★特別展★『石山寺-密教と観音の聖地-』『源氏物語と大津~光る君へ紫式部~』in大津市歴史博物館
光る君へに乗っかって様々なイベントをする滋賀・大津!その1つが石山寺です。石山寺は、紫式部が『源氏物語』を書いた寺でもあり、光る君では紫式部と藤原道真がチョメチョメしたようで、Xで寺の関係者がつぶやくなど2024年注目の寺「石山寺」の特別展!!
2024年、大津市歴史博物館で、これでもか!!と石山寺の宝物が出展された。常時展では「光る君へ」関係のものがテンコ盛りで、これで1000円という超お得価格で満足な展示会!JAF会員は800円・・・・ありえないコスパ・・・この満足感!
寺の成り立ちや寺にまつわる出来事が描かれた「石山寺縁起絵巻」は7巻すべてが展示されていた。そして藤原道真と紫式部など、光る君へのシーンも見られる!!
ここで脱線。2024年の石山寺公式Xより・・・
あと、大津市歴史博物館併設の食事処は今までスルーしていたが、12:30ぐらいで腹ペコだったので入ってみたら美味しかった。こちらもJAFでお得なサービスあり!!今後、大津市歴史博物館に行ったら寄ると思いますね。
変更履歴
2024/11/20:初版
▼公式HP
石山寺展公式HP:https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/2408_k96.html
▼博物館
大津市歴史博物館
続きは後述の「▼『源氏物語と大津』第6期:11月19日(火曜)~2025年2月2日(日曜)」です。
▼展示会と石山寺の説明
石山寺について
琵琶湖の南にあって、唯一湖水が流れ出る瀬田川の西岸にある
紫式部が『源氏物語』の着想を得たといわれ、『枕草子』などにも登場する文学の寺
本堂が国指定天然記念物の「石山寺硅灰石」という巨大な岩盤の上に建つ
その昔、聖武天皇が東大寺大仏を金色に輝かせるため大量の黄金を必要とし、良弁に命じて、黄金が得られるよう吉野の金峯山に祈祷させた
良弁の見た吉野の金剛蔵王の夢告によれば、「金峯山の黄金は、弥勒菩薩がこの世に出現する56億7千万年の後、この地を黄金で覆うために用いるためにあるから今は使えない。近江国志賀郡、湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地があるから、そこへ行って祈るがよい」とのこと
747年、金剛権現のお告げにしたがってその地を訪れた良弁は、比良明神の化身に導かれて、巨大な岩盤の上に聖徳太子の念持仏・金銅如意輪観音像を安置し祈祷を行ったところ、ほどなく陸奥の国から黄金が産出され、その祈祷の成就によって、元号が天平勝宝と改められた
しかし、何故かその如意輪観音像が岩から離れなくなってしまったため、その像を覆うように堂宇を建てたのが石山寺のはじまりと伝えられている
その後、国家的な事業として伽藍の整備がはじまり、本尊の塑造如意輪観音像と脇侍の金剛蔵王像、執金剛神像は、本尊胎内には聖徳太子念持仏の6寸金銅如意輪観音像を納めて奉安された
本尊・如意輪観音像の霊験が多くの人々の信仰を集めた
平安時代には、「淳祐内供(しゅんにゅうないぐ)」の入寺などを契機に真言密教の影響を受け、学僧たちが学問に励む場となった
石山寺中興の祖は「淳祐内供」で、菅原道真の孫にあたる
淳祐は膨大な著述を残しおり、その自筆本は石山寺に多数現存し、「匂の聖教(においのしょうぎょう)」と呼ばれて国宝
『枕草子』、『蜻蛉日記』、『更級日記』などの多くの文学作品に登場することで知られ、紫式部が『源氏物語』の着想を得たのも石山寺であったと言われている
教学が花開いた学問の寺としての側面を持っている
本尊の秘仏・如意輪観音像は、聖徳太子の念持仏を胎内仏として納め、その伝承により、縁結び、安産、福徳などに霊験あらたかな観音さまとして知られている
西国三十三所観音霊場の第十三番札所
お先に私の石山寺NOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/nf3463b4328bb)
展示会について
石山寺に伝わる貴重な寺宝が一堂に会し、『石山寺縁起絵巻@重文』を全巻展示
近年の調査で新たに確認された仏像・仏画・聖教類を初公開
多宝塔が雨漏りで!?快慶作の「金剛界式大日如来坐像@重文」が急遽参加!!!
