そろそろ一周年
暦が秋分を告げるとともに涼風が我が家の縁側に吹き込むようになりました。
週末は2ヶ月振りにそれぞれが温めてきたことのキャッチアップをする二泊三日の「合宿」を行いました。
9月は12年に一度ドラゴンイヤーに開催されるいのちの祭りで幕を明けました。昨年9月末より始まったと言えるwakuraba House、いのちの祭りがまさかの初家族旅行になりました。その後、二三日おきにゲストの訪問がある新鮮さと弱冠の消化不良による疲れがでた1週間弱を過ごし、ようやく腰を据え過ぎ去った時間が自分に何を残していったのか振り返るための合宿になりました。
メンバー間に目立った不和はなく、またその種を感じさせる雰囲気もなく、比較的のんびりはじまり、最終的にはなぜか秋空の下、我が家の庭でピクニックをして幕を閉じました。
約一年前、4人暮らしのシェアハウスに「お試し」という名目で2人が加わり、そのお試しが終わらないままに、4ヶ月前新たなメンバーも加わり、7人になったwakuraba House。そのオモシロさの真髄は、仲が良いから暮らしを共にする暮らしではなく、暮らしながら仲が深まっていく暮らしだと思います。根強く信じられている「共生」への諦めと否定を諸先輩から学びながらゆるゆるのびのびわいわいしながら覆してしまったwakuraba House での冒険の日常を、いつかもっと伝わりやすい形で世に出せたらいいなと、僕、おしゃべりは密かに思っています。
さて、今回の合宿では印象的なシーンが二つありました。
ひとつは、「話し合いのつまらなさ」について話したこと、もう一つは、「暮らしのベースは人といる喜び」という話し。
2〜3人が寛いで集うときは笑いが溢れ、程よい掛け合いがテンポよく展開しながらも深遠なテーマやセンシティブで踏み込んだ内容の話しも軽やかに行われるのに、他方膝を突き合わせて7人が車座になるとしばしば重苦しい空気が漂い気楽に話せなくなってしまうのです。
それでも、集まって話すことで蓄積してしまった言えなかったことを放出し、区切りなく流れる日常に一時停止とリセットボタンを設けることの必要性から皆で集まることは暮らしが始まって以来継続されてきました。
ところが多少重苦しくとも話しておかねば先に進めないとばかりの人間間の目立った不和がなくなるとともに、話す機会をわざと設けなくてもそこそこの生活を続けられるようになってしまい、結果過去数ヶ月は話し合いのつまらなさと深まらなさが露呈し話す機会そのものが自然に減るということが起きました。
8月のGaia Youth実施後、皆で話すこと自体がつまらないようではもう先に進めないという声があがり、つまらなさを引き起こす原因を探すことが始まったのでした。何がつまらなくさせているのかは未だ明らかでないのですが、誰かがつまらないときにつまらなさを感じとりそれを表現することを恐れなかったとき、今回の合宿の幕開けのように、楽しいほうに向かうことができる、そんなことを体験的に学べたことが大きな収穫でした。
そういうある種静かな軽さと明るさの中で各々の一年に振り返りと変化が語られ、また暮らしについて話されました。5月から芽を出したそれぞれが伸びたいように伸びる、言うなれば作物が育つ程度の土が出来上がり異なる種という人が伸びようとし始めました。そうした流れはまだあるものの、やっぱり土があって根を張れる、芽を伸ばせることに変わりはなく再び暮らしはどうだろう?という視点に二日目の夜戻ってきました。それぞれの個性が花開く以前、根を張れる土、ジャンプ台の板のような「人」という生き物に必要な暮らしの要素とは何か。ラダックにはその要素、ベースがあったように感じた、そしてそのベースとは、人といることの喜びだと思う、そんな話しを仲間がだしてくれました。もちろん衣食住、現代社会では医療や金銭、衛生なども列挙されるでしょう。しかし、人は人に頼ってしか生きることができない以上、人と人はどんなお互いであるといいのだろうかという問いは、どう生きていくかという問いと非常に密接で大切です。ですが、少なくとも日本のほとんど人は、人はお金さえあれば一人で生きていけると半ば本気で思っているし、何よりもありのままの自分を表現することはできないというメッセージを家庭や学校、会社といった社会から受け取って育つがために人と如何に距離を保って生きるかに注力していますから、人が人と暮らすにはただ人といる喜びがどれほど人にとって重要かピンとこないかもしれません。
人の心の成長に無頓着になってしまった社会で育った僕らが人といることの喜びをベースに生きることができるようになるには随分時間がかかるかもしれません。それでも、その感性を取り戻すことに力を注ぐことは全く無駄どころか残りの人生の豊かさに随分関わってくる予感がしています。
他にも書き尽くせないことがたくさん起こったのですが、最後にひとつ書くことは合宿最終日の夜のことです。
思い思いの午後を過ごし夕飯を食べ、最後は映画を観ることになりました。観た映画はカリール・ジブラン「預言者」、人生の道標になるような大変美しいこの映画を7人で観たことは明日からの新しい一日に少なくない影響を及ぼすのだろうと思います。出家した人ほどではないにしろ、けっこう真摯にどう生きるか?に愚直に向き合うwakuraba に集ってしまった人々がこれから何を感じ、何を考え、どんな日々を生きることになるのか、これからも見守っていただければと思います。