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【漫画】『源氏物語』ってどんな話? ー 「いづれの御時にか」の革新性! ー

古文の授業で必ず触れる、『源氏物語』の冒頭「いづれの御時にか…」。
実はこの一節、それまでの物語とは一線を画す、革新的なフレーズだったのです…!

『源氏物語』は世界最古の長編小説であり、千年も前に一人の女性の手によってこのスケールの物語が書かれたというだけでも評価されるべき存在です。しかし、『源氏物語』のすごさは”長さ”だけではありません。
『源氏物語』は、その冒頭で、全く新しいジャンルの文学を生み出したといってもいいくらい革新的なものでした。

当時のほかの物語等と比較しながら、その新しさをみていきましょう。



森の草よりもたくさんあった当時の物語 ー 「昔…」で始まるそらごと

『源氏物語』があまりにも有名なため、それ以前にはほとんど物語がなかったかのような印象をもってしまいがちですが、実際は既にほかの物語がありました。
あったどころか、平安時代中期の仏教説話集『三宝絵詞』によれば、当時物語は「大荒木おおあらきの森の草」よりも「荒磯海あらそみの浜の真砂」よりも多く書かれていたそうです。

現代でもよく知られているものとしては、『竹取物語』や『伊勢物語』、漫画化や小説化もされている『落窪おちくぼ物語』もその一つ。
また『枕草子』の「物語は」という章段には、『住吉物語』『うつほ物語』と現存するもの(現存の『住吉物語』は鎌倉期のものですが)のほかに、「埋れ木」「月待つ女」「梅壺の大将」「道心すすむる」「松が枝」「こまのの物語」「物羨みの中将」「交野の少将」…と今では散逸してしまった物語が多く挙げられており、当時たくさんの物語があったことがうかがえます。

そうした物語の内容は様々ですが、「昔…」という書き出しは共通でした。いくつか例を見てみると…

・今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。(『竹取物語』)

・むかし、男、初冠うひかうぶりして、奈良の京、春日の里に、しるよしして狩にいにけり。(『伊勢物語』)

・今は昔、中納言なる人の、むすめあまた持給へるおはしき。(『落窪物語』)


この時代の物語は、昔話の体裁をしているのが普通だったのです。

それは、単に「昔…」で始まることを意味しているのではありません。

以前、柳田國男の本で読んだのですが、昔話というのは、物語の舞台となる時代・場所があいまいで、それゆえ登場する人物も不特定であることを特徴としているのだそうです。
そこでは話の信憑性は重視されず、ストーリーも登場人物の性格や感情も非常に簡潔に語られます。

「昔話はそもそもおとぎばなしでもある」ため現実にはあり得ないようなことが起こってもいいわけで…当時の物語はそうした色合いの強い伝奇物や恋愛物がほとんどだったのでしょう。

当時、物語は女・子どもの読むものとして、漢詩や漢文、歴史書といった男性の”正当”な文学より下に位置づけられていたのですが、それはこのあたりの事情からきているのかもしれません。


現実の出来事を書いた『蜻蛉日記』、初の長編物語となった『うつほ物語』

このような物語の状況にまず一石を投じたのが『蜻蛉かげろう日記』でした。

『蜻蛉日記』は、早ければ『源氏物語』より30年ほど前に書かれたと言われている、藤原道綱母ふじわらのみちつなのははの日記です。
その名の通り日記文学であり物語ではないのですが、『源氏物語』の誕生に大きな影響を与えたと言われています。

藤原道綱母は『蜻蛉日記』の冒頭、日記全体の序文ともいえる箇所で「古物語」について次のように言及しています。

…世の中に多かる古物語の端などを見れば、世に多かるそらごとだにあり、人にもあらぬ身の上まで日記して、めづらしきさまにもありなむ…

(…世の中にたくさんある古い物語をのぞいてみると、どれもこれもきれいごと、うそばっかり。そんなものでさえおもしろがられるのだから、人並みでないわたくしの身の上をありのまま日記にしたら、もっと珍しいものになるだろう…)

藤原道綱母『蜻蛉日記』
現代語訳は『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 蜻蛉日記』より


藤原道綱母はここで、「そらごと」を書いた古物語に対し、現実の自分自身のことを、つまりは作り話ではない本当のことを書く、と宣言しているのです…!

これは非常に先駆的なことでした。
月から舞い降りたお姫様や遠い昔の好色男ではない、同時代に生きる人の複雑な感情や一筋縄ではいかない人生がそこに記されていたのです。

もう一つ、『源氏物語』の誕生を語る上で外せないのが『うつほ物語』。
作者は未詳ですが、『蜻蛉日記』と同じ頃に書かれたのではないかと言われています。

『うつほ物語』には「昔」という起筆が2箇所もあり、また巻一「俊蔭としかげ」では、第一の主人公・俊蔭が異国で天人に会ったり、琴を弾いて奇瑞を起こしたり、俊蔭の孫・仲忠が熊から山中の空洞うつほを譲り受けて、そこで猿に養ってもらったりと「おとぎばなし」のような展開が続きます。

しかし、話が進むにつれて王朝物語の様相が強くなり、恋愛・結婚や皇位継承の問題で一喜一憂する人々の姿が具体的に描かれていきます。

『うつほ物語』の解説で室城秀之氏は、「時代は、『古物語』では描きえなかった、今を生きる人々の喜びや悲しみを描く、新しい文学を要求していきました」と述べています。
そうした時代の要求に応えようと、従来の物語のパターンを継承しつつも、新しい文学の扉を開いこうとしたのが『うつほ物語』だったのです。



『源氏物語』の冒頭 「いづれの御時にか」

ここで、ようやく『源氏物語』の冒頭です。

いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。

(どの帝の御代であったか、女御や更衣が大勢お仕えなさっていたなかに、たいして高貴な身分ではないい方で、きわだって御寵愛をあつめていらっしゃる方があった。)

紫式部『源氏物語』第一帖「桐壺」
現代語訳は与謝野晶子

「どの帝の御代であったか」とぼかしつつも、ある特定の帝(=桐壺帝)の時代の話であることが、同時に、「御時」という言葉で物語の舞台が宮廷であることが、最初の一説だけで読者に明示されています。

続く物語で描かれるのは、宮廷の人々の具体的な様子と、個々の人格と複雑な感情をもった登場人物たち。
『源氏物語』は、物語という「虚構」の中に「現実の世界」を描くという、今の小説では当たり前となっている手法を確立した、最初の作品だったのです…!

初めて『源氏物語』を読んだとき、当時の人々はいったいどんなふうに感じたのでしょう?

光源氏のモデルとして多くの人が名を挙げられていますが、そもそも「実在のモデルがいる」と感じさせられる時点で画期的なことで…読者はきっと登場人物たちを身近に感じ、夢中になって話題にしたことと思います。

『源氏物語』はその書き出しから、当時の物語状況を一変させ、新しい文学の道を切り拓いてゆきました。
これを紫式部一人の手で行ったかと思うと、まさに天才としか言いようがありません。


【参考】
柳田国男(1983)『日本の昔話』新潮文庫
右大将道綱母著、角川書店編(2002)『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 蜻蛉日記』角川ソフィア文庫
河添房江(2007)『源氏物語と東アジア世界』NHKブックス
室城秀之編(2007)『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 うつほ物語』角川ソフィア文庫
室城秀之編(2023)『新版 うつほ物語一 現代語訳付き』角川ソフィア文庫


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