近江屈指の古刹・石山寺の歴史と仏教文化多すぎで、奈良や京都の有名神社仏閣との関係も勉強できる
▼動画紹介という名の予習(リンク)
▼ニュースメモ
▼『石山寺-密教と観音の聖地-/源氏物語と大津』
|-第1章 草創と本尊の変遷
3:仏像:金剛蔵王立像断片@重文
本堂裏の壊れた仏像ですね。仏像好きは分かる!この姿は蔵王権現だなと!!
公式HPに載っています。(https://www.ishiyamadera.or.jp/about/treasure)
7-3:仏像:如来立像@重文/7-4:観音菩薩立像@重文 /7-5: 菩薩立像@重文/7-6: 観音菩薩立像@重文
如来立像@重文
金銅仏で火事で欠損した仏像があると記され、特徴からこの仏像と推測されている。飛鳥時代独特の特徴があるが、中国、朝鮮半島からの仏像とも言われている。金属の調査によると訛りの含有率から朝鮮半島の仏像の可能性が高いそうだ。観音菩薩立像@重文
百済仏像で法隆寺(私のNOTE)の観音菩薩立像のNo.186・187・189に酷似している。鉄などの含有量から日本製だが、裙が短いなどから地方仏師の技術が成熟していなかったときの仏像とも。菩薩立像@重文
観音菩薩立像@重文
本尊胎内仏4体です!!本尊胎内には仏舎利も入っており、この仏舎利はなんと東寺(私のNOTE)のものだったようだ。。ただ、前述の通り胎内仏は時代が異なるなど当初からのものかは不明のよう。実際に『正倉院文書』にも胎内仏については記載がないため不明なんだそうな。
その他の細かいところは、公式HPに載っていので割愛します。(https://www.ishiyamadera.or.jp/about/treasure)
本尊は、天皇の許可なしでは御開帳されない如意輪観音ですね。私は2回見仏しています♪少し脱線して本尊を見仏した時の過去旅行記を抜粋します。この本尊の胎内仏は初めて見仏しました。と言いつつ、宝物館などで見仏しているかも・・・
8 石山寺 ◎ 仏涅槃図 1幅 絹本着色 鎌倉時代 前期
9 石山寺 石山寺涅槃会願文 1巻 紙本墨書 室町時代 後期 初出陳
10 石山寺 涅槃会料米下行注文 1通 紙本墨書 寛元4年(1246) 後期 初出陳
|-第2章 密教と学問の寺
11 石山寺 石山寺座主次第 1通 紙本墨書 江戸時代 通期 初出陳
12 石山寺 石山寺相承血脈集 1冊 紙本墨書 江戸時代 通期 初出陳
13:弘法大師像
14:略述金剛頂瑜伽分別聖位修證法門@国宝(薫聖教のうち) 1巻 紙本墨書 天慶6年(943) 前期 初出陳
15:梵字胎蔵真言@国宝(薫聖教のうち) 1巻 紙本墨書 平安時代 後期
この展示会で知った「淳裕」と「空海」の物語。淳裕は菅原道真の孫で石山寺を整備した人物で、寺運が隆盛し天皇はじめ多くの皇族や貴族が参拝に訪れるようになるきっかけを作ったキーマンとも。
16:普賢院筆跡匂聖教建武目録/17 石山寺 普賢院内供筆跡聖教目録 1冊 紙本墨書 江戸時代 通期
この展示会で知った石山寺所縁の「普賢院」ですね。
18:史記 巻第九六・九七残欠@国宝/19:玉篇 巻第二七@国宝/20:延暦交替式@国宝/21:漢書 高帝紀下@国宝
国宝祭りだったので記しておきます。
22:仏像:如意輪観音坐像:平安時代
石山寺の本尊である如意輪観音は一面二臂の旧型如意輪観音(造語)だが、この仏像は石山寺で一番古く一面六臂の一番多い様式の如意輪ですね。姿自体が、鎌倉時代にも続く作例の多いお姿で、仏像好きは一発で如意輪とわかるはず。面白いのはサクラの一木造りという所ですね。どこか醍醐寺の如意輪観音に似ている気がするのは私だけ?
