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運慶真作100億円の美仏「滝山寺(瀧山寺)/瀧山東照宮」源頼朝供養【愛知シリーズ/三河シリーズ/名古屋シリーズ】
源頼朝の従弟の僧で、熱田神宮(私のNOTE)とも縁の深い寛伝上人が住職となり、源頼朝供養に運慶と湛慶に造らせた三尊・聖観音立像・梵天・帝釈天が安置されている。
源頼朝の鎌倉幕府、歴代の足利氏、そして徳川家の恩恵を受け、文化発信の地として三河地方で重要な役割を担ってきた神社仏閣。
2025年に50年に一度の御開帳です!!
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変更履歴
2025/01/23:初版
▼HP▼アクセス
公式HP:https://www.takisanji.net/
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▼見どころ
瀧山寺の文化財について 住職 山田 亮盛 にかなり詳しく寺の歴史などが書かれているので、文章少なめで行きます。
▽瀧山寺:三門@重文
岡崎市最古の和様建築物である三門、本堂ともに国の重要文化財。ここから本堂までが約800mあり、全部敷地だと考えられ、350の塔頭・子院があったとか。
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滝山寺三門は鎌倉時代の仁王門で、3間1戸楼門、屋根は入母屋造こけら葺です。斗組(とぐみ)は下層が三手先、上層が尾垂木付三手先の典型的な中世楼門で、ほとんど純和様で造られていますが、わずかに上層部の頭貫木鼻(かしらぬききばな)に天竺様の影響を認めることができます。現在の仁王門は文永4年(1267)に建てられた、市内最古の建造物です。楼上正面の「瀧山寺」とある扁額は、文永12年2月19日に正三位藤原経朝が書いたものです。金剛柵内に安置する仁王像2躯は、15世紀前半頃の作です。三門の工事にあたり、上層東南の尾垂木の角度を一本切り違えたのを恥じた大工飛騨権守藤原光延が、楼上から飛び降りて自殺したと言い伝えられ、その塚と称されるものが門の正面左手にあります。
滝山寺三門(山門)
文永四年(1267年)に、飛騨権守藤原光延が建立したもので、市内最古の建造物といわれています。
門の両側には仁王像が控え、鎌倉時代の仏像彫刻の巨匠、運慶(うんけい)が作ったものといわれています。
三門さかさ垂木ここがみどころ
この山門にはある伝説があるんです。左写真の白丸で囲った部分をみてください!垂木が他の垂木と反対の向きになっています!
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▽瀧山寺:観音堂
宝物館近くの駐車場横です。宝物館に安置されている大きい方の「十一面観音」はここのもの。平安時代末期のもので、観音堂の状態が良くないので宝物館に移したそうな。
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▽瀧山寺・瀧山東照宮参道
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表参道横の坂を進むと次の写真のように広いスペースがあります。ここも駐車場のようですね。
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坂で行くか階段で行くかはあなた次第です。
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▽瀧山寺
→歴史
673 年から686 年、建立
天武天皇の勅願により薬師如来を祀り、吉祥寺と名乗ったのが始まり
1300年の歴史を持つ古寺で、天武天皇時代に役行者が創建(『瀧山寺縁起』より)
役行者が青木川の滝壺から薬師如来を拾い上げ、安置するために「吉祥寺」という一堂を建てた
役行者は自ら薬師如来像を彫刻し、その仏身に金色の薬師如来を納め御堂に安置した
1120〜24年、比叡山で修行した仏泉上人永救が、荒廃してしまっていた吉祥寺跡に再び霊場を建て、物部氏の外護により本堂を造営した
