MC YAMA

リトルトゥース

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最近の記事

ANN55周年

オールナイトニッポンを聴き始めてから約13年の時が経ち、45周年のANN特番の時から10年も経ち、26歳になってしまった。 45周年の時も同じように多くのレジェンドパーソナリティが出てきた特番でメインMCに鶴光師匠とオードリーだったこともあって、16歳の自分は高校の図書館にリクエストしてオールナイトニッポンの歴史の本を読みながら、夜通しラジオを聞き続けた。 あの頃のANNはjunkの台頭もあって、今のような盤石なANNではなかったからイベントや特番も少なかったから特番がと

    • 縁の下

      この前、セルヒオブスケツというサッカー選手のユニフォームを買ってきた。メッシの次に好きなサッカー選手。 この選手はネイマールやメッシのようなレベルの選手であるが、この選手達ほど名が知られていない。 しかし、サッカーファンや経験者には彼の凄さがわかる。←この点が自分にとってはブスケツが好きな理由のひとつだ。 彼はボランチ(スペインではピボーテ)というポジションの選手でDFという守備特化の選手から攻撃特化のFWというポジションの選手にボールを供給する役割を担っている。 言葉

      • つながり

        今の仕事が平日休みなこともあり、よく平日の夕方に散歩に行く。 何年も見慣れた景色ではあるが、昔、よく遊んでいた公園や駄菓子屋の前を通っても誰もいない景色をみて寂しさと少子化の深刻さを実感する。 少しだけ思うのが、今の小学生は外に友達と遊ぶ時の感覚は自分が子供の時に味わっていた高揚感と同じなのだろうか。 子供の頃は学校でも放課後も休日ですら当たり前のように友達と遊び、喧嘩していた。 これを自分は血の通った「つながり」というもので表現したい。 子どもの頃がこの血の通った「つ

        • 最近感じたこと。

          この画像を見た時に最近、ずっともやもやしていた感情を言ってくれた気がした。 子どもの頃から見ている漫画やアニメにはわかりやすく正義と悪があって、俺はもちろん正義を応援していたし、元気をもらっていた、 だけど、今、社会人になってわかるのは正義そのもののというのは基本的に自己都合で変わってしまうものだし、世論や集団を誘導すれば犯罪にもなりかねない。 正義の暴走は悪になりうるわけだ。 それを象徴しているのが映画「スターウォーズ」である、 宇宙規模の大きな戦争の話であるが、それ以上に

        ANN55周年

          2021年も終わりに近づいてる。 色んな現実と逃げたり、向き合った1年だった。 特に今年の始まりは最悪だった。 前職のお正月休みだったが、仕事の人間関係や仕事ができないことを考えこんでしまい、身体も精神もしんどかった。 お正月明けの仕事も精神状態が良くならず、常に嘔吐や倦怠感もあった。 こんな状態が続いてると、親からこんな言葉を言われた。 「本当はもうちょっとやってほしいけど、この状態が続くならやめた方がいいんじゃない?」 最低でも3年は続けるべきと言い続けていた親

          無念

          今年も12月になりました。 今年のまとめを語るには早いのはわかっているが、少しだけ伝えたいことがあったから、投稿してみる。 今年は本当に公私共に激動の1年だった。 仕事も大変だったが、何よりもプライベートが本当に大変だった。その大変な中で分かったことがあった。 それは自分の無力さと悲しさと人間への諦めだった。 世の中にはどうしようもできないことがたくさんあることは知っていたけど、ここまで一気におきると、精神的に滅入ってしまう。 別に自分の言葉で誰かを変えることがで

          お笑いと今後のnoteの使い方。

          LT友達のnoteで「周りが面白いことを言っている中で自分が面白いことを言えていなかった」という葛藤があったことを吐露していた。 その内容を読んだ後に自分のことを考えた時にオードリーANNを聴き始めてからの自分の価値観を改めて知ることができた。 中学生の頃からオードリーANNを聴き始め、何事も面白くすれば生きていることが楽しめるということを学び、大事にしてきた。 その感覚は自分の個性になり、周りもそれを認めるようになったことで当たり前になっていった。 ただ、その友達の

          お笑いと今後のnoteの使い方。

          巡り合わせ

          俺が唯一誇れるものがあるとしたら、人に恵まれているというところだ。 人間関係で悩んだり、友達作りが上手くいかなかったという人の話をよく聞く。そういう人の話を聞くと、自分もうまくいかなかった経験もあったが、恵まれている環境だなと改めて思う。 友達の中では自分と性格や価値観が違う人がいたが、仲良くすることができた。だから、良い友達という定義が緩くなった。 小学生の時にドッジボールのクラブチームに入団してから、高校や大学、リトルトゥース、職場と新たな環境で一から人間関係を作り

