桜🌸紅葉「東寺」完全制覇!おはぎ🍓大福「六孫王神社」「観智院」【伏見シリーズ】【京都駅シリーズ】
桜の時期は東寺&六孫王神社は絶対にセットです!東寺は、796年に鎮護国家を祈念する官寺として創建。平安京の正門・羅城門の東側に位置することから東寺と呼ばれた。時を同じくして西側に西寺も創建されたが、後に衰退して消える。東寺の寺域と伽藍配置は唯一現存する平安京の遺構であることから、1994年に世界遺産に登録されている。
東寺の正しい名称は「教王護国寺」であるが、823年に弘法大師・空海が建設中に入り真言密教の総本山にする。如来は言うことを聞かない人には明王に姿を変えるのだが、そのストーリーがわかるようにしたのが、有名な「立体曼荼羅」である。
ということで、通称名をメディアが使うから「東寺」とみんな言うが、京都の人は北野天満宮を「天神さん」と言うのと同じく、東寺を「弘法さん」と言う。
変更履歴
2024/07/14 動画「清和源氏の始祖を祀る神社様にて、宮司様にお話を伺いました!」(https://www.youtube.com/watch?v=8wtbFXVDkZQ)を追加
2023/10/30 動画追加(https://www.youtube.com/watch?v=a3F2dlxzXQo)
▼HP、アクセス、祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼簡易説明
796年:平安京の入り口に東寺と西寺が建立される
823年:嵯峨天皇が官寺として造営中の東寺を空海に下賜
この時は金堂と小さな僧房のみだった
824年:伽藍を本確定に造営される
835年:空海高野山へ
839年:講堂で立体曼荼羅完成
883年:五重塔が完成
1055年:落雷により五重塔が焼失し、経済的に苦しくなっていく
1197年:源頼朝の力添えで復興の道へ
1336年:足利尊氏が境内に本陣を構え、南北朝動乱の表舞台に
1486年:農民の土一揆で大被害・・・
1497年:講堂が再建
1568年:織田信長の本陣になり、おかげで傷つかず
1594年:豊臣秀吉、五重塔を再建
1603年:豊臣秀頼、金堂を再建
1635年:五重塔が焼失
1644年:徳川家光、五重塔が再建
▼見どころ
▽東寺(京都市南区九条町1)
桓武天皇は藤原種継の変死、弟・早良皇太子が淡路島に島流しで食さず餓死するなどがあり、長岡京から平安京に遷都するのだが、恐ろしいと東と西に寺を置いた。東側が「東寺」である。
京都を代表する大寺だが、ここも荒廃する時期がある!そう、廃仏毀釈だ!と言いたいところだが、鎌倉時代でピンチになる。ただ、そこは空海ゆかりの寺だけあって、権力者・源頼朝、神護寺再建に成功した僧、後宇多法皇などの力で時間をかけて修復していき、足利尊氏がこの周辺に腰を下ろし復興したようだ。その後は一揆などで、ガタガタになるが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家により再興し今に至る。
→唐賀門、宝蔵周辺:無料
京都駅やバスで来ると「唐賀門」から入ることが多いかと。確かに、ここから入ると名所巡りはしやすいかな。ただ、個人的には南大門からがオススメなのだが。。まあ~後ほど。
いきなり脱線したが、餅に戻します、違う・・元に戻ります。
あっ、宝蔵はですね重要文化財で、空海が唐から持ち帰った密教経典などを保管していたが、1000年と1127年に火災にあっている。屋根は今でも平安時代の瓦が残っているようで、そのうち国宝になりそうな気もする。
→伽藍
空海が来たとき、金堂以外の伽藍の造営は進んでいなかった。空海はまず、密教の中心伽藍となる講堂を建立し、その後、五重塔の建造に着手した。金堂、講堂、食堂と一直線に並ぶ伽藍配置にも密教の教えを込めており、薬師如来を本尊とする金堂、密教の教えを学ぶ講堂、僧が生活の中で仏の教えを日々実践する食堂はそれぞれ、仏教で重んじられた「仏・法・僧」の「三宝」に呼応している。
