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【漫画】紫式部の最後って? ー すべてを受け入れた晩年の境地と『源氏物語』のその後
藤原道長の娘・彰子に仕え、『源氏物語』や『紫式部日記』を後世に残した紫式部。彼女の没年は不明ですが、自選歌集『紫式部集』や後年の研究をたどりながら、その晩年の境地に迫りたいと思います。
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紫式部はいつ亡くなったのか? ー 1014年〜1031年まで幅のある没年説と女房としての評価
970年代、中流貴族・藤原為時のもとに生まれ、夫の死を機に、30歳前後で、物語の執筆、宮仕えへと歩を進めた紫式部。
長編小説『源氏物語』や、藤原道長の娘・彰子の男児出産等を記録した半公的文書『紫式部日記』を執筆したことで有名ですが、その後どのように過ごしたかよくわかっておりません。
ですが、同時代の公卿・藤原実資の日記(といっても現代の日記とは異なり漢文で書かれて儀式や政務の記録)・『小右記』の長和2(1013)年5月25日の記録に、皇太后彰子に仕え応対する女房として「越後守為時女」(=紫式部)が登場することから、少なくともこの時までは宮仕えを続けていたことが窺えます。
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紫式部の没年として最も早いのは、長和3(1014)年説、続いて長和5(1016)年説です。
紫式部の父・為時は越後守として現在の新潟県に赴任していたのですが、長和3(1014)年に任期半ばで職を辞して京に戻り、長和5(1016)年に出家を果たしました。これを娘の死を悼んでのことではないかと推測し、紫式部は40歳前半で亡くなったとするのが与謝野晶子らの主張です。
ですが、先ほどの『小右記』には寛仁3(1019)年にも紫式部と思しき女房が登場します。
寛仁3(1019)年1月5日に、藤原実資が久しぶりに彰子のもとに参上すると、取次の女房が「昔はよくお越しくださいましたのに、近頃はさっぱりで…」と彰子の思いを伝えます。この女房が誰かは明記されていないのですが、応対の内容からして長和元年頃に幾度も実資の取次をした女房、つまり紫式部であると考える説があるのです。
もしそうだとすれば、彼女は『源氏物語』や『紫式部日記』の執筆後も、女房として彰子や実資らに信頼され、勤めつづけたことになります。
紫式部はもともと女房勤めなどする気はなく、夫の死後生活のために渋々働き始めたという人です。採用理由もおそらく、「評判高い『源氏物語』の作者を彰子サロンに加え、天皇の関心を惹こう」という道長側の思惑によるもので、女房としての能力はさほど期待されていなかったのではないかと思われます。
そんな彼女が文芸作品を生み出すという本来の役目を終えた後も宮仕えを続けていたとすれば、作家としてだけではなく、女房としも高い評価を得ていたということではないでしょうか。
紫式部は当時の還暦にあたる40歳を過ぎて尚、第一線で働いていたのかもしれません。
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このとき時代は、『枕草子』や『源氏物語』など女流文学が花開いた一条天皇の御世から、次の三条天皇、そして一条天皇と彰子の子・後一条天皇の御世へ大きく変化していました。
時の権力者であり紫式部の雇用者でもあった藤原道長は、摂政職を息子・頼通に譲り、寛仁3(1019)年に出家します。
紫式部は、世の中心が次世代に移った万寿2(1025)年、あるいは長元4(1031)年まで生きていたという説もあり…そうだとすれば、万寿2(1025)年の娘・賢子の親仁親王(のちの後冷泉天皇)の乳母抜擢も、万寿4(1028)年の藤原道長の死も近くで見ていたのかもしれません。
独り生き永らえる「身の憂さ」 ー 『源氏物語』の人気と裏腹の憂愁の念
しかし紫式部は自身が生き永らえることを喜んでいなかったようです。
『源氏物語』や『紫式部日記』で世の無常や身の憂さが嘆かれていることからもわかるように、紫式部はこの世に生きることを辛く苦しいことと捉えていました。
幼少期に母を亡くし、その後の人生で姉、夫、弟…と多くの親しい人を喪ってきた紫式部。晩年には、慣れない宮仕えの中でできた親友・小少将の君も亡くしてしまい、人の世の儚さや一人残される辛さを感じずにはいられなかったのかもしれません。
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紫式部は女房としてのキャリアに加え『源氏物語』という作品を世に残しました。
『源氏物語』は当初、宮中で中宮・彰子や一条天皇といった超上級貴族が読むものでしたが、これが次第に広がり、治安元(1021)年には中流貴族である受領階級の娘が50数巻のセットを手にするにまで至ります。
そう、『更級日記』の作者・菅原考標女です…!