1223年、足利義氏が本堂立替を援助し、泰氏・頼氏・家時・貞氏の歴代も所領や仏具を寄進し、足利氏の準菩提寺となる
室町時代には三代将軍義満の援助により本堂が造営
350もの子院・塔頭を持った名刹
金のあるとこ良い仏像あり!運慶の真作32体の内、3体もここにある(2024年11月時点)
寺の裏には徳川家康が建立し、徳川家光によって再建された「日吉山王社」がある
比叡山延暦寺(私のNOTE)と同様に日吉社と東照宮があるのは面白い
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→本堂@重文:50年に一度の御開帳「薬師如来坐像」
すぐに国宝になりそうな雰囲気の本堂。愛知・金蓮寺(私のNOTE)も国宝なのですぐになるだろう。京都・大報恩寺(私のNOTE)や京都・清水寺(私のNOTE)の本堂の佇まいが好きな人は好きなはず。今は神社だけど、分かる人にはわかる神仏習合時代の名残を残す滋賀・御上神社(私のNOTE)、京都・八坂神社(私のNOTE)の本殿相当の良い佇まいです。
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1222年、建立
1254年、修復
屋根は桧皮ぶきの寄棟造りで、和様・唐様・天竺様の折衷様式
天台宗滝山寺の本堂で、桁行5間、梁間5間、屋根寄棟造檜皮葺です。前2間を外陣(礼堂)、その後方中央間3間を内陣とし、外陣、内陣の間を格子で仕切る密教系の本堂です。内陣には正面見付3間に壇正積和風仏壇を置き、中央間5間に禅宗様宮殿厨子を据えています。厨子のなかには秘仏の薬師如来坐像を安置し、その左右に日光・月光菩薩・十二神将・毘沙門天・不動明王など多数の仏像を安置しています。この建物は和様を主とし、部分的に禅宗様を取り入れています。従来、堂の建立年代は『滝山寺縁起』によって貞応元年(1222)とされてきましたが、現本堂(中世の間面記法では3間4面)は様式的に見て、14世紀後半頃の建立とすべきものと思われます。
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仏像は次の通りで、チーム薬師です!!
本堂の本尊は50年に一度に御開帳の薬師如来坐像で、前回は1989年だったので2039年に御開帳予定だが、2025年中開帳??
薬師如来について
役行者が修行の為に渓流に入ったところ、瀧があり、その滝つぼに大きな龍が金色の仏像を守護していた。行者はその仏像を袈裟に包んで引き上げたところ、金の薬師如来であった。
朝廷に報告したところ「鎮護国家の霊場を建てよ」と勅命が下り、自ら薬師如来をきざみ、その仏神に金色の薬師如来を納め、堂に安置した
薬師如来の脇侍である日光・月光菩薩立像が安置されている
薬師如来のガードマンである「十二神将」は地方仏師が造るコミカル系だが、鎌倉時代以降の特徴である玉眼である
十二神将は愛知・財賀寺の二十八部衆にも通じる良さがあり、もしかしたら、三河に地方仏師がいたのかもと思ってしまう
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2025年に開帳できることが少し話されていますね。
本尊・薬師如来
瀧山寺本堂に行っていただいて、本堂をがらっと開けるとこんなふうに見えるんですね。ご本尊がありまして、その隣が、日光菩薩、十二神将も一部写っておりまして、この光背だけ写っているのが不動明王であります。ご本尊でありますが、ちょっと写真がぼけておりまして申し訳ありませんが、見てもうお気づきになる方もあろうかと思いますが、金属製の物で出来ていて、光背が木製なんですね。これどういう事かというとふたつの仏像をくっつけたんだと思います。でもこの仏像も鎌倉時代のものだという事を聞いておりますが、調査に入られた先生が、これも良いものだよというような事はおっしゃっていましたけれども、悲しいかなふたつをくっつけてひとつにしたというような、うちの仏像はそういうのが他にもありまして、そんな事が行われているようで。これにつきましては、お前立ちでございまして、ご本
尊は秘仏になっております。この秘仏は50 年に1 回ご開帳をするという事であります。
(中略)
開けようと思って開けたら、本当に大きな1 メートル50 センチぐらいある座像がどんと座っていたんですね。ちょっと驚きましてね。本当に息を呑むってああいう事だろうな。
