見出し画像

もういくつ寝ると

言語化できないものに僕は憧れた。

気づけば、もうすぐなんです。「気づけば」とか言ってますけど、まったくそんなことなくて、後何日か、毎日数えています。

ドッジボール界一のカリスマに出会ったのは14年前、僕が20歳の頃。厳密に言えば、もっと前に出会っていたんだろうけど、お互いを認識したのはその頃。

僕が小学生の頃から、そのチームと付き合いはあったが、決して強いチームでも無ければ、失礼だが良いチームでもなかった。監督が代わって大きく変わったと噂で聞いていた。

僕が20歳の時にドッジボール界に復帰してすぐにその監督に会う機会があった。練習試合だ。

体育館に着いて試合が始まって、すぐに魅了された。理由はわからないけど、とにかく人を惹きつける。何をしてても目がいくし、言葉に力がある。これがカリスマだと。

僕もああいう風になりたい。

そう思うのに時間はかからなかった。

それからとにかく話は聞きに行くし、観察もよくした。

なんとなく言っていることもやっていることもわかるんだけど、自分には真似できない。いや、真似はできたけど結果がついてこない。子どもたちとコミニュケーションを取ることは割と得意だったにも関わらずだ。

喝を入れるつもりが同じことを僕がすれば、大声で怒っている感じになってしまう。同じように子どもたちと接しても、距離は縮まらない。

どれだけ話を聞いたり観察して真似をしても、同じ結果になることはほとんど無かった。そして僕は真似することをやめた。

もちろん尊敬はしていたし、ずっと魅了され続けていた。けど、僕に同じことはできない。カリスマとは真似をしても同じ結果にならないからこそカリスマであり、カリスマをカリスマたらしめているものは言語化できない。

僕にはそんな魅力が無いことはなんとなくわかっていたから、案外すぐにやめることができた。そして、言語化に走った。特別なものを何も持っていないからこそ、誰にでも真似をしては結果を出せる言語化に走った。

誰にでもできることを誰にもできないくらいに僕は頑張ることに決めた。それからは割とうまくいった。技術を言語化できているかどうか、まだまだ不安もあるが、目の前にいる子どもたち、各SNSである程度の支持を受けていることもあって、それなりに自信もある。その自信が今の僕を肯定してくれている。

今でもカリスマに憧れはあるし、なれるものなら今すぐにでもなりたい。でも、いつまでもなれないものになろうとする僕に需要なんて無い。そんなことをしていても誰かのためにもならない。

それから色々あって、最近はなかなか交流も無かったけど、数年ぶりに交流することができる。あれから少しでも成長した姿を見せられるといいな。憧れの気持ちは何も変わらず、あの頃のままだ。

カリスマに魅せられて憧れ続けたからこそ、今の自分がある。


いいなと思ったら応援しよう!