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天之御中主を抹殺した日本書紀の真の理

ツクヨミノマコト(古事記全文暗号解読)シリーズ、国生みまで進めて来ましたが、序文に「あんぐり」しました。天武天皇の発議により歴史書の編纂が命じられましたが、その発議の経緯を序文第二段「古事記の企書」に記し、天武天皇の道は黄帝に勝ると讃える。

中国の神話伝説時代、黄帝は三皇五帝の三皇の一人か最初の五帝とされていて、何より伝説的には黄帝は道教の開祖と語られています。道は人や物が通るべきところ、道徳だけでなく自然法則や美や真実の根源など、道家や儒家が道について説いています。天皇家が奉ずる皇室神道は道教より勝るの宣言でしょうか。

しかし序文第一段「過去の時代」乾と坤と初めて分れて。古事記本文の「天地の初発の時」既に天と地が分れている。乾坤一擲とは運を天にまかせて伸るか反るかの大勝負。乾は天、坤とは地、本文より「過去の時代」の序文第一段、乾と坤と初めて分れてとは天と地は最初くっついていた。

日本神話は天地ができてから、天地を分けたのは盤古です。中国神話では、盤古が背を伸ばして成長し天を押し上げ、一万八千歳の時に天と地が分離した。盤古は天地創造の神、死後に万物生成。右目から太陽が左目からは月が生まれる。イザナギの禊、左眼から天照、右眼から月読と左右逆転は、天照が女神へ月読が男神へ、性転換した暗号でしょうか。両目から太陽と月が生まれる神話は世界各地にあるから、言語の根源が日本語と同様、元ネタは縄文文明かもですが、日本神話は中国神話を踏襲し道教の世界観となっています。

古事記の「天地の初発の時」宇宙創生の話ではありません。日本書紀は知られてはまずい古事記のマコトを隠します。古事記と記述が違う場合、ほとんどが日本書紀の書換えです。日本書紀は天地創造について、最初混沌だけがあったが、清浄なものが上昇して天、残った重く濁ったものが地と記す。日本神話の最初の神は天と地が分れてから登場します。

天と地を創造した天地創造神は日本神話には登場しません。そして道教における最高神は天界の支配者たる玉皇大帝。日本の天皇の起源の有力候補、天皇大帝も神格化された北辰。北辰とは天の北極、道教も玉皇大帝を北極星と同定する。北辰を中心に星辰が巡る。北極星が宇宙の中心かつ支配者、独神にて身を隠した別天津神、過去の北極星と紐解いた。

日本書紀の本書では別天津神は登場しない。最初の神は国常立尊、古事記では神世七代の初代、国之常立神にあたる。国之常立神が今の北極星、こぐま座アルファ星ポラリス。身を隠したを北極星の交代と解釈したが、よく考えると過去の北極星は消えていない。今も天空に輝いている。隠れたのではなく古事記も北極星を隠したと納得する。

紀元前10000年頃ヘルクレス座イオタ星天之御中主神、紀元前7700年頃ヘルクレス座タウ星高御産巣日神、紀元前5300年頃りゅう座イオタ星エダシク神産巣日神、紀元前3000年頃りゅう座アルファ星トゥバンは変光星、わずか53分で変光する。宇摩志阿斯訶備比古遅神を葦の芽の如く萌え上がると葦原の色が変わる速さに例えた。この記述により歴代の北極星がどの神になるか特定できる。紀元前1100年頃コカブこぐま座のベータ星天之常立神、ここまでが別天津神。

西暦500年頃現在の北極星が現れる。神世七代初代の国之常立神、日本書紀に最初に登場するのが現在の北極星。天皇誕生の時期に合うのもドンピシャです。何せ天皇起源の天皇大帝とは現在の北極星に他ならない。そして妙見信仰は北極星と共に北斗七星も神と仰ぎ見る。神世七代の二代の豊雲野神は北斗七星となるのだろう。

そして神世七代の三代から六代は中国星辰図から紐解ける。南方朱雀井宿、三代宇比地邇神と須比智邇神、比の発音は井。東方青龍の角宿、四代の角杙神と活杙神、角の字が重なる。北方玄武は斗宿、五代意富斗能地神と大斗乃弁神、斗が共通。西方白虎は奎宿、六代は淤母陀琉神と阿夜訶志古泥神にて、奎と六代に一見関連性はないが七代に続く深い意味がある。

「奎」とは、「また、またぐら」、「両足を開いて行く様」。七代の伊邪那岐神と伊邪那美神、国生みから神生みを行う。古事記の編纂時期に高松塚古墳やキトラ古墳が造成された。両古墳に描かれる星辰を、なぜ誰も結びつけないのでしょう。高天原とは天動説の天、道教の北極星・北斗七星信仰が、インド発祥の菩薩信仰と習合し、妙見菩薩、妙見信仰となる。

そして伊邪那岐神と伊邪那美神が生む国は、領土拡大の暗号。魏志倭人伝の道程を一直線に遡るのは朝貢ルートの確保。さらに符号するのがアマテラスとスサノオの誓約。互いの神器を噛み砕いて五柱と三女神を生む意味は、自らの力で五柱や三女神が治める国を制圧した意味になる。

最初の子は淡路島、二番目の邪馬台国がある四国には長男の天忍穂耳命と天之菩卑能命が祀られています。三番目の隠伎之三子島は同時に生まれた宗像三女神。不弥国の宇佐神宮から末廬国の宗像大社に遷座しています。四番目の九州北部に伊都国と奴国、奴国は長国にて港が有り、中津から水行したから重要な港。三男の天津日子根命が中津日子根から改名したか、天津が中津に名を変えたか。

五番目の壱岐が一大国、四男の活津日子根命、イクはイキ。六番目の対馬が五男の熊野久須毘命、熊野信仰の大元。庶民から朝廷まで大人気、熊野のルーツも暗号化されてます。七番目の佐度は狭戸、狭戸は小戸と同意、関門海峡です。魏使が関門海峡を航行せず、九州北部を横断するのは、関門海峡の対岸、本州側を制圧できてなかったから。そして大八島最後が奈良、卑弥呼の時代は神武東征前です。

日本書紀が削除する瀬戸内海の島生みを古事記は記述する。吉備児島は紀淡海峡の友ヶ島。吉備は元々和歌山にして、阿波と奈良の二拠点生活には南海道は最重要航路です。瀬戸内海を航行するには、小豆島だけでなく来島海峡が重要。村上海賊の祖先がいた大島は、来島海峡を挟んだ四国の対岸。

女島は鬼ヶ島の女木島、知訶島は直島、両児島は二つの児島、岡山の児島半島です。女木島から児島半島の島生みは、吉備津彦と稚武彦の岡山への進軍ルートを記録しています。二人は第七代孝霊天皇の皇子、四道将軍へ見事に繋がります。

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