(6)ママチャリに乗って氷室冴子のコバルト文庫を探しに。は当初の想定を逸れながら文藝別冊氷室冴子(河出書房新社)に至る①。東宝的キャスティングを含有した致死量に近い「鈴木敏夫まるだし」が嫌いなだけ、それだけなんだ。ってぶすぶすした気持ちは燻しつつ。
まあジブリ画像の想像の範囲内で版権フリーは使い勝手が
あるにせよ、あたしゃ基本的に東宝的キャスティングを含有
した致死量に近い「鈴木敏夫まるだし」が嫌いなだけ、
それだけなんだ。
それでもどうにか岩を動かして安全資産の運用に向かった
と観るのが一例ではあるのね。
日本テレビ、宮崎吾朗さん後継拒否のおかげでスタジオ
ジブリの買収に成功 : 市況かぶ全力2階建
特に鈴木敏夫編集長時代から「アニメージュ」を購入して
いた世代としては、まあセンシティブになりやすいので。
まあ今宵のテーマとは『海がきこえる』あたりでクロスも
するでしょうから、まあ余地は残しつつ、今宵のメインテーマ
はこちら。
ま、文藝別冊氷室冴子は手にしたので、これで何本か
テイストとベクトルを定めて書けない、ってワケもない
っちゃないか。
ってこたつ机の上に放っていたところから、自分が
欲するような文章を起き抜けで引っ張ってみる。
「X年後の関係者たち」の出来がいいと、氷室冴子の話を呼び
寄せてしまうのだろうか。じゃあひとまずは『ざ・ちぇんじ!』の
入口ってことで。江戸的なトコで削除されたコメントを、長崎的に
救済しつつ。~ママチャリに乗って氷室冴子のコバルト文庫を
探しに(5)。|torov
まあやっぱりヒモは全然縁がなかったけど、副社は
やはり映画の縁があったから、選考委員を引き受けたことも
あって氷室冴子と縁が出来たわけね。
因みにこれは第一回目の選評なので、講評の詳細と受賞作
はこちらのページにある、だっけ。
あと「奇想天外」組からの合流で、だから夢枕獏や新井素子
とも交流は深かった氷室冴子だけど(『Cobalt』の前身は
『小説ジュニア』で正確に言うと氷室冴子はそこの出身。
「さようならアルルカン」は『小説ジュニア』一九七七年
の新人賞佳作)、まさか新井素子とはワープロのOASYS
仲間だった、ってのが面白い。
(1)「白い少女たち」と「さよならアルルカン」
~ママチャリに乗って氷室冴子のコバルト文庫を探しに|torov
まあこの冗長文こそが新井素子文学の本体なんで、これは
これで懐かしいんですが。
このムックにはちゃんとその頃から氷室冴子が
使ってた親指シフトキーボードの写真もありましたが。
(4)シリーズ再開。「ライジング!」②
~ママチャリに乗って氷室冴子のコバルト文庫を探しに|torov
藤田和子の「ライジング!」回顧録も少しある。
むろん、インタビュー、短編、エッセイ、対談なども
収録されている。
『あかね』でのインタビューでは剥落しかけてたコバルト
文庫の落ち目ぶり、から反転していくあたりの様子を引き出して
語らせてるのがなかなかいいなと。
時代区分としてはまんがや小説の読まれ方が大きく変化した
年代で間にオイル・ショックが入るからまんがはドラスティックに
うねりが来るけど、ジュニア小説は構って貰える余地がなかなかなく、
低価格帯で刊行できる既存のコバルト文庫などをリリースすることで、
コミュニティが形成できる程度のちょっとしたメディアが出来るまで
には1980年代にならないと、まだキツい。
(2)「蕨ヶ丘物語」と「少女小説家は死なない!」
~ママチャリに乗って氷室冴子のコバルト文庫を探しに|torov
コミカライズが念頭に入るのはだから自然な流れで、あの当初は
少女コミックが少年も見るほどには成熟してきてた、ってのもある。
(そこが行き過ぎて短編ばかりにもなり、コミックエッセイと少年誌や
青年誌へ流入、メインストリームは「週刊少年ジャンプへの一極化」
(週刊マーガレットが月2回刊に変更されたのは1988年)、って形で
離散していくのがその後の大まかな流れでもある)
ってことで多分に多角的な視座を含んだ文藝別冊氷室冴子
(河出書房新社)に至る①はこのあたりで。
多分続編もあるなと。