          巡り合わせ

          距離感

          人との距離感というものは本当に難しい。 趣味垢を作って4年が経つ。 ありがたいことに色んな人と出会うまくことができた。 40代の方から高校生までと出会うことは一般的な社会人のプライベートでありえないと思うし、ましてや、ラジオリスナーという稀有な存在であれば尚更だ。 俺は自分のことをよく話すし、他人と話す時の壁は薄い方だ。自分の壁の薄さを売りにしてるところはあるし、距離感が縮まりやすい。 だけど、最近、もう少しだけ壁を厚くしたほうがいいかもしれないと思い始めてきた。

          武道館

          先日、石井ちゃんの「アフタートーク」を読み終えた。 石井ちゃんのラジオマンとしてのキャリアやリスナー時代の人生史や葛藤が書かれていた。 その本の中で石井ちゃんはオードリーの武道館ライブがキャリアの中で重要な仕事だと語っていた。 その話を聞いて、色々と振り返った時に自分にとっても武道館ライブは後の社会人生活に影響を与える重要なイベントだなぁと感じた。 武道館ライブ前の12月に初めてリトルトゥース会に参加し、ラジオの話を共有する喜びを知り、これをもっと多くの人とわかり合いたいと

          武道館

          無敵

          自分は欠陥だらけの人間のため、基本的に自己肯定感が低い。その中で強いて挙げるなら、コミュニケーション能力。誰とでも仲良くできるところぐらいなもんだろう。 そんな自分が「ラスタカラーを着た状態でリトルトゥースと遊んでる時」だけが無敵に感じるのだ。 最初は武道館ライブの時のノリとラスタカラーの色合いの面白さがあって買った。 ただ、自分の金銭感覚的にたった一回のイベントのために3500円のTシャツを買うというのはありえなかったので使っていた。 そして、使い続けていくうちにわか

          オードリーのANNと自分のお笑いの価値観。

          自分は学生時代からよくやらかして、周りからいじられることが多いタイプの人間だ。 小学生の時までは意識していなかったが、中学では学年内のヒエラルキーが形成される中で自分は下の人間だったため、周りからのいじりも多くて、何をしても色々と言われるようになった。 多感な時期だったこともあり、「なぜ、こんな害しか生まない人間にいじられたり、機嫌をとらなければならないのか」という感情になり、学校や塾にいても常にイライラしていた。 特に塾は少人数で陽キャがうるさくて、先生も含めた自分へ

          オードリーのANNと自分のお笑いの価値観。

          コロナの夜明け

          個人的だけど、ここ2年間ぐらいの流行語は 「コロナが明けたら」という言葉だと思ってる。何をするにも付き纏ってくる言葉だ。そして、この言葉はいつまで僕らを縛りつけるのだろうか。 去年と今年ではこの言葉の重みもだいぶ変わってきている。去年は新型コロナウィルスという病の未知性に危機感があったということと1年間の辛抱だと勝手に思っていた。 緊急事態宣言が明け、Go toキャンペーンを提唱してから、たびたび出かけられるようになった。しかし、それは束の間の休息に過ぎず、事態は悪化の一途を

          コロナの夜明け

          金銭感覚

          みなさんの金銭感覚ってどのように養われましたか?一般的には家庭環境なのかなと思うんですが、どうなんでしょう。 私は家庭環境の影響が大きかったなと思ってます。子どもの頃からお小遣いがもらえず、お年玉だけで1年間やりくりしていました。(これは普通なんだろうか?) 私は父親と同じ感覚みたいで、無闇にお金は使わず、貯金していたいタイプです。 中高はなかなか大変で、自分の全財産が5、6万円しかないため、他の友達のように悠長にお金をかけて遊んだりすることもできませんでした(家庭はそ

          金銭感覚

          リトルトゥース会

          自分のTwitterを見てくださってる方は知ってるかもしれないが、私は頻繁にリトルトゥースとよく遊んでいる。社会人になってからのプライベートの9割はリトルトゥースとの付き合いと言ってもいいだろう。(その他の友達少なすぎるだろ。) 初めてリトルトゥースと出会ったのはオードリーがメインパーソナリティを務めた2017年のミュージックソンだった。 バイト終わりにラジオを聴きながら寝ないでニッポン放送に行き、イマジンスタジオでオードリーを見た。 その時に出会ったのが紫うさぎさんという

          リトルトゥース会

          孤独

          小学3年生から6年生の時に地元のドッジボールのクラブチームに入っていた。 このチームは全国大会を目指しており、 毎日のように練習していたから、小学校の思い出の大半はドッジボールしかない。 ドッジボールでは色々なことを学んだ気がする。良いことも悪いことも。 上級生になるにつれて、子供ながらに色々と感じることが多かった。大人から受ける理不尽な言動や行動、監督の贔屓。 当時の大人はどこまで分かってるか知らないが、子どもも意外と分かっているし、ああいう大人にはなりたくないと思った。