お笑いと今後のnoteの使い方。
LT友達のnoteで「周りが面白いことを言っている中で自分が面白いことを言えていなかった」という葛藤があったことを吐露していた。
その内容を読んだ後に自分のことを考えた時にオードリーANNを聴き始めてからの自分の価値観を改めて知ることができた。
中学生の頃からオードリーANNを聴き始め、何事も面白くすれば生きていることが楽しめるということを学び、大事にしてきた。
その感覚は自分の個性になり、周りもそれを認めるようになったことで当たり前になっていった。
ただ、その友達のnoteを読んだ時に自分は人と話す時に「面白さ」で見てる感覚を持っていることと無意識的に面白さを周りに求めてしまっていることが分かった。
面白くもない人間のくせに無意識のうちに面白いという物差しで人を測ってしまっている自分が怖くて気持ち悪かった。
無意識で面白さを自分や周りに求めてしまっていることが当たり前になってしまって、自分の価値観を押し付け、普通の話を普通に聞いたり話したりする感覚が欠如していることがわかった。
ただ、自分の全てが間違っていたわけではないとも思う。
その価値観のおかげで楽しく生きられてるのも事実だから、人と話す時にもっとバランスよくユーモアを出せるようにすることを意識することを大事にしていきたい。
余談ではあるが、ここ数ヶ月、スペースやLT会をやる中で気づいたことである。
それは自分が話していることに自分自身が飽きてきているということだ。
何回も話したことのある内容を他人から求められる時は何にも思わないのに、周りとの話が詰まって、自分が話し始めた時やひとりのスペースの時に感じていたことだった。
ただ、それでも自分の発信欲を収めてストレスを溜めるのも馬鹿馬鹿しい。だから、これからはスペースやspoonではなくて、出来るだけ、自分の話はnoteに綴ろうと思う。
前までは音声が手っ取り早くて楽だと思っていたけど、noteはほとんど誰も読んでないから、気楽に思いの丈をかけることができる。
そう思うと綴りたいことはたくさん出てくるけど、今日はここまでにしておく。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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