(中略)
わしはもういっぺん死ぬまでにあのご本尊が拝みたいっておっしゃる方が、年配の方でお見えになるんですね。もう1回見てわしは死んでいきたい。ああそうですか。でもあと30 年ですよといっても、それはもたないから。世の中は面白くよく出来ておりまして。天台宗の宗務に詳しい方にご相談をしました。こういうお声があるんですけれどもと相談したら、そういう時はね、便利な考え方あるんですね。ご開帳じゃなくて半開帳にすればいいって。25 年くらいのところで半分。本来は例えば2 週間やるところを半開帳だから半分、または3 分の1 とか。
その他の仏像
ご本尊から西側。入って左側のところでございます。こういう並びになっております。毘沙門天、これが毘沙門天であります。それから後ろに十二神将の6 体があって、これが月光菩薩。この毘沙門天でありますが、お手元の資料のところに入れさせていただきましたが、この写真がこれです。是非今日の記念にという事で付けさせていただきました。ただこれ18 年だったと思いますが、名古屋市博物館で比叡山と東海の至宝展に出品した時に写真を撮っていただいてカードにしていただきましたので、是非またお持ちいただければというふうに思っております。
続いて東側ですね、日光菩薩、十二神将、それから先程光背だけでしたけれども不動明王でございます。これいずれも市の文化財に指定をされている
という事であります。この十二神将についてですが、先程の縁起には運慶が造ったというふうに書いてあったんです。これ本当だったら大変な事なんで
すが。愛知県史編纂の時に、調査に入られた奈良教育大学の山岸先生という方がお見えになって、ちょうどクリスマスの日だったと思いますが、3 日間きてずっと朝から晩まで埃にまみれて調査をしてくださったんですけれども、まあ鎌倉時代は間違いないけれども運慶ではない。顔の造りとかこの襞のところが巧くないと。それだけの細工がしてないという事で、時代のはっきりしているものとしては何か関東の方によく似た仏像があるから、それが年代が鎌倉の後期のものだという事でしたので、恐らくその時代のものであろうという事でありました。
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本堂裏からエレガントな国宝の写真です。
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▽日吉山王社
本堂裏に鎮守社ですね。なんか境内に日吉神社があり、隣に東照宮がある。比叡山延暦寺(私のNOTE)と日吉大社(私のNOTE)は元々1対で、近くに日吉東照宮(私のNOTE)があるのも一致し何か関係があるのかなと思ったり。
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比叡山の山麓にある「日吉大社」より勧請
1261年、増恵法眼が七間一面檜皮葺の社殿とした
1608年、徳川家康によって社殿が建立
1645年、徳川家光が東照宮を建立した際に再建し今に至る
本来はここから東照宮に行き、社務所横の階段を下ると瀧山寺の宝物館であるが、本NOTEは流れ的に宝物館を挟みます。
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本殿裏です。
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本来はここから東照宮ですが、本NOTEは流れ的に宝物館を挟みます。
▽宝物館
1時間ぐらいボランティアの方から説明を受けた。良く勉強されており、ツウなら見仏代は安いと思う。
印象に残った話は、運慶作の「聖観音立像、梵天立像、帝釈天立像」を100憶以上で売って欲しいと訪れたアメリカ財閥がいたようだ。話の経緯としてはアメリカで、行方不明の運慶真作が10億以上でオークションで出された。仏教界はえらいこっちゃ!と買い取るのだが、その後にこの寺に訪れて譲り受けたいと話があったようだ。なぜかというと、ミケランジェロよりも先にこんな素晴らしい彫刻なので、それ以上の価値があるので欲しいとのこと。
ちなみに、オークションに出された運慶真作の仏像は半蔵門ミュージアム に安置されています。どんな感じかは次のNOTEをどうぞ!あっ大日如来ね!!