→🌸不二桜🌸、庭園から五重塔周辺:有料
→東大門(不開門):有料
→五重塔@国宝:有料(内陣は期間限定)
空海の指揮により50年もかけて完成させた。1055年に落雷で焼失した歴史があり、それ以外にも4度消失している。今は徳川家光が再興した五代目で京都のランドマークである(たぶん)。遠出の旅行は新幹線が多いのだが、五重塔を見て帰ってきた!という気分になる。
現存する日本の古塔中最高55mある国宝。消失の記録はあるが、地震による倒壊はないようで建築方法も注目される建物。(建築の知識は薄いので割愛)
心柱を大日如来とし、4方向に如来を配し「五智如来」となっている。この五智如来については、講堂で安置されています。南に宝生如来、西に阿弥陀如来、東に阿閦如来(アシュク)、北に不空成就如来となっている。この五重塔の内陣の如来は寺により違うことがあるので覚えておくのも良いかも。如来の脇侍は八大菩薩となっている。
昔は五重塔内陣にも曼荼羅が描かれていたようで、今でも当時の装飾が残っている。
高さ54.8mで木造のものでは日本一の高さとのこと。(2022年時点)
下層と上層の屋根の大きさが変わらない純和様建築もあり国宝となっているようだ。
↑↓瓢箪池から五重塔
瓢箪池に移る五重塔!!
↑↓金堂方面から五重塔:有料
→ 金堂@国宝 康正作「チーム薬師@重文」 :有料
796年に、空海が東寺に来た時には完成していた唯一の御堂である。講堂を先に拝観すると、迫力に欠けるかもしれないので、参拝順はこちらを先にするのが良いかと思う。
中央に2.9mの「薬師如来坐像@重文」、脇侍に「日光・月光菩薩立像@重文」と薬師三尊形式であるのだが、「十二神将@重文」と説明書がある。いない・・ということで本尊の台座下に十二神将がいた!!文殊菩薩は獅子に乗っているが、十二神将が薬師如来を担ぎ上げている感じもする。薬師如来坐像の光背の化仏7体も要注目ですね!!所謂「七仏薬師」で「薬壺」を持っていない旧式であるところも注目。
本尊・薬師如来坐像と脇侍の日光・月光菩薩の仏師は康正という仏師で、運慶系統の仏師のようだ。言われてみれば・・・。胎内物から「運慶末裔で七条仏所」と記されていたようだ。そのうち、醍醐寺あたりから何らかの裏付け資料が出るかも?(東寺の古書は醍醐寺に保管していたらしているようなので)
東大寺や平等院と同じく大仏の顔が見られるように小窓がある。
1486年の土一揆で金堂も焼失している。1603年に豊臣秀頼の寄進で再建された。専門家曰く、宋の影響に日本固有の和様を合わせた桃山文化の特徴であるとのこと。
↑↓金堂から五重塔
↑↓金堂から講堂
→講堂@重文 立体曼荼羅@国宝・重文:有料
真言密教の根本道場はここ。金堂と同様に一揆で焼失するが、すぐに再建する。現在の講堂は1491年再建。
空海はここを今の学校として利用していたそうな。と同時に、密教は難しいので、どういう風にすれば伝わるのか?考えたそうな、そうだ文章ではなく絵だ!ということで曼荼羅だが、いまいちだったのか、21体の国宝・重文の仏像を造ったそうな。
考えると朱色は神社のイメージがあるなあ~と思いつつ、堂内に入る。中央には如来ゾーン、右に菩薩ゾーン、左に明王ゾーンである。左右どちらからも入られるが、右から入る方が多いので、そちらから説明する。
先に行っておくとすべてが対になっている。神様には和魂、荒魂とあり、和魂はさらさに幸魂、奇魂と分かれているのと同じですね。
21体の仏像の配置は、密教の根本経典や鎮護国家の経典などを参考に空海が独自に考案したものである。
○如来ゾーン:五智如来@重文⇔神様では和魂
立体曼荼羅の中央の5体であり、宇宙の中心となる。創建当初の五智如来は、1486年に焼失。大日如来は室町時代で、他は江戸時代のもの。
中央「金剛界式大日如来坐像@重文」・・高さ3mほどの坐像。光背には37体の仏で、命あるものをすべて助けるために生まれた化身。
