
北ロンドンのブックカフェ、朝9時45分
ロンドンのコーヒーは東京より高い。
でも私は毎日、子供を学校へ送った後その足でカフェに寄る。今週は少なくとも、ほぼ毎日。
それはまた書き始めた小説を進めるためで、その合間にこの文章も書いている。
まだ寒いロンドン、やる気を出すにはあの手この手でひねり出す必要があるのだ。
開店と同時に入った本屋の二階には、カフェがある。Waterstonesという、ロンドンにたくさんある本屋のハムステッド店だ。
この街は高級住宅街であり、私立学校がたくさんある。その一方で3駅もいけばカムデンタウンという、パンクロッカーの聖地もある。
最初は空いていたが続々と客がやってきて、作業しているうちに満席になった。その多様さが、なかなか良い刺激になる。
私が座っている壁際のデスク席は、私同様ラップトップとにらめっこする一人客が並んでいるが、テーブル席はにぎやかだ。
3人の老紳士は孫の手紙や写真を見せ合い、人種も性別もさまざまなグループが何やら盛んに議論している。
派手な原色のセーターに、ハードなブーツの4人組もやってきた。一番強面の、あごひげスキンヘッドの男性が世にも愛らしい赤ちゃんを連れている。
ほかにも子連れのパパママ、異人種カップルなど、さまざまな人たちが金曜の朝を過ごしている。
私はそこで話の筋を考える。人々の向こうには本が見える。マホガニー色の、木製のどっしりとした本棚にぎっしりと、ありとあらゆる分野の(といっても文芸書が多い本屋である)がつまっている。
ふと思う。もし本が話せたら? コーヒーを飲む人たちのように、おしゃべりを始めたら?
そうなるとロンドンの本屋はかなり騒がしくなりそうだ。
古典の棚には3人の魔女が男の成功と破滅を予言し、ミステリーのセクションでは犯人を追う探偵が編み物をしつつ思索にふける。
児童書コーナーでは賢い女の子が世の不条理に立ち向かい、ひとりぼっちの少年のもとへ魔法学校からの手紙が届く。
なかなか良い。本が主人公にあれこれと話しかけてくるシーンを入れよう。私は忘れないうちにアイデアをメモする。
さて、本棚からこちらを見ている彼らは、カフェに集う人々をどう見るだろうか。こちらから向こうが見えるなら、もちろん向こうも私たちを見ているはずだ。
退屈な日常を送っていると、私たちのことを頬杖をついて見るだろうか。そうだとしてもおかしくはない。平日のカフェには、激しい闘いも恋愛ドラマも(たぶん)起こらないから。
しかし、本の世界がどれほど魅力的であったとしても、私たちにあって彼らに無いものが一つだけある。
それはまだ書かれていない未来だ。
次の瞬間、人は笑うかもしれないし、恋に落ちるかもしれない。コーヒーのおいしさに感動したり(ロンドンでは滅多に起こらないが)、本の内容に涙を流すかもしれない。あるいはまだ話さない子が、初めてママと呼ぶかもしれない。
それらの瞬間は実現するかわからないうえ、またすぐに去ってしまう束の間の出来事だ。
だが、壊れやすいからこそ貴重なそれらのもの、つまり友情や愛、笑い、美味しさといった一瞬の輝きは、全てこちらのパッとしない世界にある。
だから、私たちが憧れる本の登場人物たちは、実は私たちを羨ましそうに見ているかもしれない。
どれほど彼らの世界が刺激に満ちていても、もう結末は書かれてしまっているのだから(続編が出るなら別だけど、古典は諦めるしかない。かわいそうなハムレット)。
そう考えると(もはやひどい妄想ではあるが)、ブックカフェの本当の良さは、本とコーヒーという最高の組み合わせを楽しめることだけではない。
本がそこで人々を見つめていることが、私たちの世界の素晴らしさを際立てているのだ。実際には無言だが、きっと彼らなりに言いたいこともあるだろう。
そんな奇想にふけっているとあっという間に時間は経って、ランチの約束が近づく。私も物語を書こうとやっきになってばかりいないで、友達や家族との時間を大事にしよう、と思う。
思い通りになど全くいかない、繰り返しばかりで退屈な、だけど一度きりしか来ない毎日を。
※大好きな親友の言葉を借りれば、良いことも悪いことも、全ては、
「それもまた思い出やん?」
ということなのだと思う。