→運慶&湛慶:聖観音立像@重文/梵天立像@重文/帝釈天立像@重文
寺宝の聖観音・梵天・帝釈天三尊像は、鎌倉時代の仏師運慶・湛慶父子の作。寺の説明では運慶を前面に出していたが、本NOTEでは息子の湛慶との合作としておく。
「良い仏像=金のある豪族・皇族あり」というのが私の論で、運慶作が鎌倉に多いのは鎌倉幕府の場所だから、京都に快慶・円派・善派のよい仏像が多いのは皇族との関係だろう。ではこの地域はなぜなのか?寺の説明では熱田神宮の神官、足利家、源氏などとの繋がりがある寺だったという説明だった。
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再掲:瀧山寺の文化財について より
額田の僧都寛伝。資料の系図をご覧いただくとその人の名前が出てくるわけでありますが、右端の1 番上から3 番目の方に範忠という方がいて、その子供のところに寛伝というのが3番目にありますね。その寛伝という方がここのご住職になるわけであります。この方というのが非常に良い家柄の方でありました。熱田の宮司家。熱田山の宮司家の出であるという事であります。本人は瀧山寺へこられたのですが、お父さん、お祖父さんは熱田の大宮司になられているという方であります。何でここが大事であるかというと、その系図の1 番左端を見ていただくとそれがわかるわけであります。左端を見ると女子と書いてあって、その隣が源義朝。頼朝のお父さん。という事は頼朝と寛伝が従兄弟関係になっている。そこが1 番この瀧山寺にとっては大切なところでありまして。要するにここから出てくる頼朝の事に繋がっていくわけであります。頼朝が寛伝を非常に可愛がってくれた。その事でひとつ事
例としましては、下野国の日光山、満願寺というところの第19 世のご住職になられる。その後、瀧山寺の方へこられたという事であります。
(中略)
それでこられてその直後に頼朝が亡くなる。そうすると寛伝にとってはバックアップを無くしてしまうというような事から大変悲しんで、生前の厚誼
を思い、頼朝の菩提を弔う為に惣持禅院を建てる。
(中略)
その後の記述、この辺りですね。彼の御鬚の落と歯を以て仏身に納め、即ち彼の等身を以て仏の寸法と為て造り奉るなり。というふうに書いてあるんですね、これ。ここら辺から造り奉るなり。簡単に言うと、頼朝の歯と髪の毛を仏様の中に納めて、仏様の寸法を頼朝と同じにしたというふうな事を、もちろん霊を弔う為にやったというふうに書いてあります。その後、これがまた大事なんですが、この辺りからですね。本尊は正観音、脇士は梵天・帝釈
なり。その次が仏師八条の法印運慶・同子息湛慶。
鎌倉時代頃の滝山寺一帯には、360ヶ寺もの寺院があり、源頼朝の従兄弟で、熱田神宮とも縁の深い「寛伝上人」が住職となり、その縁で頼朝の三回忌法要のために三尊像作成を運慶に依頼されたとのこと。当時の古文書を基に説明いただけます。
【愛知・滝山寺/滝山寺三尊像(1201)】1201年に造り始めたのが、愛知県岡崎市にある瀧山寺の聖観音・梵天・帝釈天の三尊像。明治以降に彩色が施されてしまい、詳細がはっきりしないものの、引き締まった顔立ちが運慶の手を思わせる。 pic.twitter.com/kTudX1cFSo
— 仏師・『運慶』の仏像 (@unkei369) August 22, 2024
源頼朝の従弟の僧が、源頼朝供養に運慶と湛慶に造らせた三尊。聖観音立像を中央に、左右に梵天・帝釈天が安置され、当時の煌びやかな色彩は江戸時代に修復したときのものらしい。奈良仏師時代に運慶が京都・東寺の仏像修復の経験から作成したとも言われている。
なお、寺の説明では運慶の仏像が少ないのは、天皇など皇族は生々しく写実的なのを好まなかったとして説明されていた。ただ、仏像の様式ルールである三十二相である「手の甲はふっくら赤ちゃんのよう」など、部分部分では仏画や平安時代の流れも残している。日本初のアニメとも称す人もいる慶派が、院派・円派などとは別で基礎技術も強いのは、南都の仏像修復が主だったころに手がけた良い仏像の知識・経験も捨てていないからだと思う。
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これが聖観音でございます。175 センチくらいですかね、上から下までが。かなり大きな像であります。それからこれが梵天ですが、半分しかありませ
