#40深呼吸
半夏生(はんげしょうず)
7月。一年の半分が過ぎ下半期に入ってきました。
僕、おしゃべりは配信をお休みして、ひと月ほど東欧はブルガリア🇧🇬に滞在し見聞を広めていました。
日本はどうも最近、円安報道が流行りです。
もう日本はだめだ。やっぱり日本はだめだ。世界から遅れをとっている。もう先進国ではない。
戦時中のように変に威勢よく誇ったり褒め称えたりする必要はないのですが、また同様に変に蔑んだり慌てたりする必要もない。
EUの一角ブルガリアを入口にヨーロッパの様子を感じてきましたが、日本経済よりも厳しい国なんてEU圏内でも十何カ国とありました。アジア、アフリア、南米も政治経済動向が芳しくない国のほうが多いようです。
日本の外に出て深呼吸すると普段どんな空気を吸っていたのかわかります。
それはこっちのほうがいいなとか、気楽だな、これは嫌だな、不快だなといった形で自身に訴えかけてきます。異国の地に出掛けて特別なことをしなくても、普段の空気との違いを感じるだけで、それは大海原で正しく風や海流を読み取り舵取りする力を高めることにつながる大きな収穫だと僕は思います。
僕らは、
家庭、職場、コミュニティ、街、地方、国
ありとあらゆる規模の集団内で生みだされる空気の質に敏感になり、また、どのような空気の質を求めるか自問し、その質に見合う空気が生まれるにはどうしたらいいのかを話し合う場を住処として、それぞれがより豊かに伸びやかに生きていこうと試みています。
ところが、それだけ「特殊な」生き方をしながらも、街や国レベルで強く共有されている価値観や信念の影響力は良くも悪くも凄まじいということを、それが及ばない環境に身をおいて初めてわかったのがブルガリアにいった収穫でした。
日本というか普段僕自身が身をおいている環境では、違和感として表れすらしない違和感があることに気がつきました。
ざっとあげると、
・全員が同意することを良しとする
・あるひとつの方向に向くよう互いが静かに根回しし合う
・全員に同じ機会があるべきとする
・一体として動くことをよしとする
・「私」の基準や感覚を後回しにする
・ある集団内での振る舞い作法が厳密で、それに従うことが集団に属するいち条件になっている
・表立って反対しない
なんてところを帰国後はものすごい強烈に感じます。これは敢えて言葉にするとこんな感じというものでまだまだこれから検証が必要なことをお断りしておきます。
何度も言いたいのは、これはあくまでも違和感、違いの話しで善悪とは全く関係のない話しです。
ただ、ある面を当たり前として生きるのか、そういう面もあるのかと思って生きるのかで、随分生き方は変わってくると思います。
最後にひとつ文句を言うならば、日本には大人が少ない。
(聖人君子ではないので、たまには文句も言います!)
これだけ物が溢れ、資源に満ち、ユニークな文化を辛うじて保ちながらも、まだ貧乏で恵まれていないと信じています。欠乏感に苛まされている人が多く、とてもケチ臭い(と感じます)。
経済なるものは成長した時代がありましたが、心のほうは全然成長しておらず非常に幼い段階にいるように感じます。
お上が悪いからと被害者ツラをするのが当たり前になっているようにも感じます。
同じ島に住む人々とは競い争い、島の外には無関心で、これまた自分の陣地だけ豊かになればいいと思っている(ように見えます)。
世界にはいったいどんな国や地域があって、そこで人はどんな風に暮らし、どんなことを考えているのか。この恐ろしく広い世界から限りなく狭〜い部分を見て全世界がそのように構成されているとどうも思わされがちです。安易に欧米とかよく聞きますが、国名をあげればそれはアメリカとヨーロッパのなかのたいてい2〜3カ国、150カ国のうち僅か数カ国の視点だけ。
どこまでもある視点からの眺めだとどっしり構えて柔軟でいたいものです。
これは別に誰か特定の人に向けた文句ではありません。いざ帰国してみて日本人なる人々の雑踏に身を置いたとき、はたと感じた僕の極々個人的な印象です。
これは正しい問いなのかすらわかりませんが、
僕らが問いを立てられないのはなぜか?
そこが帰国後気になっているおしゃべりでした。
では、また。
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