wakuraba noteメンバーとより近く深く触れ合えます。 1.ライターの珈琲代の応援(メイン)できます。 2.ライターが読んでいる本の考察記事を見ることができます 3.オフ会参加の機会を得ることができます。
若者たちの人生をかけた社会実験を応援したい方がご購入いただけます。 会費の大部分は思索と対話のための珈琲代に当てさせていただき、定期的にその内容を記事にすることでみなさんにも実験の過程を愉しんでいただけます。
珈琲が飲みたい! ただそれだけでnote始めました。 もう記事が面白いとか役に立つとかそういう自分勝手で損得勘定する人のためではなく、筆者にただ美味しい珈琲飲んで欲しいなぁ、という温かいお気持ちのもと、快く記事を購入し、僕の珈琲代を捻出してくれる優しい人のために記事を書くことを決めました。 記事の内容はおまけでいい、とにかく美味しい珈琲を飲んで、やりたいことやってくれ!とか言ってくれるパトロンを探しています。切実に。 まさに誰よりも自分勝手な発想 こんな発想になってし
数年前に知り合いから勧められながらもなかなか縁がなかったZen2.0、点と点が目まぐるしく繋がり人生というキャンバスに新たな星座が描かれながら、同時に新たな星々が発見され続けたような2日間だった。 「Zen2.0は『仏・法・僧』をベースとし、『テクノロジーとスピリチュアリティ』、『思考性と身体性』『宇宙と個人』などを結びつける活動」で、まさにwakuraba Houseにおける目下の自身の模索に対する灯台の光を見つけたような気分になった。
暦が秋分を告げるとともに涼風が我が家の縁側に吹き込むようになりました。 週末は2ヶ月振りにそれぞれが温めてきたことのキャッチアップをする二泊三日の「合宿」を行いました。 9月は12年に一度ドラゴンイヤーに開催されるいのちの祭りで幕を明けました。昨年9月末より始まったと言えるwakuraba House、いのちの祭りがまさかの初家族旅行になりました。その後、二三日おきにゲストの訪問がある新鮮さと弱冠の消化不良による疲れがでた1週間弱を過ごし、ようやく腰を据え過ぎ去った時間が
ご無沙汰しています。すっかり秋めいてきました。 7月中旬から8月中旬にかけて、執筆者担当のおしゃべりは心身ともに絶不調で、とてもではありませんが暮らしを記述することが困難で、記事の更新は随分滞ってしまいました。当初望んでいたペースで記事を書くのは今後も難しそうですが、書くこと自体はぼちぼちやっていこうと思ってます! さて、そんなこんなしているうちに我が家ではGAIA YOUTH が再び開催されました。各地から有り難いことに8名もの若者が集まり日夜対話をし、かけがえのない仲
「他人」のデート代を払いたくなるか。 お財布が実験的に共有されている我が家。 昨今はありとあらゆるモノやサービスが売買の対象物であると信じられているが故に、お金を持っている人ほどより質の高く、より多くのモノとサービスにアクセスできるかのようにみえる。値札をみればそれの価値は一目瞭然でそれを手に入れられる者とそうでない者との格差は非常にわかりやすい。 人格や人間性と言ったあるひとつの尺度を用いて計測することが困難であり、かつ、目に見えない何かは、ブランド品のようなわかりや
GW開催のガイアユースの準備も佳境。 少しでもみんなで知恵を寄せられる時間をつくる日々が続いています。 wakurabaは、無理をして事を成し遂げるよりも無理はしないで事は成り行きに任せてみようという心持ちの人で成り立っています。 そうわざわざ書くのには理由があります。 思いを形にしていくという点で、プロジェクトの成功、目標への到達は確かに大事だと思います。しかし、成功や達成をして結局どうしたいのか。成功や達成を、どのような尺度で測り、なぜ私たちはその尺度を採用するの
「もう立っているのよ。」 何を仰りたかったのか暫くわからなかった。 これから書くことも見当違いかもしれない。 それでもその言葉を反芻するなかで何か身体の内からじわりじわり拡がっていき、辿り着いたことがあったので、それを書いてみたい。 ここ数週間、話しを聴いてもらえていない気がしていてもどかしかった。もどかしいと言うよりは、聴いてもらえない不満や苛立ち、被害者意識に浸っていた。話せる聴いてもらえる空気感がない。率直そう感じていた。 この暮らしは自分に合っていない。
[メンバーシップ限定] wakuraba notersの本棚📚
暮らしがただのシェアハウスになってしまいどこか面白味がない。 帰宅するとそんな声をあげるやつが数人ソファでゴロゴロしている。それはいつ頃はじまり、どうして今日まで何の手も打たれることがなかったのか。色々考えてみる。考えてみれば6月から7月にかけてはメンバーの外出が相次ぎ、7人暮らしの我が家ではあるが実態としては4〜5人で暮らしが営まれていて、人がいないから話すのはまた今度にしようと、いろんな話しが置き去り山積みになっていたようだ。 あの人には話せるけどあの人には難しい。そ