23:仏像:不動明王立像:鎌倉時代:初出陳
今回の展示のキーワードは「淳裕」と「法輪院」だなと思っている。この不動明王は、なかなか見たことがない不動明王ですね。いろいろなところは不動明王の約束事(様式・形式)を遵守しているが、腰のくねらし方と頭の角度、顔の表情が、運慶工房がやりそうなことを表現している。私見では、運慶よりも奇才の空気感を持つ康円や源慶がやりそうな感じがした。
この不動明王の台座は磐座になっており、いわゆる不動明王三尊形式の構成である。背後には「普賢院/1594年」と書かれており、石山寺以外で安置されていた歴史がある。ただし、台座・脇侍は後世のものなんだそうな。
展示会では運慶の父・康慶が造ったとされている香川・與田寺(与田寺(私のNOTE))と似ているため、慶派で間違いないだろうとのこと。
25:雑阿含経 巻第一@重文:奈良時代:初出陳
前期なので観ていない。
26:大智度論 巻第八六(石山寺一切経のうち)@重文
100巻中41巻を石山寺を持つ。
27:雑宝蔵経 巻第四@重文:奈良時代:初出陳/28:出三蔵記集 巻第四@重文:平安時代:初出陳/29:阿毘達磨大毘婆沙論 巻第一@重文:初出陳/30 :大方広宝篋経 巻下@重文/31:法華経法@重文(校倉聖教のうち):初出陳/32:禅林寺内供宮灌頂日記・諸師灌頂太政官牒文@重文/平安時代/33:範賢灌頂記@重文:初出陳/34:四種類聚抄 巻第三@重文:平安~鎌倉時代:初出陳/35:大毘盧遮那成仏神変加持経義釈演密鈔 巻第二@重文:初出陳/36:金剛界灌頂次第@重文/37:大毘盧遮那経義釈 第十末@重文/38:行歴抄 1巻 紙本墨書@重文
難しいっす。お経ですね。「石山寺一切経」です。
3 密教図像の世界
以下が公開されていました。
39:大悲胎蔵三昧耶曼荼羅図@重文(校倉聖教図像函のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 永万元年(1165)
40:蘇悉地手契印図@重文(校倉聖教図像函のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 平安時代 前期
41:金剛界三昧耶曼荼羅図@重文(校倉聖教図像函のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 平安時代 後期 初出陳
42:青龍寺三昧耶形@重文(校倉聖教のうち)
平安時代から鎌倉時代のもので初出陳です。醍醐寺のものです。43:行林抄 巻第四@重文(校倉聖教のうち) 1巻 紙本墨書・墨画淡彩 鎌倉時代 前期 初出陳
44:行林抄 巻第四六・四七@重文(校倉聖教のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 鎌倉時代 前期 初出陳
45:金輪仏頂法@重文(校倉聖教図像函のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 鎌倉時代 前期 初出陳
46:胎蔵三昧耶敷曼荼羅@重文(校倉聖教図像函のうち) 1枚 紙本墨書・墨画 平安時代 前期
47:胎蔵図曼荼羅抄@重文(校倉聖教のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 平安時代 後期 初出陳
48:金剛界曼荼羅図等@重文(校倉聖教のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 承安2年(1172) 前期 初出陳
49:理趣経曼荼羅図@重文(校倉聖教のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 平安時代 後期 初出陳