ん。全体が見たい方はどうぞ瀧山寺へいらしてください。本当はそういう意味じゃなくて、本当は良い写真が無くて、取り込んだ写真がこれが1 番良い写真だったので、なかなか良いお顔をしてみえますよね。帝釈天です。先程の聖観音の聖観音に戻るわけでありますが、この聖観音。残念な事に色が付けてあるというのが、大変鮮やかな彩色をしてあるわけですが、これは私が聞いておりますのは、元禄の時代に色を付けてしまった。これが仏像にとっては非常にマイナスになるわけです。当時のままというのが1 番良いんだというふうに聞いております。昭和53 年だったと思いますが、文化庁の調査が入りまして、この仏像にX 線をかけた。そうしたら出たんです。歯と髪の毛が入っている仏像があるという事で、瀧山寺は常にずっとそういうふうにはお伝えしてきたんですが、本当かどうかわからない。
(中略)
それがこのレントゲンをかけましたら、ここですね。歯と髪の毛はわからないけれども、何かあるぞという事です。寄せ木でこのかすがいで留めてあるというところがもちろんお判りになると思いますが。ここに何かある。こ
れは正面の写真ですが、横から見ますとね、こういうふうに木を渡し掛けてて、ここに絡げてある。そんな写真が見つかりまして、まあこれは間違いないであろうと。その寛伝が頼朝の霊を弔う為に造った仏像である。これでにわかに脚光を浴びたのが昭和56 年であります。
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〇聖観音立像@重文
中尊は聖観音立像で赤く彩色され、聖観音像は源頼朝の等身大で仏身に御髪と御歯が納められている。
【愛知・滝山寺/聖観音菩薩立像(1201)】寛伝が従兄弟の源頼朝の菩提を弔うため建立した惣持禅院に、運慶と湛慶が造像し安置。顎髭と歯を胎内に納めたという寺伝が残っていたがX線撮影の結果小さな納入品が針金で吊るされているのが判明した。 pic.twitter.com/38cKRFrmyt
— 仏師・『運慶』の仏像 (@unkei369) July 30, 2024
愛知・瀧山寺より出展された運慶・湛慶作「聖観音菩薩立像@重文」は寺外初公開!!源頼朝の供養のためにつくられた像とされ、『瀧山寺縁起』には像内に頼朝の髪と歯が納められたと書かれていて、X線調査でも頭部に納入品が確認された。白色は後世に塗られたものらしいが、昔の仏像は、こんなんだったんだなとわかるので、これはこれでよい気がする。帝釈天・梵天が展示されなかったのが残念だ。。。
京都・六波羅蜜寺より「地蔵菩薩坐像@重文」が展示されていた、六波羅蜜寺に行くとこの地蔵菩薩が凄く目立つ存在で、妻が気に入ったのを思い出した。
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観音は快慶と肥後定慶が好きだが、ここの「観音菩薩立像@重文」を見るとやっぱ、運慶も外せないと思ってしまう。残念ながら脇侍の「梵天立像@重文」と「帝釈天立像@重文」は寺でお留守番だったのが残念だが、三尊形式を観に行かなきゃと思った。ちなみに、聖観音を本尊にし、脇侍を梵天・帝釈天にする三尊は珍しく、宮中で行われる密教修法「観音供」である「二間観音」を参考にしたとも。
私のじゃらん旅行記:https://www.jalan.net/travel-journal/000073071/
瀧山寺の古文『瀧山寺縁起』から、運慶・湛慶作で源頼朝の供養のためにつくられた像とされ、像内に頼朝の髪と歯が納められたと書かれていた
聖観音にしたのは源頼朝の念持仏が聖観音だったからではとも
近年、X線調査でも頭部に納入品が確認され、『瀧山寺縁起』は本当だったと判明
繰り返しになるが、熱田神宮とも関りがあり、源頼朝の従弟の僧が、源頼朝供養に造らせたのは、家系図などから、運慶工房の代表に造らせる財力があったともいえる
寛伝は熱田神宮の大宮司の子
寛伝は頼朝とは母方の従兄弟になる
叔父は瀧山寺の僧で、伊豆で隠れていた頼朝を支援している
寛伝の姉妹は足利家に嫁いでおり、息子・足利善兼が関係する寺には運慶作の仏像が安置され、発願者となっているものがある
三河は足利善兼の子が守護した場所
てな感じで、頼朝と繋がりがある権力と宗教家がおり、ある意味で日本の首都を関東に置いた偉大な親族・親戚を三回忌に盛大にしたのは納得がいく気がする
最後に、聖観音に帝釈天と梵天を並べた三尊は宮中の「二間観音供」と同じで、中尊は聖観音以外もあるが、京都・仁和寺(私のNOTE)が聖観音なんだそうで、じつはこの仏像は寛伝が出家した場所なんだそうな