右奥「阿閦如来坐像@重文」・・・東北に安置され、降魔印が特徴で左手はお腹の前で衣の裾を握っている。って、出雲の観音と同じだ・・。
右手前「宝生如来坐像@重文」・・・盗難に安置され、与願印である。
左奥「不空成就如来坐像@重文」・・西北に安置され、施無畏印である。
左手前「阿弥陀如来坐像@重文」
○菩薩ゾーン:五菩薩@国宝⇔神様では和魂
五智如来が人々に教えを説くために変化した姿。839年作で金剛波羅密多菩薩@国宝は桃山時代から江戸時代の再興のもの。曼荼羅では金剛式曼荼羅の左上に描かれている。
中央「金剛波羅密多菩薩@国宝」
右奥「金剛薩埵菩薩@国宝」
右手前「金剛宝菩薩@国宝」
左奥「金剛業菩薩@国宝」
左手前「金剛法菩薩@国宝」
○明王ゾーン:五大明王@国宝⇔神様では荒魂
五智如来が人々に改心させるために変化した姿。不動明王以外は
日本人は天変地異で「しょうがない」と思う民族だと解釈する。ただ、ないほうが良いわけで、そこで荒々しい神様を丁重に祀ることで和魂になるとした。密教が日本で流行った仕掛けだと思う。
中央「不動明王坐像@国宝」・・・剣で煩悩を断ち切り仏に帰依するよう説法する。力づくで人々を助ける姿である。
右奥「金剛夜叉明王@国宝」・・・三面六臂 ※臂は腕の本数
右手前「降三世明王@国宝」・・・一面八臂。武闘派であらゆる武器を持ち、夫婦の神で踏んづけている。
左奥「大威徳明王@国宝」・・・・水牛に乗り、六面六臂六脚
左手前「軍荼利明王@国宝」・・・四面八臂。顔に眼がつあるのは現在・過去・未来を示す。
堂内には「四天王@国宝(多聞天、持国天、広目天、増長天)」と三面四臂の「梵天@国宝」、仏像界の男前「帝釈天@国宝」も安置されている。奈良の梵天・帝釈天は立像が多いのだが、東寺はそれぞれガチョウ×3、象に乗る様式なので、そこも注目。
〇仏像界の男前「帝釈天@国宝」
男前イケメン仏の代表で、足の親指が上を向いているところがマニア目線??ただし、専門家曰く、後世の補修も多い仏像であるとか。
〇高野山、浄瑠璃寺などと同じ最強「四天王@国宝」
立体曼荼羅の迫力で影が薄いが、高野山、浄瑠璃寺、興福寺など素晴らしい四天王に入る。邪鬼も良い感じで注目ポイントだが、一番面白いのは、多聞天の台座だろうか。邪鬼ではなく、毘沙門天やトバツ毘沙門天の場合に多い、地天女と2鬼が支えている様式になっている。
チーム本尊が重文なのは1486年に焼失したそうな。そのため重文のようですね。残っていたら確実に国宝だろう。なお、この東寺は奈良仏師も携わっているようだ。定朝から分かれだした慶派の走りがいるのかもしれない。
最後に不動明王は日本最古の不動明王で空海作との噂もある。
↑↓講堂から五重塔
→食堂、夜叉神堂:無料
元々は南大門と金堂の間にあった中門に安置されていたよう。医療が完全じゃない時代に、人々は祈ったそうな。
食堂は「じきどう」と読み、元来は僧侶が集まって食事をするところで、創建は843年。千手堂と呼ばれたことがある食堂の本尊は十一面観音立像だが、今は新しい十一面である。本来の本尊は宝物館の2階で大事にされている。
ここからぐるっと周って南大門に進みます。
→南大門@重文(三十三間堂移築):無料
ここから入るのが正式のようだ。金堂@国宝、講堂@重文、食堂が一直線に並び「仏」「法」「僧」を指す。ただ拝観入口は北側なのが残念なんですよね。
幅18m、高さ13mあり、安住桃山時代の彫刻が特徴。
安土桃山時代の建造物で重要文化財に指定されているのだが、当時のものではない。いや、東寺のものではない!?(後ほど)
現在の南大門が今の場所に建てられたのは1895年なので新しい。ただ、三十三間堂にあった西門を平安遷都1100年を記念して東寺に移築したので知っていると見方が変わる。かつての南大門は、運慶と湛慶の作と伝わる仁王像が安置されていたが、明治に火事で焼失している。。。。
→八島社:無料
東寺より前に鎮座している神社!?