50:太元法聞書@重文(校倉聖教図像函のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 正嘉2年(1258) 後期 初出陳
51:法身三密観図@重文(校倉聖教図像函のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 天養元年(1144) 後期 初出陳
52:大日経護摩壇様@重文(校倉聖教のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 仁平2年(1152) 前期 初出陳
53:四種軍荼図@重文(校倉聖教のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 鎌倉時代 後期 初出陳
54:図像集 巻第五 提婆本@重文(石山寺一切経のうち) 1巻 紙本墨書 平安~鎌倉時代 前期 初出陳
55:香要抄@重文(校倉聖教のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 建久3年(1192) 後期 初出陳
56:諸経法等@重文(校倉聖教図像函のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 鎌倉時代 前期 初出陳
57:北斗惣明咒@重文(校倉聖教のうち) 1巻 紙本墨書・墨画 平安時代 後期 初出陳
58:北斗次第指尾法@重文(深密蔵聖教のうち) 1帖 紙本墨書・墨画 平安時代 通期 初出陳
59:仏説護諸童子陀羅尼経@重文(校倉聖教のうち) 1帖 紙本墨書・墨画 平安時代 前期 初出陳
60:不動明王二童子像@重文(校倉聖教図像函のうち) 1枚 紙本墨画 平安時代 前期
61:不動明王二童子像@重文(校倉聖教図像函のうち) 1枚 紙本墨書・墨画 平安~鎌倉時代 前期
62:不動明王二童子像@重文(校倉聖教図像函のうち) 1枚 紙本墨書・墨画 平安時代 後期
63:不動御面図@重文(校倉聖教図像函のうち) 1枚 紙本墨書・墨画淡彩 仁安3年(1168) 後期
64:俱利伽羅三童子像@重文(校倉聖教図像函のうち) 1枚 紙本墨画 平安~鎌倉時代 後期
65:釈迦如来像@重文(校倉聖教図像函のうち) 1枚 紙本墨書・墨画 鎌倉時代 後期
4 受け継がれる教え―江戸時代の宝物整備―を纏めて
割愛します。。m(__)m
|-第3章 石山寺と戦乱
石山寺と権威・権力とのやり取りされた書状など
77:建久年中検田帳@重文/78:石山寺文書紛失状等案/79:源實清書下案
80:足利直義書下
81:六角氏頼遵行状/82:京極高秀遵行状/83:室町幕府奉行人連署禁制/84:室町幕府奉行人連署禁制案/85:定置条々/86:板倉勝重・圓光寺元佶連署掟書案/87:板倉勝重禁制案/88:板倉勝重禁制/89:牧野親成禁制/90:石山寺制札寺号一件口上覚
権威・権力者の書などですね。
|-第4章 観音信仰の霊場
今でも人気の観音様は相手に合わせて三十三の姿に変化する。この三十三は西国三十三などにも通じ仏教界では重要な数字である。
西国三十三札所は「◆関西①◆西国三十三所 草創1300年記念 特別拝観★2016年から2020年までの記録」参照です。
91:仏像:如意輪観音坐像@重文:平安時代
旧御前立です。前述の通り、本尊は秘仏なので閉扉しているときは御前立が居ます。公式HPに載っています。(https://www.ishiyamadera.or.jp/about/treasure)
なら博でも出展されてようですね。『観音のみてら 石山寺』でも出展されたようですね。いつも主役のようです。平安時代の御前立って考えてみると凄いなと。
92:仏像:如意輪観音坐像:平安~鎌倉時代
法論院持念堂の本尊だったようだ。
