最近のこと
ご無沙汰しています。すっかり秋めいてきました。
7月中旬から8月中旬にかけて、執筆者担当のおしゃべりは心身ともに絶不調で、とてもではありませんが暮らしを記述することが困難で、記事の更新は随分滞ってしまいました。当初望んでいたペースで記事を書くのは今後も難しそうですが、書くこと自体はぼちぼちやっていこうと思ってます!
さて、そんなこんなしているうちに我が家ではGAIA YOUTH が再び開催されました。各地から有り難いことに8名もの若者が集まり日夜対話をし、かけがえのない仲間となって講座は幕を閉じました。
GAIA YOUTH の特徴はなんと言っても我が家の構成メンバー間の関係性やそれぞれが自分自身に向き合うなかで見出した向かって行きたい方向性/生き方の模索そのものと集まる参加者がフラクタルであることです。
今から書くことは僕の実感であり事実とはかけ離れている可能性は大いにあります。それでも何かのヒントにはなるのではないかと思うので敢えて文字にしてみます。
フラクタルとは、学者ではないので雑に言うと図形の部分と全体が自己相似になっていること。まるでロマネスコブロッコリーのように縮尺を変えても形が変わらない様子が、wakurabaの7人のみの生活(部分)と参加者を加えた15人のGAIA YOUTH中の生活(全体)にも見いだせるように感じます。
ゴールデンウィーク中に開催した第8期は個よりもどちらかというと集、まるで生命体は生命体でもその様は単細胞生物のようになってGAIA YOUTHに臨んだように振り返ってみれば思います。その後、wakurabaメンバーそれぞれがどういうわけか集団における個を先鋭化する方向に動き、約2ヶ月弱それぞれがそれぞれ伸ばしたいところや向き合いたいところに意識してか無意識か積極的に焦点を当ててきました。おそらく第8期の最終日の問い、「私はどう生きていたいか。次の一歩」が参加者へだけでなくその場にいるメンバー全員に対しても木霊のように響き続けて各々再度、この暮らしのことを見つめ直したからなのだと思います。
他方、第9期は、メンバーのまとまりがありながらもその様子は様々な器官を持つ多細胞生物のようでした。脳を司る人もいれば手や足を担う人。消化器官になる人もいれば目や鼻のように多種多様な事柄に光をあてる人、一見別々の関心事で動いているように見えながらも、別の角度からみればひとつの有機体のようになっていた、そんな印象を今回は受けました。
第9期は見てわかる強い個性が際立つ参加者がなぜか集まり、その様が当時のwakurabaの様子とピタリ重なるように僕には見えました。これは都合のいい解釈なのかもしれません。しかし、人が複数人集まっている状態を社会と呼ぶならば、その社会に惹かれる人やそうでない人が現れたり、集う人の質によって社会の質感もまた随分変わるのではないでしょうか。どこまで意図して創りたい社会なぞ創ることができるのかわかりませんが、手作りの社会を考えたときどんな人がまず集まるか、また集まった人はどんな様子かは一考に値するのではないでしょうか。