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珠玉集

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心の琴線が震えた記事
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2023年10月の記事一覧

乳がんの私が貰った言葉の処方箋

思い返すと涙が溢れたり、フッと笑えてしまう。私のヒーローたちがくれた、大事な大事な忘れたくない言葉たち。 がんになってから、いろんな人が話を聞いてくれて、寄り添い、労り、励ましてくれました。 治療を受けるのは私一人だけれど、独りになることは決してありませんでした。 心からの感謝を込めて、世界一重いありがとうを送ります。

【カテゴリ別】賑やかし帯(タイ)保管庫。

いらっしゃいませ、こんにちは。 はじめての方は、はじめまして! 自分は、いつきと申します。 自身のサイトマップと、自己紹介記事は⇩になりますm(_ _)m どうぞ、よろしくお願いします。 コチラは、これまでに公開してきた賑やかし帯をカテゴリ別にまとめ、眺めていつき自身が悦に浸りたいが為…興味を持っていただいた方が見やすいようにしたものです。(現在、第275弾+αまで収録) 気に入ったものがありましたら、ぜひ使って下さい。 あなたの記事を賑やかに出来たら幸いです♪

映画『バグダッド・カフェ』にかけられた魔法について

 『バグダッド・カフェ』は1987年に制作された西ドイツ映画です。(原題:Out of Rosenheim)  日本でも80年代後半からのミニシアターブームの中で話題になった "いい映画" のひとつなんです。  この映画を好きな人は多いんですよね~  『ニュー・シネマ・パラダイス』なんかと同じで、あんま悪口を聴いたことがないような気がします。  かく言う私も、大学時代に観て以来、その独特の映像やストーリーにファンタジーを感じた一人です。  まあ、今になって私が語る必要も

ハルヱの最後の秋

村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭り日。 その頃、ハルヱは生きるを感じながら故郷山形の家業である「農」を手伝っていた。 昭和20年(1945年)第二次世界大戦は終わり、ハルヱは従軍を目指して長野県上諏訪にある現在の日本赤十字病院で看護師としての訓練を受けていた。 傷痍軍人の看護を二年間、一番歳の若かったハルヱは結核病棟を担当し、血痰が表面張力で溢れそうな痰壺の処理に毎日を明け暮れていたという。 昭和5年生まれのハルヱは歳をごまかし、13歳の時に奉職した。南方に出征している長

かみなり或いは神鳴り〈短歌〉

かみなりが震わす空気永遠がないから君に逢えたのですね

【君の夢は僕の夢】

「いつか美容系の仕事をしたい。将来、自分のお店を持つのが夢なんだ」 奥さんと付き合い始めた頃、彼女は自分の夢についてそんな風に話していた。 「カットだけじゃなくてスキンケアやネイルができたり、美容に関する相談も気軽に出来るそんなサロンが作れたら良いなって」 自分の夢を語る時の彼女の顔は本当にキラキラしていた。 当時の僕は自分の夢を持つどころか将来設計すらろくに立てていなかった。ただ目の前の仕事を淡々とこなす毎日だった。 そんな僕にとって夢を語る彼女はとても眩しくて魅力

再生

【朗読】「星空の子守」

◆原作◆ 「星空の子守」 https://note.com/aomame_nono/n/n117a0b0852e3 ◆原作者◆ 青豆ノノ https://note.com/aomame_nono ──────────────────── ◆声、音声・映像編集◆ yaya ★YouTubeチャンネル★ https://www.youtube.com/channel/UC9aetWLGsikuRBkKhIPb3mw ★note★ https://note.com/yaya312 ──────────────────── ◆楽曲◆ 『DOVA-SYNDROME』https://dova-s.jp/ H.Lang 「Present」 ──────────────────── ◆ イラスト・動画素材 ◆ 『pixabay』https://pixabay.com/ja/ ──────────────────── ◆SE◆ 『効果音ラボ』https://soundeffect-lab.info/ ──────────────────── ※ いつもご視聴ありがとうございます💋

〔詩〕瞬く

ころころの 朝露 まとい 並んだ並んだ スギナたち 透き通る朝日に 照らされて きらきらと 瞬く

意志

ドイツに住んでいたころ、 あまりにドイツ語ができなくて街で一番安い語学学校に通った。そこで、イシという中国人の女の子と出会った。 イシは、背が小さくて前髪が長く、分厚いレンズのついたメガネをかけていた。いつも重そうな革の鞄を持ち歩いていて、化粧はしていない。ジャケットは破れていて、ベビーシッターのパートをしながらドイツ語を学んでいる、と恥ずかしそうに自己紹介をした。 イシは中国のとんでもない田舎にある牧場の家の子だった。帰ったら、一生、羊の世話をすることになる、と言ってい

全部だきしめて

忘れもしない、あれは僕が高2の二学期のまさに10月のある日のことだった。 当時、重度の対人恐怖症で、「ああ…」か「あわわ…」しか言えなかった僕をいつものように数人の同級生がからかっていたときに、そのうちのひとりから、 「なんでおまえみたいなグズが生きてるの?おまえなんか死んでしまえばいいのに」 と言われたのは。 彼らからはこれまでにもずいぶんと色々なひどいことを言われてきたはずなのに、この一言はなんだかその時の僕には特別、衝撃的で、翌日から僕は学校に行けなくなってしま

金木犀

秋の最後の一息が頬をなぶる 昨日父が亡くなりました、と 白い顔をして話し出した後輩 休暇の申請をしているあいだ まるで人ごとのように窓の外 老人のように光彩のない目で 見つめていた彼はまだわかい 離婚したと噂される長い髪の 彼女は陰口すら糧になるよう 笑顔で今日もヒールを鳴らし 取引先に出かけていく後ろ姿 人知れず流した涙気づかせず 不妊治療をやめたという妹は モンブランクリームをなめて 口元には笑みを張り付かせて テレビの中の新生児を抱いて 世界で一番幸せのような顔の

221.ボヘミアンラプソディ

先日、2021年6月10日(木)22:00からNHK Eテレで放送された「CLASSIC TV」という番組は副題は「QUEEN x Classic」でした。 ゲストの一人としてオペラ歌手の錦織健が登場しました。そこで彼は「私、発表したい意見があります」と言って、ボヘミアンラプソディにおける彼の持論を展開したのです。それは「実は、中間部のオペラ・パートはあるオペラの場面を参考にした、あるいはパロディにしたのではないか」という見解でした。 そのオペラというのは、歌劇「ナクソク

掌編小説 | 鏡

息子が二十歳になった。 10年前の自分の日記を読み返して、こんな時期があったもんだと振り返る。 長い反抗期の中にいたようで、それは間違いなく彼の特性であった。 生まれた時から気難しく、笑いもせずに大人の目をじっと見つめる息子に、大人たちはたじろいだ。見透かすようなその澄んだ瞳は、覚悟のない者を動揺させる。 なぜこの子は笑わないのか。 なぜこの子は笑えないのだろうか。 「子は親の鏡」 どこかの誰かの真っ当であり無責任な発言は、私を深く傷つけた。 こんなに一生懸命、奴隷のよ

シクラメンのあなたへ

娘が生まれた その年に あなたに 会いました 今年は もう咲かないね いのちのない 軽くなった株 手で包む 最初は 世話もしなくって ほったらかして しまってた それでも あなたは 咲いたんだ たくさん たくさん 途切れることなく あふれるように あなたのピンクを 見るたびに ほんのり 励まされるようで わたしは あなたに見惚れたよ それから 世話するように なったんだ 去年の植え替え 新芽ひとつ わたしの不注意 手折ってしまった あなたは 芽