一面二臂の旧型如意輪観音ですが、顔はシュッとしており、石山寺の如意輪たちとは顔や体躯も違うが、一面二臂の如輪の様式・形式は守っている。特徴は玉眼であることで三十二相を守っているところも良い。円派や院派が造りそうな仏像だなと思った。個人的には如意輪に蓮華って面白いなと思いつつ、元々は聖観音で石山寺に移すときに如意輪に変えたのではないかとも疑ってみたが、本尊も右手に宝珠をのせた蓮華を持ち、左手を下へと垂らした左足の膝上に手のひらを上向きにのせているので、顔と体躯以外は本尊と同じだなと気づく。
『観音のみてら 石山寺』でも出展されたようですね。上から2つ目の写真です。
93:仏像: 南無仏太子立像:鎌倉~南北朝時代
現在は法輪院に安置されている小さめの聖徳太子2才像でした。聖徳太子像が元々は本尊で、本尊を守るべく現在の本尊の胎内に入れて守ったという説があり(本尊はガンダムだが、本当の本尊は胎内のアムロ!?)、もしやこの仏像が本尊ではというのは無理があるか。これが正解なら、数多く造られている聖徳太子二才像より小さいのも納得するが、時代的に違うな・・・。
94:仏像:三十三応現身立像のうち梵王身・童男身・夜叉身:鎌倉~南北朝時代
本堂の宮殿に安置され、三面四臂の「梵王身」、童子の男を意味する「童男身」と「夜叉身」である。
本堂の宮殿に左右に分かれて2列で並んでいる。江戸時代は千手観音を守護する二十八部衆と記されているが、正しくは「三十三応現身立像」である。
三面四臂の「梵王身」
通常は一面二臂か三面臂で慈悲相だが、ここは憤怒なのが面白い。ファーストコンタクトは馬頭観音と思ってしまった・・・童子の男を意味する「童男身」
角髪で左足を前に出している。こちらは大黒さんと思ってしまった・・・「夜叉身」
三十三応現身立像の名称は変身する三十三という数からで、西国三十三札所も観音を安置する古刹を33寺で構成されている。結構な数の見仏をしていると思うが、なかなか三十三応現身立像はレアで出会えない。仏画と仏像のいずれかで表現され、仏像は、鎌倉・長谷寺(私のNOTE)ぐらいで、京都でもない。京都では、三十三間堂(私のNOTE)、清水寺奥の院(私のNOTE)、宝積寺(私のNOTE)となるが、本尊光背の化仏のような感じで、実際に単独で仏像になっているのはない。いや、あったのだろうけど、応仁の乱などで無くなったのだろうと思う。実際に、長谷寺以外でも三十三応現身立像を安置する寺はあるが、フルコンプリートしているところは少ないようだ。
ということで、三十三応現身立像を紹介しておく。
仏身(ぶっしん)
辟支仏身(びゃくしぶつしん)
声聞身(しょうもんしん)
梵王身(ぼんおうしん)
帝釈身(たいしゃくしん)
自在天身(じざいてんしん)
大自在天身(だいじざいてんしん)
天大将軍身(てんだいしょうぐんしん)
毘沙門身(びしゃもんしん)
小王身(しょうおうしん)
長者身(ちょうじゃしん)
居士身(こじしん)
宰官身(さいかんしん)
婆羅門身(ばらもんしん)
比丘身(びくしん)
比丘尼身(びくにしん)
優婆塞身(うばそくしん)
優婆夷身(うばいしん)
長者婦女身(ちょうじゃぶにょしん)
居士婦女身(こじぶにょしん)
宰官婦女身(さいかんぶにょしん)
婆羅門婦女身(ばらもんぶにょしん)
童男身(どうなんしん)
童女身(どうにょしん)
天身(てんしん)
龍身(りゅうしん)
夜叉身(やしゃしん)
乾闥婆身(けんだっぱしん)
阿修羅身(あしゅらしん)
迦楼羅身(かるらしん)
緊那羅身(きんならしん)
摩睺羅伽身(まごらがしん)
執金剛身(しゅうこんごうしん)
95:西国三十三所観音図 :南北朝時代
ない・・・11しかない!!そう3福で1つだったようだ・・・。ちなみに西国三十三札所は時代によって回る順番が変わっている。
興味がある方は私の西国三十三札所巡りをどうぞ!!
