誰かの引立役や裏方でしかないとの自己嫌悪よりそんな役の主役だと思い込め
ひとには、人それぞれの性格があり、生まれた場所も育った家も環境も違うのだから、気性も性格も同じじゃないのは当たり前のことですよね。
なのに、自分以外の人を見て比較したり羨んだり、ときには嫉妬に狂ったり悔しがったりと、なんのプラスにもならないような感情を抱いて、自分自身の健康を損ねたりします。
もちろん心の健康もだけど、心の歯車が狂って心がおかしくなると、身体もまたその影響を受けておかしくなるものです。
承認欲求が高いことや自意識過剰であることも、それを自分自身でうまくコントロールできれば、大きな武器にもなると思うのですよ。
ただね、他人と比べて、あぁ自分はダメなヤツだと落ち込んだり、思うようにならないからといって自己嫌悪に陥るのは、止めたほうがいいですね。
自分が思い込んでいるほど、自分という存在は、ダメなヤツでも無能でもありませんから、自分を卑下するのはやめましょう。
自分が自分を、卑下する。ダメなヤツだと、烙印を押してしまう。
これが、一番の敵だと気づくことですね。
誰よりも自分の味方にならなきゃいけないジブンが、誰よりも手強い敵になってどうするの、ってことですよ。😓
私たち人間の脳力は、持てる脳力のほんの一部しか発揮できておらず、その大半は眠ったままで顕在化していない事実に目を向ければ、今の自分のパフォーマンスが多少見劣りしていようが、それはどうでもいいこと。
まだまだ私たちの隠された脳力を引出し、それを発揮できる場面があると信じて、自分のことを大事にしたらどうでしょう。
まぁ、こんなことは、特に言われなくてもわかっていることなので、余計なお世話なんだけど、見回すとけっこういるんですよ、自己嫌悪や自虐や自嘲で自分を追い込んでいる人っていうのが。
自分の心の中に閉じこもらずに、自分の頭の上から自分を見下ろして、自分自身の配役に徹することができるように、指示を出し、その演技を見守る演出家や監督、プロデューサーになったつもりで、好演させるのです。
自分の人生劇場の主役として与えられている役割が、今の自分がおかれている環境や境遇で、へこたれずに健気にがんばる役なんだと。
その配役をこれからどのように演じるのか、これからの人生ドラマをどんな筋書きにしていくのか。ドラマの見所や結末を観客が感動するようにアレンジするにしても、それができるのは、自分でしかあり得ないのですね。
誰かの引立役や裏方だと、今の配役に不満をもらし、満足な演技もできないようだと、主役でさえ回ってくることはないでしょう。
今の配役が主役のものなんだと見方を変えて、そこに精一杯熱意を注ぎ込んで演技していけば、その配役を主役にしたストーリーに、いつしか筋書きが変わっていくものなのです。
まぁ、これを信じるかどうかは、その人次第ですが。実演してみたら、きっとこれからの人生ドラマが激変すること、間違いなしですよ。(^_^)b
ってことで、今回は
「誰かの引立役や裏方でしかないとの自己嫌悪よりそんな役の主役だと思い込め」という人生哲学みたいな自分の人生を自分で変える話でした。🤗
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
どうせなら 主役を演じ のほほんと
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