た新しい領域を理解する。”

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私たちが考えるときに使うメタファーは、動きや衝突など基本的なシナリオからだけでなく、あらゆる理解の方法から転用される。生物学を研究するときは、人工物を理解する方法を生物個体に適用する。化学では、自然物の本質を、ぼんぼん跳んだり、ぺたぺたくっついたりする小さな物体の集合のように扱う。そして心理学では、心を自然物のように扱う。… ”

(S.Pinker 1997 『How the Mind Works/邦題: 心の仕組み』)


脳という生物機械をつかわなければ、サピエンスはけっして「理解」という生物学的な認知行動を達成できない。


脳を使わずに理解が可能だという人はいるだろうか?:そう主張する人はたとえば、コンピュータを「理解力を有する存在」としてしらずしらず擬人化していたりするんじゃないだろうか────のちに説明するように、コンピュータは理解力なき有能性(competence without comprehension)の象徴だ。

────そうであるなら、メタファーをつかわずに理解を達成しようとするのはなんと愚かな振る舞いだろう

そして実際の話、「利己的な遺伝子」というメタファーが開発されたことによって、進化生物学の理解はどれほど深められてきたことだろう。

メタファーは単なる修辞表現でなく、サピエンスにとっての理解の本質なのだ

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きっと「理解」ということばを説明するのにも、みなさんはなんらかのメタファー(や、あまりに認知上自然すぎて、もはやメタファーとすら認識されていない概念メタファー)を活用するに違いない。

アリストテレスもかつて述べている:

もっとも偉大なのはメタファーの達人である。通常の言葉は既に知っていることしか伝えない。我々が新鮮な何かを得るとすれば、メタファーによってである」。


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*  *  *


[reprise]


────さて、イーグルマンはのべている。


# 意識は傍観者(bystander)である


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 " 自分たちの回路を研究してまっさきに学ぶのは単純なことだ。すなわち、私たちがやること、考えること、そして感じることの大半は、私たちの意識の支配下にはない、ということである。"

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