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ただのエッセイ

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#哲学

2024年に醸成した方向性&2025年のいま夢中なものについて

2024年に醸成した方向性&2025年のいま夢中なものについて

2024年度はありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。

2024年では自分の中で革命が起きました。
それは夏頃、メディアアートの講義を受けた辺りの変化です。

(2024年は自分にとって本当に大革命の年だったのですが、断片的な記事はそこそこ出してきたものの、その全てのつながり部分についてはほとんど言語化してなかったかと思います。

なので何がそんなに自分を熱狂させているのかというこ

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誰がピンク色を着ても良いし、それを批判することを正当化する理論は存在し得ない。
ピンク色を着る者を批判するなんて、ただ羨ましいだけだろうに。
その自由を羨むなら己も自由になればいいだけ。その方が生産的。
なのにそれをしない、臆病だからだ。
何故臆病なのか?自尊心が欠けているから。

逆張りという無自我。
認知的不協和によって生じた不快感のため反射的に「誤った手段」そのものを正当化したり、原因を悪魔化することで「違法的行為」を根本から肯定するといった行為を是としてはならないと思う。
それが色んな悲劇を生む。
顔造形が気色悪ければ殺されて当然だと、そう言うの??

自尊心に満ちていない。これが問題。
自分の権利を侵害されることが不当である認識を多くの人間が持っていない。だから、法律という既にあるルールを無視して根拠のない非生産的なルールもどきでお互いを縛り続ける。
本質を無視し、何もしないことを正当化し、行動する者を冷笑する。
不幸になる。

責任を持つことを恐れることほど非生産的・反クリエイティブな行いも無い。

最近考える、「創造性」の答え。
それは、一般や定説とは異なった選択をするという勇気。
それが"本心であるならば"そうするべきだということ。
才能なんて存在しない。
才能と片付けられるもの、それは異を恐れぬ者になろうという勇気を出さぬ者のための欺瞞であり怠惰であり、まやかしだ。

「よく分からないもの」を描くという勇気。写実画に於いても、抽象画やシュールレアリスムや印象派、全ての表現技法に共通のコツ。
「よく分からなさ」に向き合い、「よく分からない」まま受け入れたり表出できるかどうかが鍵だ。そう思った。

「誕生日じゃない日」を祝うという生き方、ある種の積極的ニヒリズム。これは自由や喜びのヒントだと思っている。
誕生日ではない日を勝手に祝ってたのしんでお茶会を開けば良い。そうすれば364日も「誕生日じゃない日のパーティー」が開ける。
ふしぎの国のアリスに学ぶ、ナンセンスという幸せ。

喜びのために生き、喜びを広めることを行って喜びを増やすことで自分自身を幸せに出来る楽しい生き方をしていきたい。
喜びや楽しみを描き創り、それを頒かち広める行動を行える者でありたい。
失望も、怒りも、それを感じられること自体が自己存在が実在するという喜びに繋がるので悪い事じゃない。

「異」という美学。
異というものは過去も現在も疎まれるが、異によってこそ自分と外界との境界を実感を持って得られ自分を感じられる。
他の持つ「異」への恐れは自己の実体感覚への恐れのように思う。
異を愛し肯定し、カオスを愛すことの究極の自己/他者への愛情。喜び。これを広めたい。