なお、「二間観音」といえば京都・東寺ですね。
像自体は東寺の仏像と近い技法や姿となっていると専門家は言う
宝物館には装飾物は取り外されているが2017年のトーハクで行われた『運慶展』では取り付けられて展示されたことも記しておく
さて、頼朝の頭髪を納入した仏像が実は滋賀・石山寺(私のNOTE)にある。その仏像は多宝塔にある金剛界式大日如来坐像で仏師は快慶!!!そう、頼朝の髪を納入した仏像は、武家に愛された運慶と皇族・公家に愛された快慶という天才仏師の2体にあるのが大変興味深い。
〇梵天立像@重文
梵天の4面は三つ目があり、ふっくらしたやさしさのある四面四臂の天。天は基本的に甲冑と武具を持ち戦うイメージだが、逆に優しさを強調している気がする。この仏像は東寺講堂のものを参考にしたものとも言われている。運慶が世の中に知れ渡ったのは、東寺の仏像修復なのだから信憑性は高い気がするし、経験を活かした仏像群ともいえる。
金沢文庫駅から15分ほどテクテク。2017年60万人を集めたトーハク「運慶展」の続きです!!東京国立博物館と協力しており、注目は瀧山寺です。『運慶展』と言いつつ、運慶真作仏は2点で、伝運慶が数点です・・・。
神奈川には運慶工房があったことから、慶派仏像なのは確かだろうが。。出だしは運慶の父である康慶作「地蔵菩薩坐像@重文・静岡端林寺」で、京都・六波羅蜜寺の運慶作「地蔵菩薩坐像」と瓜二つで、慶派が脈々と踏襲されていることがわかる。神奈川・曹源寺より「十二神将@重文」が展示されていた。これは大きな仏像をつくる前のモックアップとも言われ、この中に運慶作の毘沙門天の顔に瓜二つの仏像があった。たぶん、運慶の弟子なんだろうなと思った。中盤にメインディッシュ愛知・瀧山寺『梵天立像@重文』が登場。思ったより小さい。製作者は伝運慶・湛慶と親子の作としており、この大きさならば奈良・京都の工房で作成し、持ち運んだのでは?とも思った。最後に、運慶・快慶は東寺の仏像修復にあたったとされる根拠史料なども展示されていた。東京国立博物館の「運慶展」と比べるとツウ向けの展示物が多い。
私のじゃらん旅行記:https://www.jalan.net/travel-journal/000077331/
宝物館の説明でも「この大きさならば奈良・京都の工房で作成し、持ち運んだのかも」という説明があった。
〇帝釈天立像@重文
他の2体の肌は白いが、帝釈天は金色で、武闘派を匂わす風貌である。京都・東寺(私のNOTE)のイケメン仏に顔が似ていることから影響を受けているとなったのかな。
【愛知・滝山寺/帝釈天立像(1201)】一面三眼で胸甲を着け独鈷杵を持つ。卓越した形態把握、適度な緊張感と充実感を持つ体躰、目尻の切れ上がった張りのある力強い顔立ちは運慶作に相応しい。江戸から明治頃の極彩色の補彩が厚く施されている。 pic.twitter.com/eXoId16I8K
— 仏師・『運慶』の仏像 (@unkei369) August 10, 2024
→十一面観音立像×2体
鎌倉時代作の十一面観音立像は念持仏とも言われている。「截金」といわれる技法を使い、上から見ると如来のように目が閉じているように見え、下から見ると目が開く設計になっているのが特徴で、ちょと快慶っぽい気がするのだが・・・。と思っていると、快慶展の図録があったww
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→八刀毘沙門天
毘沙門天信仰の内に発祥した異形像「八刀毘沙門天」です。読みは「とうはちびしゃもんてん」や「とうはつびしゃもんてん」とも。三面十臂像、四面十二臂像など様々で、四面八臂でした。寺の説明では、戦国武将の武田信玄や上杉謙信の影響があると言っていたかと。(記憶があいまい・・・。)
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→天台大師坐像
天台宗を開いた中国の僧・智魏で、坐像が残っているのは全国的に珍しいそうな。最澄が開いた比叡山1200年記念で行われた企画展のトップバッターを務めた。なるほどリアリティがあり慶派かもなと思った。
→狛犬
本堂の裏にある日吉神社を守っておった木彫
→菩薩面
阿弥陀如来来迎会というのが鎌倉時代に流行しておりその時に使われたものなんだそうな。てっきり25菩薩なのかなと思ったが・・・。
