失敗しても良いから挑戦しなさい?誰にとって「良い」のか
失敗しても良い?
『失敗しても良いから挑戦しなさい』
誰もが聞いたことあるのではないでしょうか。もしかしたら言ったことがある方もいらっしゃるかもしれません。僕もその中のひとりです。昔は堂々と言ってました。なんか良いことを言っている気がしてたんです。勇気を持たせられるような気がして。でも、そんなことはなかったです。今となれば、とても無責任な発言だったと反省しています。
この発言は本来、「失敗するなら練習で失敗しよう。本番の大会で失敗しないために。」という意味だと思うんです。実際に僕は、そういう意味合いで言っていました。でも、どんどん意味がずれている気がしていて。それに、本当は失敗して良いわけでもなければ、この「良い」が誰にとって良いものかもふわふわしています。
失敗して怒るのが当たり前のドッジボール界
練習試合や大会に行けば、どこでも罵声が飛び交っています。この文化を変えたくてドッジボールの言語化に挑戦しています。何を教えるべきか、どこで躓いているのか、どこまでできるようになったのか、そこが明確になればむやみやたらに怒ることは無くなるはずです。当たったり捕られたりした時に怒っていれば、なんとなく指導している雰囲気を出せて楽なんでしょうね、きっと。
「こちらが怒ることは無い」という意味の「良い」
上に書いたことと併せて考えた時に「失敗しても良いから挑戦しなさい。」の「良い」は、「こちらが怒ることは無いよ。」の意味で使われていることが多い。つまり、指導者側の「良い」であって、選手のことではない。基本的に失敗は良いわけでもなければ、指導者の顔色を伺うものでもないので、こんなこと言っても何の意味も無いことに気付きました。
失敗など存在しない
わかりやすくするために「失敗」と書いてきましたが、そもそも失敗など存在しません。もちろん、ふざけていてアウトになる等は失敗でしょうが、なぜふざけてしまうのか、僕らはまずそこに目を向けなければいけません。ふざけるのにも必ず理由があって、それを取り除いて目の前のことに集中させることも僕らの役割ですよね。
少し話が逸れましたね。『できる/できない』で判断するから、『失敗』という概念が存在するだけで、できるようになるまでの過程を歩んでいることを見ていれば、失敗だなんて言えません。
大好きな言葉です。成功するために試行錯誤し、どんどん挑戦している姿を失敗だなんて言えないです。選手も指導者もそれは同じですよね。
『できる/できない』で判断するから、『失敗』という概念が存在するだけ、と書きました。方法を間違えて、失敗に目がいってしまうだけで、本当は失敗する姿よりも成長して成功に近付いていく姿を見たくて指導者をしている人がほとんどだと思うんです。成長していく姿を見届けるための指導に必要な因数分解の話を次回はしようと思います。今日のnoteはこれでおしまい。お付き合いありがとうございました!