祭神はオオクニヌシの別名「オオムナチ」とまさかの出雲系ですね。京都の豪族・賀茂氏、秦氏も出雲繋がりはあるので変ではないが、どちらかというと出雲大神宮か大神神社つながりに感じる。
→鎮守八幡宮:無料
東寺創建の時に鎮守社として創建した神社。東大寺などもしかりで、なにかと権威・権力者は八幡神を好む。時代劇でも武将は八幡神の幟を持っていますよね。
空海作の八幡大菩薩を祀る神社。明らかに東大寺を意識していますよね?と思わずにいられない。ちなみに八幡大菩薩は3体あり国宝なんだそうです。
→灌頂院(かんじょういん):4月21日のみ公開。天皇宮中祭祀!
4月21日は公開されるようだ!そう、東寺=4月21日ですね。ネットで調べたりすると。皇族から勅使も来るところで、鎮護国家、玉体安穏を祈る真言密教を繋げていくところでもあるようだ。
東寺にも古寺に必ず?ある「阿加井」がある。ちなみにこの阿加井は二条城近くの神泉苑と繋がっている。
ここが使われるのは、毎年1月8日からの7日間で「後七日御修法」と正月の「伝法灌頂」と「結縁灌頂」のみで、一般人は結縁灌頂しかない。
非公開寺院なので外からしか見れない。ただ、東門は重文とされ特別拝観には来たいところ。ここは2006年に海外の方の美術展で公開されたようだ。。ざ、斬新な公開方法だ・・。
北門から入れるかなとも思ったが無理でしたね・・・。背後の桜を撮るのだが、ここには来る人は少なく、いわゆる穴場ですね。
→本坊、通常非公開・小子坊
小子坊は天皇をお迎えするときの門ですね。
→毘沙門堂、経蔵、大日堂:無料
毘沙門堂は、平将門の乱に際し、トバツ毘沙門天@国宝が安置されたお堂。毘沙門は現在、宝物館で見仏できる。
毘沙門堂の本尊はトバツ毘沙門天立像@国宝なのだが、今は宝物館で安置されている。
しかし檜皮葺はやはり良い!大師堂@国宝には秘仏「不動明王@国宝」が安置されている。
下の写真真ん中に「天降石」がある。この石を触り悪いところを摩るとよいらしいのだが、宝物館に「賓頭盧尊者像(びんずる)」があったけど。。まあ~宇宙=大日如来@密教=アメノミナカ@神道ということにしておきましょう。
境内奥には空海が眠る高野山の遙拝所があるのだが、寺で遙拝所は珍しいような・・。空海の身は高野山!心は東寺!
不動堂奥には秀吉が好きだったと解説する寺が多い、「三面大黒天」がここでも安置されている。
大黒天・毘沙門天・弁財天が合体した三面大黒天を安置するが、開扉はしていなかったですね。残念。。。
しかし、この大黒天は神仏習合でオオクニヌシと習合した。そういう意味では南大門近くにあった八島社ともリンクするなと思った。
鐘楼の後ろ右を向くと大日堂。堂内には日本最古の胎蔵界大日如来坐像を安置している。明治時代に、桓武天皇、足利尊氏などの位牌も安置されたようだ。
→御影堂@国宝(弘法大師@国宝):無料
司馬遼太郎が友人との待ち合わせ場所はココらしい!?