→補足:頼朝と瀧山寺の関係「母・由良御前」
頼朝の母は、由良御前(ゆらごぜん)で、額田(現在の岡崎市・幸田町・豊田市の一部)に拠点を持ち、『熱田大宮司家』の出身なんだそうな。頼朝の父・源義朝の正室となり、熱田神宮の近くには、源頼朝の生誕地と伝わる場所もある。
頼朝13歳の時に、由良御前は亡くなり、翌年の「平治の乱」で、頼朝の父・源義朝は敗北した。たった一年で、頼朝は父母を亡くし、謀反人の子となり地方に流された。
由良御前には、仏門に入った兄弟がいて、瀧山寺に入り、祐範(ゆうはん)と名乗る。祐範は、姉・由良御前が亡くなった際には葬儀も執り、姉の忘れ形見の頼朝へ毎月使者を送り、篤く支援したそうな。
その後、母方の従兄弟にあたる寛伝(かんでん)は、頼朝の急逝を聞きつけて前述の美仏を供養のために造った。
ということで、カネのあるところ名仏師の美仏あり!!ですね。
最後に、聖観音立像が選ばれた理由は、持仏として身に着けていた聖観音菩薩像だったとか(『吾妻鏡』より)
最後に宝物館の雰囲気が分かる写真多めのサイトをどうぞ。
→パンフレット
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▽瀧山東照宮
→由緒
1646年、3代徳川家光の創建
日光東照宮・久能山東照宮とともに「日本三東照宮」に数えられている
瀧山寺本堂よりも一段高い所にあり、拝殿・中門・本殿などのほか、家光寄進の「太刀銘長光@重文」と家綱寄進の「太刀銘正恒@重文」がある
本殿と拝殿の間に中門があるのが特徴で、極彩色の東照宮様式
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→拝殿@重文
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2024年は拝殿が工事中だったので出雲大社と同様に横から本殿への祭壇場が出来ていた。
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→本殿@重文
やっぱ奇麗だ!!!
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本殿の 修復前と比較してみましょうかね。2025年に再参拝しますので、新しい拝殿が楽しみです。
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▽瀧山寺鬼祭り
旧暦元旦から七日間、本堂で天下太平・五穀豊穣を祈る修正会。巨大な松明を30数本を持ち込み、半鐘・双盤・太鼓を乱打し、ほら貝が吹き鳴らされる中で鬼が乱舞する。
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記▼セットで行くところ
◆愛知⑦◆豊川と岡崎の神社仏閣と名古屋港水族館【愛知シリーズ/三河シリーズ/名古屋シリーズ】|やんまあ@旅行記
未来の旅行記は次に記載されていきます。
愛知の神社仏閣は次のマガジンに追加していきます。
▼仏像展
2018年:神奈川横浜市金沢区の金沢文庫で『運慶展』
◆神奈川②東京③◆東京上野界隈で京都三昧!?!運慶展2!仁和寺展(上野/渋谷/千代田)
中盤にメインディッシュ愛知・瀧山寺『梵天立像@重文』が登場。思ったより小さい。製作者は伝運慶・湛慶と親子の作としており、この大きさならば奈良・京都の工房で作成し、持ち運んだのでは?とも思った。最後に、運慶・快慶は東寺の仏像修復にあたったとされる根拠史料なども展示されていた。東京国立博物館の「運慶展」と比べるとツウ向けの展示物が多い。
2017年:東京国立博物館の『運慶』展
◆東京②◆イルカショー12頭vs運慶作の仏像21体-東博『運慶』(品川/港/台東)
興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」●観音は快慶と肥後定慶が好きだが、ここの「観音菩薩立像@重文」を見るとやっぱ、運慶も外せないと思ってしまう。残念ながら脇侍の「梵天立像@重文」と「帝釈天立像@重文」は寺でお留守番だったのが残念だが、三尊形式を観に行かなきゃと思った。ちなみに、聖観音を本尊にし、脇侍を梵天・帝釈天にする三尊は珍しく、宮中で行われる密教修法「観音供」である「二間観音」を参考にしたとも。
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