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#41 7月頭の空気

温風至(あつかぜいたる)
東海地方は猛暑と言っても過言ではない日々が続いている。暑い。まとわりつくような不快な湿気。湿度のない環境は実に体が楽チンで、環境と身体のパフォーマンスが大いに関係しているとわかる。こちらはまるでサウナ室、じっとしているのが得策と体が判断するのか、動作が緩慢になる。


なぜそんな話しを冒頭にするのかと言うと、前回に引き続き、僕の関心事が環境が人に及ぼす影響にあるからだ。

僕らは6月に新たなメンバーを加え、現在ひとつの屋根の下7人の若者がともに暮らしている。その様子は一見バックパッカーの安宿のようだが、ただ一点の違いは生活をともに作り合っているというところだろう。

生活をともに作り合うとは、誰しもが希望の生活水準があるなかでそれを他人に押し付けるわけでもなく、それの実現の妨げを我慢するわけでもなく、着実にまた柔軟に希望する方向を確認し、修正し、そして実現を図っていくということだ。

人目を気にし、遠慮し、我慢するのが当たり前だと思っている人にとって、複数の他人と暮らしながら希望の暮らしを実現することなぞ不可能だと咄嗟に言いたくもなるかもしれない。

現に大多数の人は、個人的な理想の生活を脇に置いて寮生活やら集団生活、家族を営んでいるし、誰からも干渉されないひとり暮らしは未だに高い支持率を誇っているから、複数の他人とのびのび暮らす想像がつかないのが実情だろう。

世間一般でそのように信じられているが、どれほど人とのびのび暮らすことは難しいのか、もしくは簡単なのかやってみようと思ってしまった好き者集団が我々7人なのかもしれない。

少し話しが膨らんだのでもとに戻ると、のびのび暮らすこと、つまり経済面、物質面、精神面ありとあらゆる理想の実現と人が集まったときに醸し出される空気にはどんな関係があるのだろうというのが僕の関心事だという話しから入ったのだった。


結論から話すと、まだ全然わからない。


7人はまるでひとつひとつの歯車のようでそれぞれ好きなペースで回転もしながら、他の歯車と連動もしてしまう。一見矛盾する表現なのだけれども、常に個性という独自のリズムを刻み音を奏でながら、オーケストラのように他の楽器たちとのセッションも起こっていて、その都度インプロヴィゼーションが起こり音楽になる。


7月、3〜4人は8月開催予定のGaia Youth9期の実現に向けて気持ちを集中させている。僕はもっぱら働き方と仕事に向き合っている。次の仕事に備え精神をそこに集中される人もいれば、どこまでも広く自由に将来を描こうとしている人も、そして未知に飛び込んで感じてから考えようと旅の準備を進める人もいる。


そこに良しも悪しもないのだけれども、ばらばらとした空気が我が家には立ち込めている。まとまりに欠けるときに流れるあれだ。似たような空気は今まで何度も我が家に流れてきた。まとまらないと書いたけれど、何がまとまっていないのか。ばらばらしているこの感じは共有されているのか、されていないのか。わからないことは多い。


糸口もわからないので、これは近々知恵を寄せたくなるよき話しのネタになる予感がする。それぞれの描く理想の生活像がはっきりとは共有されず、なんとなく想像し合う現在。これからどう生活が変化するのか楽しみはつきない。




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