96:懸仏(本堂内出土品):室町時代:初出陳
説明は割愛します。
97 石山寺 □ 西国三十三所巡礼札 9枚 木製・金属製 室町~江戸時代 通期
次のXのようなものが並んでいました。天皇即位ごとに御開帳された年表もありました。天皇が短期で変わった時代は、開帳回数も多かったようで。
以下省略です。
98 石山寺 石記 1巻 紙本墨書 南北朝時代 通期
99 石山寺 石山寺勧進帳 1巻 紙本墨書 享禄元年(1528) 通期
100 石山寺 石山寺観音霊験記 1点 紙本墨書 正徳元年(1711) 通期
101 石山寺 奉納石山寺仏前十一首和歌 1点 紙本墨書 江戸時代 通期
102 本館 西国三十三所観音霊場記図会 5冊 紙本墨摺 弘化2年(1845) 通期 初出陳
103 本館 西国巡礼細見大全 1冊 紙本墨摺 文政8年(1825) 通期 初出陳
104 本館 西国三十三所方角絵図 1鋪 紙本墨摺淡彩 享保 19 年(1734) 通期 初出陳
105 石山寺 寛永二十一年開帳記録 1冊 紙本墨書 寛永 21 年(1644) 通期 初出陳
106 石山寺 石山寺開帳中之札銭覚いはいの銭 1冊 紙本墨書 寛永 21 年(1644) 通期 初出陳
107 石山寺 三十三年開帳記 1冊 紙本墨書 元文3年(1738) 通期 初出陳
108 石山寺 京都伏見大坂建札之記 1冊 紙本墨書 文政 13 年(1830) 通期 初出陳
109 石山寺 御即位御開帳役所願一式 1冊 紙本墨書 文化 14 年(1817) 通期 初出陳
110 石山寺 御即位御開帳勘定帳 1冊 紙本墨書 安永9年(1780) 通期 初出陳
111 本館 伊勢参宮名所図会 巻第一 1冊 紙本墨摺 寛政9年(1797) 通期
112 石山寺 開帳中見世物興行願書 3通 紙本墨書 文化 15 年(1818) 通期 初出陳
113 本館 ◎ 大津百艘船万留帳 1冊 紙本墨書 文化 15 年(1818) 通期
114 本館 ◎ 石山寺光堂阿弥陀如来開帳記 1冊 紙本墨書 文化4年(1807) 通期
115 本館 ◎ 大津百艘船万留帳 1冊 紙本墨書 嘉永5年(1852) 通期
|-第5章 石山寺伝来の仏画
気に入ったものだけ記載します。
116 石山寺 不動明王二童子像 1幅 絹本著色 室町時代 通期 初出陳
117 石山寺 両界曼荼羅 2幅 絹本著色 鎌倉時代 前期
118:天川弁才天曼荼羅:南北朝時代
2024年の龍谷ミュージアムで行われた『★仏像展★「眷属」in龍谷ミュージアム(私のNOTE)』で、なんじゃこりゃ~!こんな仏像もあるのか~と思ったものが、1か月以内に観れたので楽しめました。ちなみに妻は数日前に「眷属」で観たので「あっ、ここにもある」と言っていた。
顔は蛇(巳)で3つの顔で10臂からなる。それぞれの頭には宝珠が乗り、吐く息にも宝珠が乗っている。
天川弁才天曼荼羅の「天川」は天河神社ですね。
119:春日宮曼荼羅:南北朝時代
前述の通り、龍谷ミュージアムで行われた『★仏像展★「眷属」in龍谷ミュージアム(私のNOTE)』でも勉強したものですね。
垂迹本地仏と下に文殊菩薩、釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩、十一面観音が描かれている。
以降は省略します。
120 石山寺 弘法大師四所明神像 1幅 絹本著色 室町時代 後期 初出陳
121 石山寺 普賢延命菩薩像 1幅 絹本著色 室町時代 後期 初出陳
122 石山寺 星曼荼羅 1幅 絹本著色 南北朝時代 通期 初出陳
123 石山寺 虚空蔵菩薩像 1幅 絹本著色 室町時代 通期 初出陳
124 石山寺 愛染明王像 1幅 絹本著色 鎌倉時代 通期
125 石山寺 弘法大師像(日輪大師) 1幅 絹本著色 室町時代 通期 初出陳
|-第6章 石山寺伝来の仏像
仏像メインロードには「No.128,129、131、92,132」と並んでいた。
126 :仏像:維摩居士坐像@重文:平安時代
古代インドの長者で釈迦の弟子。文殊菩薩級の頭脳の持ち主で文殊菩薩との問答で有名。近年では奈良・法華寺(私のNOTE)なども国宝になる仏像なので、いずれ国宝になる気がする。もうその時の練習は完璧でピースサインをしている。日本でで一番初めにピースしたかも!?