空海の住居ともいわれているので大師堂は国宝である。空海はまだ生きている!これが高野山で言われることなのだが、ここも同じなのか、1日3食をきっちり用意されるそうな。
今でも毎朝6:00の開門を待ち、早朝儀式に集まる人々がいる。門が開くと御影堂@国宝に入り、お経を唱えている人々。正面の黄金色の厨子が開くと「弘法大師坐像@国宝」が現れる。ただし、顔は隠れており、これは空海はあなたの心の中に!という意味で隠しているようだ。これって、日本の神様の考えですね。
そして、毎日の朝昼に「生身供」という食べ物を用意している。つまり、空海は生きている!ということを意味し、これは高野山と同じである。その答えは、御影堂裏に行けばわかり、前述のとおり「空海が眠る高野山の遙拝所」に、その理由が記されている。
御影堂の「弘法大師@国宝」は慶派・康勝作。運慶四男・康勝は東寺南大門の金剛力士像、六波羅蜜寺・空也上人像の仏師でもあり、奈良・円成寺の四天王像も康勝作とか。
なぜ、運慶直系の仏師が仏像を作ったかというと後白河法皇の皇女が空海に帰依し、お願いしたようだ!やはり、良い仏像&良い仏師には、金がかかる(笑)
ただ、元々は空海作の念持仏・不動明王が本尊だったらしいのだが、秘仏で東寺の僧でも目にしたことがない仏像だとか。って、まだあるのだろうかね・・。
唐で仏教を学び帰国すると入京は許されず、大宰府・観世音寺に留まり、その後に今の大阪で移る。嵯峨天皇が入京を許され、神護寺、乙訓寺、高野山で修業をする。
時代は流れ、普及させるべく、東寺で各宗派の知識があるものが寺の代表になる時代に「真言宗専門の寺」にして今に至る。
空海の身は高野山で心は東寺にあると伝わる。
最後に京都駅方面には伏見稲荷大社の旅所がある。これは空海が東寺を繁栄させるべく、お堂を建てるときに誤って伏見稲荷大社の御神木を伐採してしまい詫びたようだ。それから旅所が設けられたとされる。が、空海の母は伏見稲荷大社ゆかりの人でもあるようで、真実はいかに・・・。
→蓮花門@国宝:無料
空海が高野山へ向かう時に、ここまで不動明王がお見送りに来たそうな!?その時に足元を見ると蓮華があった・・・。ということで蓮華門!?
▽世界遺産・東寺で終い弘法(12月21日)
▽手作り おはぎ「巴屋」10:00営業。AMに売り切れ必死!
西門から出たらすぐです!京丹後市に世界一おいしい「ぼた餅」も良かったですが、こちらの方が私は好きです。正直、店と気づかない人もいるかと。私も通り過ぎたようで、さっき2人並んでいたな・・と戻るとそこだった。
西門を出て信号わたってすぐです!!!
イートインはないので大事に持って帰りましたが、ちょっと型崩れ・・。きな粉と餡の2種類しかないです。
▽東寺宝物館(9:00から)
他の京都の神社仏閣と同じく度重なる戦乱や災害により、境内には創建当初の建物は残っていない。しかし、空海が唐から持ち帰った密教法具など宝物が多く残っている。
2022年時点で、国宝に指定されている寺宝は25件・81点、重要文化財は58件・2万4125点に上る。信仰と歴史を物語る数々の至宝は密教美術の宝庫とされる。
○2022年4月
1階には25年ぶりに「東寺展」で公開された「二間観音@重文」が見どころだった。
○2階
仏像コーナーで、左からトバツ毘沙門天立像@国宝、地蔵菩薩半跏像、千手観音立像@重文、地蔵菩薩立像@重文となっている。また、金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅もある。
トバツ毘沙門天立像@国宝・・・平安京羅城門に安置され、食堂でも祀られたとも
千手観音立像・・・・・大きい!部屋が狭い!目は絶対合わない・・。
地蔵菩薩半跏像
地蔵菩薩立像@重文・・食堂に安置されたものだが、元々は西寺のもの
愛染明王
夜叉神立像@重文
如来
地蔵菩薩立像は西寺から来たともいわれている。
↑↓北大門周辺:東寺⇔観智院「大元堂」「弁天堂」「善如龍王」
善財天の宮は工事中でしたね。観智院へ!
