無念

今年も12月になりました。

今年のまとめを語るには早いのはわかっているが、少しだけ伝えたいことがあったから、投稿してみる。

今年は本当に公私共に激動の1年だった。

仕事も大変だったが、何よりもプライベートが本当に大変だった。その大変な中で分かったことがあった。

それは自分の無力さと悲しさと人間への諦めだった。

世の中にはどうしようもできないことがたくさんあることは知っていたけど、ここまで一気におきると、精神的に滅入ってしまう。

別に自分の言葉で誰かを変えることができるなんて思ってもいないし、期待もしてなかった。

ただ、あまりにも今年はうまくいかないことや不条理な体験が多すぎた。これまではそのようなことをお笑いに消化したり、受け止めようとしていたが、自分の器量ではできなかった。

その多くの悲痛な現実は誰も悪くないんだけど、誰も正しいわけではなかった。色んなことを知るたびにその悲痛な現実が見えてきてしまった。

時には疑心暗鬼にもなって、自分を責めたこともあった。自分がいなければ、この人はこんな悲しいことにはならなかったんじゃないかとすら思った。

色々なことを頭で考えたし、行動もしたけど、変えることも現実を良くすることもできなかった。

残念ながら諦めるしかなかった。

このnoteを書くまえに中居君のSMAP最後の日のラジオで中居君が語った言葉が刺さった。

「自分の肯定論ってあるじゃないですか?
僕は正しいとか私は間違ってないとか。自分の肯定論を認めてもらいたいために人の悪口を言ったり、嘘をついたり、人の心を踏み躙るようなことはしたくない。
よって、人と群れることはしたくない。
その肯定論というのは自分の行動、言動、判断、全てが正しいなんて全然思ってないです。間違える瞬間とか不正解だった場面とかきっとあると思ってるんです。(以後省略)」
「誰も悪くないんです。自分が好かれたいとかってわけじゃないし、何なら嫌われても構わない。自分が嫌われても円滑に進むなら嫌われても構わない」

この時のラジオは生で聴いてたし、悲しかったことを覚えてる。
それこそ、SMAP解散の時の中居君に比べれば、俺の大変さなんて塵のようなもんだろう。だけど、本当に少しだけ中居君の気持ちがわかったような気がした。

もし、これを読んで山ちゃん大丈夫?と思った方。本当にやばかったら、noteにも書けないので安心して。俺は大丈夫だから。

ただ、色んなことを諦めるようになっただけだから。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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