お姿は公式HPで出ていますので、そちらをどうぞ!
127:仏像:菩薩立像@重文:飛鳥時代
顔がない・・・盗難されて帰った時は喪失していた。ただ当時の姿は写真に収めれれていた。それを見るとニッコーとした笑顔で、東京国立博物館の法隆寺館にあったら主役級じゃないかと思う仏像。
128:仏像:大日如来坐像@重文:鎌倉時代 #快慶
本当は展示される予定ではなかった。ただ、多宝塔で雨漏りが怒ったので、展示会に電撃参戦!!源頼朝の思いではないか!?修復したばかりだと思うのだが・・・
快慶作の墨書があり(厳密にはアン阿弥陀)、古書との年代からも多宝塔の主である快慶真作。この多宝塔は源頼朝の次女が関係するもので、源頼朝といえば鎌倉幕府を開いた方で、鎌倉といえば快慶のライバル運慶が重宝された認識である。皇族・貴族から依頼が多い快慶だが、頼朝と快慶の関係がここにあるのは面白い。
ちなみに、快慶はこの金剛界式大日如来坐像の制作時期に、私が一番好きな醍醐寺・三宝院の弥勒菩薩坐像も制作している。
当初は納入品があったとも言われ、そこには、頼朝のものが納まっていたとも。。って、愛知・瀧山寺(私のNOTEは2025年1月に公開)以外にも、頼朝も供養するものがあったとは。。。頼朝という共通のものに天才仏師の快慶と運慶の共通項が。
この大日如来は、奈良・円成寺(私のNOTE)の運慶作「金剛界式大日如来坐像@国宝」と双璧の大日如来の認識。
129:仏像:大日如来坐像 @重文:平安時代
淳裕時代の大日如来坐像で、現在は光堂に安置されているが、元々は多宝塔に安置され、現在の快慶作・大日如来坐像の前の家主だった説もある。次の公式HPでは、多宝塔は複数あったようなので、無くなった多宝塔の本尊だったのかなと。
展示会では左右に並べて安置され、No.128の快慶が優れているのは分かるが、じっくり見仏すると似ている。何が違うかといえばやはり全体のバランスの違いと玉眼かどうかなのかも。目の力は大事だなと。
こちらの大日如来は彩色も残り、腕の装飾も金が残っているので、快慶作の大日如来坐像も同じだったのだろうと妄想が出来る展示方法になっている。平安時代作と次の鎌倉時代の違いが分かる良い展示方法だなと思った。
最後に、これは妻が気づいたのだが、智拳印の結びに違いがある。快慶作は掌が見えないのだが、本仏像は掌が見えるように智拳印を結ぶのは面白い。東京国立博物館蔵の大日如来坐像も同じであり、石山寺と同じ平安時代作だ。
この智拳印の違いをずっと考えていたが、妻の答えは寄木だから、組んだ時に、間違っただけではとのこと。。ざ、斬新・・・。
130 :仏像:釈迦如来坐像@重文:飛鳥~奈良時代
現在、法輪院に安置されている。
131:仏像:二天立像@重文:平安時代
本堂の内陣に鎮座する二天は持国天と増長天である。本来は四天王だったか、元から二天立像なのかは不明あるようだ。
132:仏像: 獅子・狛犬 :平安時代
現在、本堂の内陣に安置されており、良弁が三十八社権現から持ち込んだともされている。
133:仏像: 吉祥天立像:平安時代
良い吉祥天でこの大きさは珍しいかと思う。この吉祥天は京都・広隆寺(私のNOTE)の吉祥天を思い出させる。公式HPに姿が載っています。
134:仏像: 地蔵菩薩立像:平安時代
平安時代で頭大き目の地蔵菩薩立像で、法輪院に安置されている。観た瞬間に奈良・矢田寺(私のNOTE)とかがこんな感じだったな~と思った。
135:仏像: 大日如来坐像:平安時代
あっこの大日如来坐像を見た瞬間に京都・浄瑠璃寺(私のNOTE)の大日如来?と完治がした。素地で木彫が良くわかり、体躯はキュッとしてスリムな坐像で、表情が穏やかに感じる。
かつては本堂の裏側に安置されていたことがわかっているが、それ以外は不明のようだ。