善女大龍王も工事中でしたね。観智院へ!
観智院に向かうと看板が出ていて奥を見るとお堂があることに気付く。「太元堂」である。
空海と同じく唐に渡った「恵運(えうん)」に関係するお堂。唐から勧請した「大元帥明王」を安置する。開運の御利益がある。
じゃ、観智院方面に戻るかと思い右を見ると何かあるな・・。
工事中だと思っていた「弁財天」のお堂があった。
善財天裏側に行きます。一番奥に「善女大龍王」の社があった。東寺・空海と西寺の僧との雨乞い合戦にゆかりのある社のようですね。
▽観智院@国宝:有料(京都市南区九条町1)
東寺の北門を出て真っすぐ行くと右手にある東寺の子院。21日の弘法大師の日に行くと人は多いわ、屋台だらけなのでが、それ以外は落ち着いた雰囲気。
恵運につながりが強い寺で、この寺で有名な五大虚空蔵菩薩は京都市山科区にある名刹・安祥寺に安置されていた仏像!安祥寺といえば国宝・五智如来も安置している知る人ぞ知る寺だが、まさかの繋がり・・。
桜の時期(2022年)と紅葉の時期(2019年)で人が違いますね。。というか時間ですね。2022年は8時から東寺を拝観して9:30にはここに来たので。
書院は宮本武蔵が描いた「鷲の図」「竹林の図」がある。剣士のイメージだが、晩年は画家でもあったそうな。2022年は平日の朝に行ったのか、誰もいないので、説明を聞かざるを得ない状況になった。。
六地蔵が端の方にいますが、2022年は2009年の時みたいに近くに行けなかったですね。。
御堂には右側に蔵王権現などが安置されている。本尊は愛染明王坐像。そして虚空蔵菩薩坐像×5体ですね。
安祥寺は次の通りです。五大虚空蔵菩薩はどこに安置していたのか気になるところ。ここに安置された背景には安祥寺の荒廃があったような。修復してここに安置したとか。
右から順に
金剛虚空蔵菩薩@重文・・・・台座は獅子
宝光虚空蔵菩薩@重文・・・・台座は象
法界虚空蔵菩薩@重文・・・・台座は馬
蓮華虚空蔵菩薩@重文・・・・台座は孔雀
業用虚空蔵菩薩@重文・・・・台座は迦楼羅(かるら)
ああ~2022年↑と2009年↓違う気がする・・。NOTEを書いていて違いに気づいた・・。違和感はこれだったのかも。
空海が唐から無事帰られるようにという意味を込めた舟の形をした石があったのだが、いつの間にかなくなっている。。工エエェェ(´д`)ェェエエ工
2009年の方が良かった気がしますね。。順路に進み、中庭へ。中庭は10年前も同じ風景が残っています。
→茶室・奥の席
茶室なんだそうな。上級武士らが楽しんでいた書院風の茶室。
▽六孫王神社(京都市南区八条町509)
東寺の近くに鎮座する神社。 祭神は清和源氏始祖・源経基で、春は枝垂れ桜、ソメイヨシノ、鬱金桜が咲き乱れる。
神社名は、祭神が清和天皇から数えて第六皇子の子で、孫だから「六孫王」です。って、そのまんまですね(笑)
後裔には源義頼光・頼政・木曽義仲・頼朝や、足利・新田・細川・島津・山名・今川・明智・小笠原・徳川等の武将の祖である。つまりは、武将が八幡神を重要にしているのも、継承なのかも知れない。
この地は経基の邸宅のあった場所で、その子・源満仲(みつなか)が961年頃に社殿を建立したといわれている。
太鼓橋は「恋の(鯉)架け橋」と言われているそうな。
橋を渡ると神龍池があり、六孫王が龍神となって池に住み、子孫繁栄を祈るとされている場所がある。
相殿にアマテラスと八幡神を合祀している。本殿背後の石の基壇からは経基の遺骸を納めた神廟があるようだが、本殿近くには近づけないようになっている。
来た参道に戻り、摂社・末社へ!
