ドッジボール言語化挑戦中

ドッジボールの競技レベルを上げたい。ドッジボールに限らず、指導者のレベルアップに繋がることを発信します。多くの子どもに自信を。

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noteを書く理由

本来、これを一発目にもってくるべきでした。やっちゃった感は否めません。 結果や肩書きで発言が評価される世界 指導者に必要なことはたくさんあります。ドッジボールの技術面・フィジカル作りの知識に限らず、選手との接し方も必要です。もう少し広い範囲で言えば、保護者の方々との接し方も必要ですし、他チームとの上手な付き合いも必要で、必要なことを言い出せばキリがありません。指導者としての成長のためには、それらのことを学ぶ必要があります。学びに終わりはなく、指導者を続ける限り、学び続ける

    • 体重移動について

      めちゃくちゃ久しぶりのnote。ある程度のことを抽象的にはXとnoteで書いたから、これからは具体的なことや細かいことを書いていけたらなと。重複した内容も出てくるだろうけど、そんなの考え出したらキリが無いですよね。 僕は投げ方をとても大事にしています。どうしても軽視されがちというか、細かいことを気にしなきゃいけないし、成果が出るまでに時間がかかるし、多くの人が敬遠しがちなところかと思います。直線的な成長グラフを描くことなく、投げ方は必ず指数関数的な成長グラフを描きます。

      • 故郷に帰る

        Instagramを見てくれている方はご存知だと思いますが、懐かしの体育館に行ってきました。目的は、もちろん県予選。 この体育館にはたくさんの思い出があって、楽しい思い出もあれば、悔しい思い出も。ブロック大会では結果を出せたけど、県大会では結果を出せなかったから、悔しい思い出がほとんどなんですけどね。それでも、悪い思い出なんてひとつもなくて、良い思い出ばかりの体育館。 自分が子どもの時も大人になってからも戦い続けた場所。行かなくなってから何年経つかな。7.8年?とにかく久

        • もういくつ寝ると

          気づけば、もうすぐなんです。「気づけば」とか言ってますけど、まったくそんなことなくて、後何日か、毎日数えています。 ドッジボール界一のカリスマに出会ったのは14年前、僕が20歳の頃。厳密に言えば、もっと前に出会っていたんだろうけど、お互いを認識したのはその頃。 僕が小学生の頃から、そのチームと付き合いはあったが、決して強いチームでも無ければ、失礼だが良いチームでもなかった。監督が代わって大きく変わったと噂で聞いていた。 僕が20歳の時にドッジボール界に復帰してすぐにその

          声が出てしまう環境を作る

          先日、ありがたいことに自チームにテレビの取材が来ました。地元のケーブルテレビで放送していただけるようです。まだまだ小さなチームなのに感謝感謝です。 取材で来ていただいた方がチームの雰囲気を褒めてくれたんです。そういうポジティブなことは素直に受け止めて喜んでいます。どうもありがとうございます。 褒めてくれた流れで「練習で意識していることは何ですか?」なんて聞いてくれるものだから、気分が良くなってべらべら話してしまいました。話した内容をざっくりまとめると、「声が出てしまう環境を

          声が出てしまう環境を作る

          努力と環境

          スポーツにおける能力の話になると、必ず「才能」と「努力」という単語が出てくる。この2つを足すのか、掛けるのか、どちらかはわからないが、どうやら2つとも重要らしい。一説によると「才能」は生まれつきのものだから、今さらどうもならないらしい。しかし、「努力」は今からでもどうとでもできるらしい。 「才能」って何?上のような話は誰もが聞いたことがあるのではないかと思います。才能も努力もどちらが大事で、才能が無い人間は努力でカバーするしかないみたいな。才能ってものが存在しないわけではな

          応用とは特定の動作を輝かせるためのもの

          応用について、以前こんなことを書いていました。こちらも是非チェックを。 具体的な答えはキリがないありがたいことに投げ方について質問をしてくれることがちょこちょこ増えました。すべての質問に一生懸命答えています。なるべく具体的に答えるように心がけているのですが、具体的な答えってキリがないんです。 「たまには野菜を食べようね。」で済む会話が「野菜」がどのようなものか抽象化できていなければ、例を挙げ続けなければいけません。ここらで投げ方だけでなく、ドッジボールや他のスポーツの技術

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          監督としてチーム一年目を終えて

          もう4月に入り、完全に新チームの体制となりました。チームとして、監督としても二年目を迎えました。 昨年5月にチームを立ち上げ、最初こそ人数は少なかったですが、気が付けば30名以上の子どもたちが集まってくれました。一年目だからこそ入れ替わりも、他のチームよりもきっと多いでしょうが、6年生が卒部した今も30名以上の部員がいます。一気に増えてしまったものだから、最初は本当に大変でした。今も大変ですが、その頃に比べると落ち着きました。右も左もわからない子たちばかりでしたから。多くの