136:仏像: 夜叉形坐像(伝三宝荒神像):室町時代:初出陳
法輪院に安置されている。寺では「三宝荒神」だが、特異な姿であり、本来の尊名は不明なんだそうな。50cmの坐像で炎髪で顔の表情は馬頭観音にも感じる。
「三宝荒神」は様々な像容があり、三面六臂や三面八臂が多いようだが、本像は一面二臂の合掌姿は得意なんだそうな。
三宝荒神は日本独自で生まれた像で、私のNOTEは次の通り。
東京・浅草寺/浅草神社:https://note.com/yanma_travel/n/n526cf50deacb
137:仏像: 如意輪観音坐像:室町時代
ファーストコンタクトは滋賀県東近江市の百済寺(私のNOTE)の仏像だ!!というのが直感の感想です。実際のところ、滋賀の長浜市・弥勒寺から石山寺に移した仏像のようで、なるほどな!と思った。たぶん、湖東・湖北には滋賀の地方仏師が居たのだろうと思った。
仏像のお姿が公式HPにあります。
百済寺には、この仏像と同じタイプの仏像に「聖観音坐像と如意輪観音(百済寺の公式HP)」があり院派説もある。もし何か繋がりがあるなら、院派の作かもしれない。百済寺をどうぞ!
138 近津尾神社 男神坐像 1軀 木造彩色 江戸時代 通期/139 近津尾神社 男神坐像 1軀 木造彩色 江戸時代 通期/140 近津尾神社 男神坐像 1軀 木造彩色 室町時代 通期
石山寺の鎮守社のようです。後述の通り、別の展示会で観ていますがノーマークでしたし未参拝です。
神像は応神天皇ことホンダワケ(No.138)で、脇侍説も出るほど歴史などの観点では裏取りする資料がなく謎であるそうな。ただ、神像の技術などは京都で活躍した慶派の仏像に似ているとのこと。江戸時代の慶派のものは観てみたい気がする。
最後にNo.140は摂社「洞神社」のもので、他と比較すると時代は古いが技術は江戸時代のNo.139to140の方が勝っている気がした。
141:仏像:阿弥陀如来坐像:平安時代
本展示会で知った「法輪院」の阿弥陀如来坐像だが、近津尾神社の本尊だった説がある。この背景は松尾芭蕉が神社に参って阿弥陀如来を見たようだ。つまり明治の神仏分離令で、石山寺に移したと解釈されている。
※補足
厳密には、松尾芭蕉は「近津尾八幡」と書いている。前述の通り、近津尾神社は八幡神のホンダワケを祀るので、近津尾神社=近津尾八幡との認識。
|-第7章 石山寺縁起絵巻の世界
142:石山寺縁起絵巻@重文 7巻:鎌倉~江戸時代
光る君への紫式部、藤原道長などの巻は人渋滞気味でしたかね。歴史に詳しいわけではないので、年配の歴史が詳しい人の解説を盗み聞きして楽しみました。
7巻で構成されすべて公開された
7巻だが話は三十三段からなり、ここでも石山寺キーワードの御開帳や変化観音や西国三十三札所の「33」である
公式HPに載っています。(https://www.ishiyamadera.or.jp/about/treasure)
公式HPに本展示会の補足もありますね。
▼『源氏物語と大津』第6期:11月19日(火曜)~2025年2月2日(日曜)
2024年に『紫式部と祈りの世界』が行われ、常時展でも「源氏物語と大津」が行われていた。後者は通年をとして6期で開催される。第2期に行っています。次のNOTEです!
5期の作品:https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/image/202310/glist5.pdf
▼過去の関係・類似展▼旅行記
★纏め★紫式部『源氏物語/光る君へ」乗っかり③★大津市企画もの纏め/大津歴史博物館で特別展
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