満仲誕生で産湯に使った井戸に、琵琶湖の竹生島より弁財天を勧請した「誕生水弁財天社」がある。本殿に向かってだと右手で、鳥居に戻る場合は左手ですね。
今昔物語に「六の宮」とも呼ばれ、芥川龍之介が「六の宮の姫君」にも載せている。また、小泉八雲の「怪談」には、「弁天の同情」と題して不思議な夫婦の出会いの話が紹介されており、今では知る人ぞ知る神社だが、歴史的に継承された古社である。
社殿は階段を少し下りたところにあるのも珍しい。
誕生水弁財天社右には、誕生水があるようだ。
そしてどの神社にも摂社・末社があるお稲荷さん。
最後に境内左から境内中央の池・神龍池へ。
▽見水不動明王堂(児水不動、兒水不動)
北側にはJR新幹線が走っている。そちらを見ると京都独特の謎の地蔵さんかなと思うのが見えたので行くと、お不動さんだった。
源実朝の妻・本覚尼が夫の菩提を弔うために建立した遍照心院の門前にあったものだそうだ。
↑↓東寺:北門
▽日の出老舗🍓苺大福🍓(京都市南区八条町425)
▼お祭りなど
▽弘法市
▼旅行記
▼セットで行くところ
▼仏像展
▽特別展「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」
▽2020年 奈良国立博物館「毘沙門天 北方守護のカミ」
トバツ毘沙門天立像と言えば、東寺ですかね!さすが国宝です。展示では東寺を参考に作られたトバツ毘沙門天が多く展示していた。
▽2017年 京都国立博物館「国宝展」
京都国立博物館 開館120周年記念特別展覧会『国宝』◆宝物館に安置されている「兜跋毘沙門天立像@国宝」が展示されていた。四天王の広目天が単独で祀られた場合、毘沙門天となり、決まった様式にはまった場合「トバツ」となる。兜跋毘沙門天は珍しい仏像だが、古刹・古寺に行くとお目にかかることが多い。どこも型が同じなので、違いを見つけるのは難しい仏像だが、自由が効くのは邪鬼ぐらいかも。ただ、快慶作の兜跋毘沙門天は別格だったな。。。
#東寺
#六孫王神社
#観智院
#神社仏閣
#神社
#仏像
#京都
#京都市南区
#国宝
#世界遺産
#慶派
#薬師三尊
#チーム薬師
#アマテラス
#オオクニヌシ
#武内宿禰
#桜
#東寺
#六孫王神社
#官寺
#平安京
#羅城門
#世界遺産
#源義頼光
#源頼政
#源頼朝や
#教王護国寺
#弘法大師
#空海
#立体曼荼羅
#教王護国
#弘法さん
#空海
#高野山
#五重塔
#足利尊氏
#織田信長
#豊臣秀吉
#豊臣秀頼
#徳川家光
#桓武天皇
#藤原種継
#早良皇太子
#長岡京
#平安京
#廃仏毀釈
#後宇多法皇
#唐賀門
#東寺餅
#不二桜
#大日如来
#五智如来
#宝生如来
#阿弥陀如来
#阿閦如来
#不空成就如来
#八大菩薩
#康正
#慶派
#チーム薬師
#薬師如来
#日光菩薩
#月光菩薩
#十二神将
#文殊菩薩
#七仏薬師
#運慶
#講堂
#金剛波羅密多菩薩
#金剛薩埵菩薩
#金剛宝菩薩
#金剛業菩薩
#金剛法菩薩
#不動明王
#金剛夜叉明王
#降三世明王
#大威徳明王
#軍荼利明王
#四天王
#梵天
#帝釈天
#十一面観音
#南大門
#湛慶
#八島社
#鎮守八幡宮
#八幡大菩薩
#灌頂院
#天皇宮中祭祀
#後七日御修法
#伝法灌頂
#結縁灌頂
#毘沙門堂
#経蔵
#大日堂
#大師堂
#天降石
#御影堂
#弘法大師
#康勝
#巴屋
#二間観音
#愛染明王
#夜叉神立像
#観智院
#大元堂
#弁天堂
#善如龍王
#宮本武蔵
#六孫王神社
#源経基
#源満仲桜