【20歳 独学アート講師】前田ネイト
自分でモノを作ったり、何かを売るということをしている人間を主な対象とした記事をまとめました。
前田ネイト主宰の絵画教室についての最新情報など
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まえがき 私は、NFTが流行り始めた当時17歳(高校2年生)の頃から20歳(大学2年生)の今になるまで 何だかんだNFTを売り続けています。 その中で ①これまでに見てきた「NFTはパチンコ台の大量供給である」といった話を見て、これは確かにそうかもしれないと思ったこと。 NFT界(あくまでも全体平均)の「アート性」の低さへの失望など。 ②そして現状としてあまりにも「NFTを買うよ詐欺」が多すぎたりNFTやOpenseaのワードを出すだけで集まってくるスパムアカウント(大体が
強烈な思想を集合的無意識という型を通じ形を整え、誰もが分かる形に調理をする。コミュニケーションをする。これこそが作家の仕事であるように私は思う。
人間、果物を食べたいという欲求がある。(とりわけ柑橘。)
何かを嫌えるっていうのも才能なんだと思う。気に入らないものが多ければ多いほど「なら自分が作ろう」と思えるから。 そういう人たちがこれまでの美術史を紡いできたんだと思う。 でも残念なことにそれを活かせない人で満ち溢れている。 一生反抗期でいいと思う、クリエイターであるなら。
「好きを仕事に」なんて美辞麗句が持て囃されるけど、実際にいろんな作り手や「強い」人たちを沢山見て思うのは 「嫌い」に対して注げる熱量ほど大きいものも無いという事。 何か嫌だと思う物事に対して創造的に疑問提示を出来る人とか、絶対に「嫌い側」へ併合しない意志って輝いていると思った。
人間が何かするから面白い。本質としてコミュニーケーションがある。 美術史を振り返ってみてほしい、そこにあるのは前時代へのアンチテーゼであり主張である。 美術史はある意味ラップバトルだ。 無抵抗・無自我・無思想 これを善しとする日本において強くはびこる因習を打破していきたい。
本気で歴史に残りたい意思があるならば、そういう者にとって今必要なのは「ヒューマンアート」をジャンル化・ブランド化することだと思っている(現時点での考え。) さもなくば、それは「AIでいい」ってわけだ。
直観だけれど、音楽は数学ととても深く繋がっている気がする。 なんでそう感じるのかをきちんと言語化できるようになりたいから音楽理論や数学も知りたい。 まだ「ナーマギリ女神が夢でそう言ってたんだ」としか言えない…それすら言えないかも。
機械、数学、プログラミング、このあたりをもっと知りたい。 自分にとってのシャドウはこの辺の物事かも。 そしてきっと本当はそれを得意になりたいし、やってみたい。
すごく簡単にまとめるなら、本当に心からやりたいことはやったほうが人間って輝ける。
逆に考えるなら、例えば幼い頃から写実表現が巧みだったピカソにとっては「子供のような絵」のほうがシャドウで これをキュビスムという形で統合できたからこそ「個性的」な絵になったんだと思う。 人を魅力するものってそういうのだと感じてる。
デッサンや写実的なものに対する反発のようなもの、これの答えになりそうだと思う概念がユング心理学でいうところの「個性化」。 「描けない」人にとって、デッサンや写実の概念は「シャドウ(生きれなかった側面)」 これを統合することで個性が生まれる、と ユング心理学に基づくならそうなる。
もうそろそろ「何が人間なのか」、これについて不安になってくる人が増えてくる頃だと思う。特にアーティストは。 でも幸いなことに人間には「集合的無意識」がある。 (少なくとも自分はそれを実感している。) 一歩踏み込みたいのなら、ここが鍵になるのではという気がする。
「人間がやるから面白い」の次に絶対来ると思うのは、「一体何が人間なのか」「どこまでが人間なのか」 そういう話になっていくと思っている。
相変わらず人より行動可能なターンが少ない毎日ではあるけれど、一番錆びついていた時期と比べると明らかにマシにはなってこれている。 薬に頼らないで、自分の力で。 だからあともう少しで大丈夫になれるって確信してる。 この辺の頑張りもちゃんと記事にしたい。
アカウント消しちゃったけど、Blueskyもう一度入れても良いのかもな。 あともう少し部屋の状態と気力と体力が大丈夫になれたら配信とかもしてみたい どうやったら自分のことをもっと知ってもらえるか、それを追求したい。 これは人からも言われるけど、自分は中身をもっと知ってもらうべき。