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遁走する人たち(分離している世界)


何処から逃れようとしているのか?

何から逃れようとしているのか?
何処から、そして何処に遁走しようとしているのか?

世界の奇怪な構造、その出来事からか?
その陰謀の層
その底なし沼
疑心暗鬼

地震予告
火災
異常気象
転変地変
人口削減
全体主義
予言
神示
終末論
アポカリプス

そこからか?
それらは在りうべからざる世界だからか?

警鐘を乱打するのか?
または隠れた闇を炙り出すのか?

それはむしろ、闇に活力を与える結果を招く。
人々は、それによってさらに不安と恐怖心をつのらせるからだ。

だから、大方はそれを正面切って見ようとせずに目を逸らす。
そうして虚構に逃げ込む。

しかしながら、忌避するものはその本体と表裏一体の関係性をつくる。
だから両者は同じものである。

なぜ逃げるのか?
何処へ?


レジャーへ
ゲームへ
飲酒へ
美食へ
旅行へ
SEXへ
陰謀論へ
真理へ
芸術へ
音楽へ
絵画へ

怒りへ
笑いへ
喧噪へ
おしゃべりへ
媚びへつらいへ
卑屈へ

健康法へ
ヨガへ
神秘主義へ
宗教へ
修行へ
瞑想へ
信仰へ
信条へ

仕事へ
家族へ
恋人へ
団欒へ
群衆へ
国家へ
民族へ
平和へ
理想へ
神へ
五次元へ

──すべては幻想である。

あなたは幻想である。
あなたがあなたを成しているそれら幻想を払拭するとき、
あなたにあなたは残らない。
そこにはVOID虚無・虚空がある。

あなたは単にそれを恐れる。
それは未見の領域だから、というよりも、いや、あなたの感覚や知覚、パッションで感知できない何ものかだからである。

何もない伽藍洞
それがあなたであることをあなたの思考は拒否する。
だから、幻想を構築して、それに酔い、それに価値を与え、それに惑溺する。
それはいかに優美で慎ましいものに見えても、エゴイズム(自己中心主義)の域を出ない。

世界がどうということは、それはすでにあなたを離れた異世界の消息を語るようなものだ。

あなたが世界である。
(あなたが世界でなければ、どこの誰が世界だろうか?)
世界はあなたが見ているものではない。
あなただ。

あなたが、そして私たち人類が、世界のカオスを創り出してきたし、今も創出しているのだ。


静寂はVOIDと馴染み深い。
無色なものに、思考が様々な色を付けてきたのだから、その思考を殺さなくてはならない。

あらゆる思考の喧騒を離れて、完全に一人になる。
いや、そうでなくては一人になれない。

それは物理的に一人になることではない。
もしそうであっても、あなたのアタマは次から次と湧きだす雑念で一杯だ。
なぜなら、あなたには何百何千という人物の亡霊(思想・想念)が同居しているからだ。

すべて鎮めて切り離す。
あなたに影響を与えた人物が、いかに立派であろうが、その教示をも捨て去る。
それは雑音だからだ。

その時、あなたは完全に誰でもない、何ものでもない、あなたですらない存在である。
そこから逃げ出さず、踏みとどまるときに、
これまであなたが、自由とか幸福とか愛とかと手垢のついた言葉で語ってきたそれらが、きれいに洗われて、そこら中に溢れかえっている様を目の当たりにする。

自由・幸福・愛
あなたが最終ゴールとしてきたそれら幻想の到達点。
それは決して掴むことができない。
なぜならそれは生きているから。
昨日と今日、今日と明日の貌が全く違うからである。

あなたがそうありたいと思っている以上、あなたは決してそうならない。
あなたがそうありたいと思い、縋り、思い描き、依存し、祈ってきたすべてを手放すときにのみ、あなたはそうある。


生も死も知らない

死を恐れているのではない。
生が終わることを恐れているのだ。

なぜなら、死を私たちは知らない。
知らないものについて恐れも安心もないからである。

私たちが恐れるのは、あのお馴染みの生の継続にピリオドを打たれるかもしれない不安と危惧に対してである。

そう、生こそが私たちの命綱なのだから。

日々様々な生を生きている。
それは奇妙で、生ぬるく、それでいて神経質な──何かしら反芻する牛の胃の腑ようなものに似ている。

朝が来て夜が忍び込む。
黙っていてもそうあるように、
生が放ったらかしで継続するような、
その継続が私たちの生であるとき、その恐れはやってくる。

私たちは死を知らない。
いや、知らないというよりもそれを避けているのだ。
すなわち、知ろうとしない。

しかし、実のところ、そもそも私たちは生をさらに知らない。
さもそれを知り尽くしているかのようであっても、その知識は恐らくは生のひとかけらでしかないだろう。

こうも言えるかもしれない。
生は、死の連続体である。
日々、いや刻一刻と私たちは死んでいる。

現に私たちの身体で、日々数千億個の細胞が死んでいる。
更生のために死がある。
死は更生である。
生の中身は死である。

睡眠が私たちに活力を与えてくれるように
死は生へとバイタリティーを注ぎ込む。

そしてまた、こうも言えるかもしれない。
生が常に過去に属するものであるように、
死は未来にのみ到来する何ものかであると。


私は「生」を信じない。
「死」を信じないのと同様に。

それは恐れからではない。
それらが、単に子供じみた言葉遊びだからだ。
日がな一日、遊び呆ける子供に生も死もない。
やがて陽が傾き、西の空が茜色に輝く頃に、それはやってくる。
立ち止まって考えるときにのみ、それらはやってくる。

