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【読書ノート】30「暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」 堀川恵子

今まで歴史の闇に埋められてきた広島の軍港・宇品に置かれた陸軍船舶司令部についてのノンフィクション。著者の綿密な取材力に脱帽する第一級の優れた作品。

太平洋戦争はいわば広大な太平洋から南アジアまでを戦域とする「補給の戦争」であるにもかかわらず、日本の参謀本部は輸送や兵站を(情報同様)軽視し続ける。それが敗北の大きな要因の1つになっていくことが、陸軍船舶司令部の歴史と3人の人物を通じて良く理解出来る内容になっている。

「田尻なき後の太平洋戦争では、輸送や兵站を軽視する傾向がさらに強まり、地形もよくわからぬ孤島に一枚の地図も持たさず、軍需品も糧秣も不足のまま大量の兵隊を送り込む事態が頻発する。現地の舞台に作戦の遂行ばかりを強要し、幾百万もの兵士を戦史ではなく「餓死」させる惨事が常態化する。」

暁の宇品 p100

また原爆投下後の船舶司令部の活躍も描かれている。筆者はなぜ広島に原爆投下されたかについても言及している。

「ここで私たちは重要な事実を思い出さねばならない。アメリカ軍が原爆投下目標を決めるとき、なぜ広島を選んだかのかという冒頭の問いである。
・・・アメリカ軍の海上封鎖によって宇品の輸送機能はほとんど失われており、もはや原爆を落とすほどの価値はなかった。さらに言えば、兵糧攻めと度重なる空襲で芯から干上がった日本本土に原爆投下の標的にふさわしい都市など残されていなかった。それでも原爆は落とされねばならなかった。莫大な国家予算を投じた世紀のプロジェクトは、必ず成功させねばならなかった。ソ連軍の南下を牽制するためにも一刻も早く、その威力を内外に示さねばならなかった。それは終戦のためと言うよりも、核大国アメリカが大戦後に覇権を握ることを世界中に知らしめるための狼煙であった。」

暁の宇品 p353-354

海軍で海上護衛総司令部参謀を務めた大井篤の護衛戦の貴重な体験記である「海上護衛戦」でも、太平洋戦争の敗因の大きな要因は船舶の喪失と激減であったことを明らかにされている。併せて読むと日本軍の輸送や兵站の大戦中における無為無策の理解が深まる。

また国家安全保障局次長を務めた兼原信克が日本の安全保障政策体制について包括的に解説した「安全保障戦略」にも、大戦中の輸送隊と兵站についての無為無策と、その問題が現在もまだ解決されていないことをエネルギー安全保障に絡めて記載している。

「太平洋戦争では、米海軍によって、日本の商船隊は全滅させられ、数万人の船乗りが命を奪われ、1万隻を超える商船が海の藻屑と消えた。帝国海軍は、戦争目的で政府に徴用された民間船舶であるにもかかわらず、日本商船隊(輸送隊)を真面目に護衛しなかった。帝国海軍が歴史に残した巨大な汚点である。政府は、徴用された船員の遺族に1円の年金も補償金も渡さなかった。」

「残念ながら戦後の日本において、日本が有事に巻き込まれたとき、日本商船隊をどう守るかという戦略は、考えられていない。経済産業省エネルギー庁、国交省海事局、防衛省、汽船会社が緊密に連帯せねばならないのだが、実現していない。そもそも汽船会社においては商船隊全滅という戦前の悲劇への恨みが消えておらず、いまだに政府から独立不羈の気風が強い。戦前の教訓は生かされていないのである。戦争目的で民間船を徴用した戦前とは逆に、有事に民間の交易を守るために日本商船隊を守り抜くことが求められる。特にエネルギー安全保障のための官民連携が必要な時期に来ている。」

安全保障戦略 p227-228

「暁の宇品」では日本の輸送や兵站の中核を成すと言える船舶・商船隊の重要性が資料と聴き取りを駆使して絶妙な筆致で描かれたが、それを守るための建設的な戦略を構築することは、現在においても未だ大きな課題であると言える。

(2022年8月15日)


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