菅原孝標女は寛弘5(1008)年、ちょうど紫式部が『紫式部日記』を書き始めた頃に生まれました。紫式部同様本名はわかりません。
彼女が夫を亡くした後、13歳での上京から52歳までの人生を振り返り、短く(文庫本で100ページにも満たない長さに)まとめたものが『更級日記』。
この日記の特徴の一つが少女時代からつづく物語への憧憬なのですが、そこにはもちろん『源氏物語』への憧れも含まれており…14歳のときに「をばなる人」から大きな木箱に入った「源氏の五十余巻」をもらい、几帳の内に一人臥して昼も夜も読み耽った描かれているのです!
そのときの気持ちは「后の地位だって問題にならないほど」素晴らしいものだったようで…紫式部はこんなにも熱心な読者に恵まれていたのですね。
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今なら皆が羨む大ベストセラー作家というところですが、当時はそのような概念もなく…『源氏物語』の人気も女房としての評価も、紫式部のもの思いを晴らしてくれるものではありませんでした。
紫式部の”辞世の句”と言われている歌に次のようなものがあります。
誰れか世に永らへて見む 書き留めし跡は消えせぬ形見なれども
これは、『紫式部集』によれば、親友・小少将の君が亡くなったあと、彼女が生前書いた手紙を見つけ、友人に書き送ったもののようです。死に際に詠んだわけではなさそうですが、紫式部の代表歌の一つです。
意味は「亡くなった人の書き残したものを、誰が生き永らえて見てくれるのでしょうか。書き留めた筆跡は故人の形見となるけれども」という感じでしょうか。
ここでいう「筆跡」とは亡くなった小少将の君のものですが、紫式部は自分の書いた物語の行末も考えずにはいられなかったのではないでしょうか。
「自分が死んだ後、いずれ私の物語も忘れられていくだろう」「私のことを思い出す人もいなくなるだろう」「であればこの世に生きる意味はあるのだろうか」と。
長大な物語を描き切ったという達成感は、私たちが想像するほど感じられなかったのかもしれません。
晩年の紫式部 ー 『紫式部集』に現れる、すべて受け入れた晩年の心境
女房としての評価も『源氏物語』を書いた成果も大きな喜びとはならず、この世の辛さ、生きることの憂さをひしひしと感じていた紫式部。
しかし、いつしか彼女は憂さも辛さもすべて受け入れ静かな境地で世を過ごすようになったのだと思われます。
古本系『紫式部集』に収められている晩年の歌に次のような2首が、その心境を語っているのです。
ふればかく憂さのみまさる世を知らで 荒れたる庭に積もる初雪
いづくとも身をやるかたの知られねば 憂しと見つつも永らふるかな
世の中は辛いものだという憂いをもった視線は以前と変わりません。しかしそこにどこか達観したような響きがあり、憂き世を生きていくことの決意のようなものが感じられます。
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『源氏物語』の女君たちも、身分や死別、人の心の頼りなさなど様々なことに苦しんできました。
光源氏の最愛の人・紫の上は自身の才覚一つでそうした世の中に正面から挑みますが最後は負けてこの世から去り、最後のヒロイン・浮舟は自殺未遂の末に出家しこの世を捨てます。
『源氏物語』を最後まで読むと、紫式部は人が救われる方法として出家という答えを示したように思えますが、晩年の彼女はそこからさらに深化して新たな境地に辿り着いたようなのです。
『源氏物語』のヒロインを出家させ、『紫式部日記』に出家願望を吐露していた紫式部。でもきっと彼女は出家せず、自分の生を受け入れ、最後まで”憂き世”を生きていったのだと思います。
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さて、この「漫画で古典」シリーズは平安時代中期を舞台とする大河ドラマ「光る君へ」をきっかけに始めたものでした。もともと好きだった古典の世界をより深く知ることができ、また多くの方に読んでいただき大変感謝しております。
ドラマは終わりますが、まだまだ書きたいこともあり…このシリーズはもう少し続けていきたいなと思っています。ちょっとペースは落ちるかもしれませんが(そしてドラマの終了で読者も少なくなるかもしれませんが)またお立ち寄りいただければ幸いです!
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【参考】
紫式部著、渋谷栄一校訂『紫式部集(実践女子大本)』
菅原孝標女著、原岡文子訳注(2003)『更級日記 現代語訳付き』角川ソフィア文庫
紫式部著、山本淳子訳注(2010)『紫式部日記 現代語訳付き』角川ソフィア文庫
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