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書評 田中美知太郎「ソクラテス」岩波新書 イラストエッセイ「読まずに死ねない本」 0013 20240702
前回、「ソクラテスの弁明」という本をご紹介しました。
今日ご紹介する「ソクラテス」は、田中美知太郎先生による、ソクラテスの解説、解釈の本です。
素晴らしい本です。前回もお話ししたように、哲学の世界では、「真理はある」という立場と、「真理などない」という立場がありました。
ソクラテス、プラトン、田中美知太郎先生は「真理はある」という立場です。
その立場から見ると、真理はないという立場は、結局人間の判断が絶対化され、自己絶対化の危険を持つのです。最終的には自分自身が真理、神になってしまう。スターリンもヒットラーもプーチンも習近平さんもみなこの例だと言えるでしょう。
真理はあるという立場は、たとえ真理に到達できずとも、絶対に自己を絶対化することができず、常に真理の前に謙虚な姿勢を求められます。
だから真理の探究は決して放棄してはならない。
そういうことをソクラテスの人生に即して丁寧に教えてくれるのがこの本です。
前回、解説本ではなく、原典を読むことの大切さを申し上げました。
しかし、同時に、古典は優れた導き手に導かれながら読むことが大切なんです。優れた導き手、読み手、解釈者は、普通の人が味わえない深みを味あわせてくれます。単なる解説ではなく、文献学というのは、あくまでも原典に忠実でありながら、きわめて創造的な営みなんですね。
ある時、司馬遼太郎さんの小説の中で、西郷隆盛の人物についての文章を読み、なるほど!と思ったことがあります。
「西郷は鐘のような男だ。大きく突けば大きく鳴るし、小さく突けば小さくしか鳴らない。」
古典も同じです。優れた読み手が読むと偉大な収穫がありますが、未熟な読者には何も与えてくれません。
そういう意味で、田中美知太郎先生の「ソクラテス」は、ソクラテス、プラトンを読む上で、素晴らしい水先案内の役割を果たしてくれるでしょう。
余談ですが、ぼくは一度だけ田中先生を見たことがあるんです。大学生の頃、大学で西洋古典学会が開かれ、お弟子さんに手をひかれるようにして歩いておられるのを見ました。
ただ拝見しただけですけれど、感動に震えるような気がいたしました。
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