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#就労移行支援
障害者の性について考えておきたいこと
先週、いわゆる「性」の支援で、当事者の方を障害者対応可のデリヘルの利用に付き添ったり(利用中は外で待ってましたが)、異性と話ができない、という事でスナックに連れてったりしました。
すごく地味ではありますが、現場支援の中でこの数年間やってきていることです。
全然不勉強だし、あくまで自分の周囲の環境のみを見て思う事なんですが、障害を持たれている方の性の問題って結構生きづらさに繋がっているなぁ、と思
向き合う事と付き合うことは、違う
支援、という観点から見るとあまり褒められたもんじゃないのかもしれないですが、就労移行支援って、当事者の方が就労を通して「社会の中で生きていく」ことに向かうための場所だなぁ、と思っています。
ある程度自分の裁量で判断しながらいろんな物事と向き合わざるを得なくなるのが実際だろうな、と思うんです。
それを踏まえて、僕は利用者さんとの話の中で「向き合う」という言葉をよく用います。
もしかしたら厳し
「受け止める」という力をつけるための支援も必要
もし、自分がやったことが上手くいった時は嬉しいですよね。
そして、上手くいかなかったらガッカリしたり凹んだりしますよね。
自分の行動や、自分の直接の行動じゃなくても日々身の回りにはいろんな事が起きます。
言い換えると、毎日暮らしている中でいろんな結果を迎えるわけです。
ちょっと大げさな表現をすると毎日何度も一喜一憂をする機会がある、ということでもあるんです。
さて、ここから
経験という名の財産を奪うな、と思う
これは「支援」という枠組みだけの話ではないんですが、世の中は何故かややもすると「短期的な結果や成果」に偏重しているような気がするのは僕だけなんでしょうか?
短期的な、というよりも因果の輪っかが単純でシンプルなものにばかり目が向きがちな感じでひどく結論を急いで出したがっていて、単純なアクションでスパンと成果を得たいのだろうか、と思えることが多いなぁ、と感じます。
僕は大学を家庭の事情で中退していま
利用者さんに「この人は支援してくれる人だ」と認められて初めて僕らは支援者になる
タイトルで結論を述べてしまうのは何の習性なのか分かりませんが、分かりやすくていいだろう、と開き直ろうと思っています。
あまり論理的じゃない話です。
根性論とか精神論の類になるかもしれませんが、できるだけ論理的に書いてみようとは努力をしてみます。
先日現場の支援について書かせてもらったんですが、方法論だけじゃなくて、支援者としての覚悟、みたいなものはやっぱり携えておいたほうがいいと思います。
ち