          監督としてチーム一年目を終えて

          指導に不可欠な因数分解

          前回の続きです。前回の記事は↓ 相手が誰でも伝え方は変わらないここ数年は小学生だけでなく、中高生や指導者にも指導する機会が増えました。今年度からチームを立ち上げたため、今は小学生がメインですが、指導者にも指導する機会もまだまだあります。むしろ、SNSを始めてから増えたくらいです。熱心にアドバイスを求めてくれた指導者の2チーム共に無事に全国大会を決め、来週福岡の舞台で頑張ってくれることでしょう。どこまで力になれたかわかりませんが、大きなきっかけは作れたと思います。次の夏の県大

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          失敗しても良いから挑戦しなさい?誰にとって「良い」のか

          失敗しても良い?『失敗しても良いから挑戦しなさい』 誰もが聞いたことあるのではないでしょうか。もしかしたら言ったことがある方もいらっしゃるかもしれません。僕もその中のひとりです。昔は堂々と言ってました。なんか良いことを言っている気がしてたんです。勇気を持たせられるような気がして。でも、そんなことはなかったです。今となれば、とても無責任な発言だったと反省しています。 この発言は本来、「失敗するなら練習で失敗しよう。本番の大会で失敗しないために。」という意味だと思うんです。実際

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          助走と体重移動、頭を突っ込むことの弊害

          助走も体重移動も前にXで少し触れた気がしますが、改めて深く触れようと思います。 このポストで完結しちゃってる気もするのですが、それでも補足を。 助走と体重移動助走そのもののスピードがボールの勢いに乗ることもありますが、メインは車の急ブレーキのあれです。誰でも経験したことがあると思うのですが、車の急ブレーキの衝撃ってすごいじゃないですか。あの勢いをボールに乗せることができたら、もうそれはそれは強いボールを投げることができそうですよね。 運転席に乗っていると仮定します。急ブ

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          ハンドキャッチで悩む君(みなさん)へ

          今日は普段とは違う書き方をしてみました。何が伝わりやすいか、実験です。偉そうな口調に感じたらごめんなさい! これまでもきっと話したことはあるけど、ハンドキャッチの最大の課題は「捕る」と「投げる」を繋げること。投げることを意識せずに捕ろうとするから捕れないんだ。厳密に言えば、捕ってから投げようとする時に落としてしまっているんだ。ハンドキャッチのミスの原因の多くが繋ぎ目でのエラーだ。 例えばだけど、箸を思い浮かべてほしい。箸を誰かに渡す時と自分で食べるために使う時で持ち方は変

          ハンドキャッチで悩む君(みなさん)へ

          競技人口を減らさないための提案〜ボールとルールと競技レベル〜

          宣言通り、筆を執っています。 昔は全国で2500ほどあったチームも今は1000を切っています。県によっては0というところもあります。ドッジボールの競技人口が増えない原因として、少子化や新規参入のハードルが上がったことなども挙げられますが、今回は競技性に絞って考えていきます。また、増やすための提案ではなく、辞める子を減らすための提案とします。 ドッジボールは攻撃優遇のスポーツ他のスポーツをすべて見たわけではないですが、ドッジボールほどに攻撃優遇のスポーツは無いと思っています

          競技人口を減らさないための提案〜ボールとルールと競技レベル〜

          県大会を終えて。

          初の県大会となる春の県大会。悔しい結果に終わったけど、たくさん成長が見られた一日だった。部員が集まって本格的な練習を始めてから約半年、一番ドッジボールを楽しんでいたし、どこのチームにも勝つチャンスがあると感じた。圧倒的な経験や技術の差があって、怖さもあっただろうけど、最後まで戦い抜いた彼らを誇りに思う。 部員も集まり、練習らしいものが始まったのは確か9月頃だったと思う。足元に来た球をジャンプして避けるのではなく、膝をついてキャッチしに行ったほうが良いこと、一列に並んでディフ

          怒ることで得られる安心

          先日Xでポストした通り書きます。 怒る人は減ったが僕が小学生の頃と比べると、怒る指導者は確かに減ったし、数年単位で見ても減りました。このこと自体は良いことだとは思っていますが、本質的な部分ではあまり改善されていないように感じます。時代背景を理由に怒っていないわけであって、怒る以外の新しい指導法が確立されてないからです。怒っちゃダメだから怒らないのではなく、より良い指導法を見つけなくてはいけません。そのために、まずは怒る指導者が減らない理由を考えていきたい。 不動の一位何年

          怒ることで得られる安心

          教えることが指導者の役割じゃない

          ※指導者の役割は多くありますが、あくまで技術面に絞った話をします。 子どもにとっての指導者という存在大袈裟と言われるかもしれませんが、指導者をやると決めてからは、その子の人生を背負うつもりでやっています。子どもたちからすれば、僕ら指導者は家族と学校の先生の次くらいに顔を会わせる大人であり、与える影響も大きいです。しかも、それが子どもたちが大好きで始めたドッジボールとなれば、与える影響はさらに大きいはずです。 小さい頃の自信プロ野球選手には4月5月生まれ、つまり同学年の中で

          教えることが指導者の役割じゃない