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努力と環境

努力ができる環境を用意できているか。

スポーツにおける能力の話になると、必ず「才能」と「努力」という単語が出てくる。この2つを足すのか、掛けるのか、どちらかはわからないが、どうやら2つとも重要らしい。一説によると「才能」は生まれつきのものだから、今さらどうもならないらしい。しかし、「努力」は今からでもどうとでもできるらしい。

「才能」って何?

上のような話は誰もが聞いたことがあるのではないかと思います。才能も努力もどちらが大事で、才能が無い人間は努力でカバーするしかないみたいな。才能ってものが存在しないわけではないと思いますが、そこまで才能に依存するものではないと思っています。

結果を出しているうちは「才能がある」って言ったり、同じ人が結果を出さなくなった時には「やっぱり才能なんて無かった。早熟だった。」とか言うわけじゃないですか。そりゃ身長なんかは代表的で、どうにもできない部分はありますが、才能に大きく依存して後からはどうしたって抗えない世界なんて誰も望んでませんよね。先天的なものだけで逃げ切るような「才能」を持ち合わせてる人間なんてほとんどいないでしょうから。

「努力しなさい」という魔法の言葉

だから人は言います。「努力をしなさい」と。指導者からすれば、これを言っておけば楽なんですよ。後天的なものは、その人次第って言うことができるんですから。うまくいかなかった時には「努力不足」の一言で片付けるんですよね。

環境もまた先天的なもの

めちゃくちゃお風呂に入ることが面倒に思う時ってあるじゃないですか。それでも入るしかないと思って入ろうとするわけですが、やっぱり腰が重い。このような状況でお風呂に入ることが努力と呼べるかは怪しいですが、頑張ってお風呂に入ろうとするわけです。

でも、これってすぐにお風呂に入れることが保証されてるから、頑張ってお風呂に入ろうと思うわけです。水を運んで、火を起こして、お湯にして…なんて工程を踏まなければいけなければ、めちゃくちゃ疲れてお風呂に入るのが面倒な時には絶対にできません。
いくら勉強しようとしたって、学校がないような国では難しいじゃないですか。「努力しなさい」で片付けられないですよね。

努力できる環境作り

だからこそ、僕ら大人が作らなくちゃいけない、頑張れる環境を。「努力しなさい」なんて言う暇があれば、環境を疑った方がいいし、そんなことを言ったところで努力をするほど人間は簡単にできていません。「できる」と「やる」は似ているようで似ていませんよね。

目標に向かって走らされるのではなく、気付けば走っている。こんな環境を作ることを常に心がけています。まぁなかなかうまくいかないんですけどね。それでも、より良い環境を提供するためにこれからも精進します。お付き合いありがとうございました!

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