こんにちは、ぼんやりです。 梅雨が明け、本格的に夏になってきましたね。 今日は自分の視点から、今僕達 wakurabaメンバーがどこにいてどこに向かおうとしているのかを、書いていこうと思います。 僕たちが今立ち合っているもの。ステージは、一言で言うと "個性化"です。 1年かけて僕たちは、心の安定や経済的安定といった 自分たちが安心して伸びてゆける土壌づくりを共同で行ってきました。 1年経ち、その土壌づくりの段階が終わりを迎えました。 1年もかかったとも言えるし
梅雨が明け厳しい暑さに狼狽えているこの頃ですが、読者のみなさんはいかがお過ごしでしょうか。 我が家では、翌月末に開催が決まっているGaia Youth 9期の準備が着々と進んでいます。以前と様相が異なるところは、住人の全てではなく半数ほどが中心になってプロジェクトを進めているところです。 確かに広告を作り、募集をかけ、事務処理をし、備品を準備し、講師依頼をして、スケジュールの管理をしプログラムは具体化に向かい続けていますが、プログラムに向ける気持ちの部分の足並みはどうもズ
こんばんは。 7/12は蓮始開(はすはじめてひらく) ここ一週間の我が家のキーワードは、 「それぞれのこと」だ。 共同のお財布制度から定額の共用費を毎月集金し、差額は個々人が好きに使う制度に移行した。いわゆる、シェアハウスはそんな感じだろうか。 共同のお財布制度は「家計をひとつにする」と呼ばれており、稼いだ額が大きいから偉い、凄い、額が少ないことは能力が低い、貢献度が低いなどと暮らしをともにする人々の間に不必要に優劣の感情を呼び覚まさないこと、例えばレストランでの割り
こんにちは、ぼんやりです。 はやくも7月になりました。 6月はおしゃべりが1ヶ月の旅をし、他のメンバーも帰者や仕事で県外に出たり、イベントにお呼ばれさたり、来客も多く、刺激が多い1ヶ月でした。 僕もカメラ(メンバーの1人)も6月で今までの仕事をやめ、他のメンバーも より自分にあった生き方を見つめ直し、 内的環境も外的環境も変わろうとしているという手ざわりがあります。 カメラ(日本人です)は7月中旬からインドのラダックに旅をしに行きます。 僕らは いったいどこに向か
温風至(あつかぜいたる) 東海地方は猛暑と言っても過言ではない日々が続いている。暑い。まとわりつくような不快な湿気。湿度のない環境は実に体が楽チンで、環境と身体のパフォーマンスが大いに関係しているとわかる。こちらはまるでサウナ室、じっとしているのが得策と体が判断するのか、動作が緩慢になる。 なぜそんな話しを冒頭にするのかと言うと、前回に引き続き、僕の関心事が環境が人に及ぼす影響にあるからだ。 僕らは6月に新たなメンバーを加え、現在ひとつの屋根の下7人の若者がともに暮らして
半夏生(はんげしょうず) 7月。一年の半分が過ぎ下半期に入ってきました。 僕、おしゃべりは配信をお休みして、ひと月ほど東欧はブルガリア🇧🇬に滞在し見聞を広めていました。 日本はどうも最近、円安報道が流行りです。 もう日本はだめだ。やっぱり日本はだめだ。世界から遅れをとっている。もう先進国ではない。 戦時中のように変に威勢よく誇ったり褒め称えたりする必要はないのですが、また同様に変に蔑んだり慌てたりする必要もない。 EUの一角ブルガリアを入口にヨーロッパの様子を感じ
こんにちはぼんやりです 6月に入り我が家wakurabu house に仲間が1人増えました。 ここから7人暮らしが始まります。 といいますか、すでに始まっています。 人が1人増えるということは僕らにとってとても大きなことです。 1人1人が自分らしく、共に暮らす、共に生きる この何でもないようなことが、 実はやってみると難しく、それがなんとも楽しいのです。 そもそも自分らしくとは何か、暮らすとは生きるとは何か、いったい何をしようとしているのか と僕はついつい問
こんにちはぼんやりです。 気づけば5月も終わりに近づいていますね みなさんはいかがお過ごしでしょうか さて、 今月末からおしゃべりが1ヶ月ブルガリア旅へ出かけます。 今朝またモーニングを2人で食べながら話していたのですが、そこで感じたことを書いていこうと思います。 彼おしゃべりは、旅が好きで、今までも様々な所を旅してきているのですが、 今回の旅はどうやら1味も2味も違うものになりそうだと話してくれました。 いったい何が違うのだろう? まだ旅出ってもいないのに、何
久しぶり(?)に夕食後、今思っていることを話し合った。 週明けから、暮らしを体験したい人に向けたお試し滞在期間がスタートする。「人を受け入れる」とは、どういうことか考えたい、そんな声があがり話し合いが始まった。 どの部屋を使ってもらうのか。 いつ顔合わせの時間をとるか。 揃えておく必要のあるものは何か。 受け入れにあたり、それぞれのスケジュールはどうなっているか。無理はないか。 受け入れに向けて、今どんな気持ちになっているか。 各々アイデアや気持ちを場に出す。
我々20代は「生きづらさ」を感じる。 「個性的であれ!」 ユーチューブのインフルエンサー、テレビの芸能人、SNSを開けば、如何に他人と違う尖った「個性」を持つことが良いことだと褒めそやされているのか感じられる。けれども、大抵の人は平凡で尖った「個性」なぞない。 強い「個性」がないゆえに劣等感を抱いたり、逆に強い「個性」を作り出したがゆえに周囲を競争相手にしか見えず人と仲良くなれなず孤立を招いたり、その「個性」が個性的であり続けるよう変な努力をしてしまい、返って自分の気持