生も死も、それは代名詞に過ぎない。
おそらくそれらはその言葉が表す多くの含意を逸れて、ある部分だけが一人歩きしている節がある。

生は尊いもの。
死は忌むべきもの。

といったように。

分裂したときにのみ、生と死はある。


私たちの謂う「生」は、そのほとんどが執着を意味する。
固執してそれと同一視し、そこから離れられない。
生を尊いというのは、過去にしがみつきたいという執着からだ。
だから私たちは、その疚しさから「生」への賛歌を高らかに詠う。
その一方で「死」を何か忌むべきものとして片隅に追いやろうとするのだ。

生きていることは素晴らしい。
それは日々発展だ。
そこにはきらめく世界との出会いがある。
多くの人々との交流がある。
夢と希望に満ち満ちている。

そうした生への全面的な賛美は、そうであればあるほど、死をみすぼらしくも辛気臭い、また抹香くさい存在へと貶めてゆく。

生も死も知らない。
私が知るのは、それら両者に分断される以前の一筋の絶えることのない川の流れに似た何かだ。
それは滔々として、刻一刻と景色を変える。
生も死もそのなかでは泡沫のようなものである。

狂気と混乱

世界が混乱と詐欺と非情さで溢れかえっている様を見る。
世界が狂気じみていることをあなたは否定できますか?

政治がショービズであること。
戦争がライブパフォーマンスであること。
経済がムリゲーであること。
政府・軍産複合体は、莫大な費用を費やして、それら研究開発に余念がない。

それら人間の行為は、すでに「その結果がどのような効果をもたらすか?」「そのアクションは大衆にどう映るか?」「地政学的にどのような影響を及ぼすか?」が主眼であって、それらはすべてそのための手段である。
そして、それがこぞって世界を後退させるためにしのぎを削っているという狂気。

それを認めない精神は何でしょうか?
それはあなたが旧い世界と一体だからです。

旧い世界は、信条、理念、狭小な正義、理論などで形成されます。
ある特定の角度から何かを評価するときにそれは始まります。
それは、枯渇して、いずれ風化してゆきます。
自ら八方をふさいで、出口も入り口も閉ざしています。
だから、死んだ世界です。

世界はあなたの結果です。
あなたの結実が世界です。
世界はあなたの過去であり、それはあなたの影です。
あなたがそういう世界を創りました。
その意味で、あなたは旧い世界と一体です。

世界と離れてあなたはない。
人類と離れてあなたはない。


あなたはあなたではない

あなたはあなたではない。
なぜなら、あなたはあなたの思うところのものであるからだ。
あなたはあなたではなく、あなたの想念である。

あなたはあなたの思いを造った。
しかし、思いもまたあなたを造った。
それがあなたである。
だからあなたはあなたではない。

思いはあなた独自に切り離して存在できない。
それは他者のそれと緊密な関係性を持っている。
それはおそらく気の遠くなるような過去から今へと続く人類の意識の大河だ。
だからあなた独自の思いというものはない。
また、あなたの些細な思いすら人類に影響を与えている。

あなたがよい人になろうとする。
それは料理番組のように、程よい味付けと、多少の香辛料、煮たり焼いたり、食材のベストを提供する。
しかしそれは、隣人もまた試みようとするお決まりのレシピを踏襲することである。
そこに、一様に理性と、笑顔と、サービスと、謙遜とを兼ね備えた類型が生まれる。

それはあなたではない。
それはあなたの居心地の良い場所に過ぎない。
旧い、退屈過ぎる居場所だ。

あなたが人類を代表するならば、人類の過去ではなく、未来に向けて屹立しているだろう。
あらゆる居場所にNO!を突き付けるだろう。


エゴイスト

あなたが自らをエゴイストであると自覚しないとき、あなたはエゴイストである。
あなたが自らをエゴイストであると深く自覚しているとき、あなたはエゴイストではない。

同様に、
あなたが自らを無知であると自覚しないとき、あなたは無知である。
あなたが自らの愚かさを十分に知悉しているとき、あなたは無知ではない。

同様に、
あなたは、あなたが遁走していることを知らないとき、決して辿り着けることはない。
あなたは、あなたが遁走していることを眺めているとき、あなたは留まっている。

あなたは、あなたの如才なさ、親切心、隣人愛その他の諸々の道徳的な美徳からは何も得ることはない。
あなたが、人類のエゴイズム、無知、そして逃避してゆく性向・・・それらと自らの関係性に注意するとき、あなたが人類の未来をリードしている。

1934 by Max Ernst









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Monikodo
東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。