源泉
源泉
流れているのではなく、湧き出ている。
真理はあなたに苦い
執着から自由になるには、一切を手放すことですか?
一切を手放すこともそれは執着です。
なぜなら、執着ゆえにそれができないからです。
出来ないから手放そうとします。
出来れば手放しています。
私たちは執着に馴染んできました。
死を恐れるほどにです(変換でも「し」と入れると「死」は最後の方に出てきます)。
もし、自らの命を絶つのであれば、それはエゴへの、または大義や信念という無形のものへの執着です。
つまり、そこに動機があればあなたはただ執着と共にどこかへ歩み出すだけです。
あなたの言う死は死ではありません。
おそらく死は生の終わりではなく、執着の終わりです。
私たちは執着を生と呼んできたからです。
執着の終わりを死と言うのでしょう。
執着ゆえにその解放を私たちは恐れ、拒否します。
その恐れや傷つきたくないという心理にすら執着しています。
だから執着はいけないものだと呟きつつ、さらに深い執着をします。
執着
もし執着ということがあらゆる不幸の火種であることに気づいたのであれば、あなたは、物理的にも心理的にも、その一切の執着を断ち切ることが可能でしょうか?
断ち切ることができないものであると悟ったあなたは、執着全体を眺めること以外できない。
自分が執着である。
自分と執着の間に垣根がなく、混然一体となっている様に執着はない。
極楽浄土
ひとはあまりに現世(この世)の生に執着するあまり、極楽(あの世)をつくりました。
この世の持ち越しです。
さらにひとは、それだけでは飽き足らず、「輪廻転生」というエゴの逃げ道をつくりだしました。
あの世に行ったっきりではなく、ご丁寧にもまたこの世に戻ってくるのです。
もうその辺でいいのではないですか?
この世にもあの世にも不満ですか?
なるほどそれこそが「エゴ」たるものの執念でしょうか。
そんなに未練があるのはなぜでしょうか?
次こそは「よりよい生」に生まれますか?
それほどまでにこの世ははかり知れない悲しみと、痛みと、不安とで埋め尽くされているのです。
そんな苦しみの世になぜ執着するのでしょうか?
人が執着しているのはそこではありません。
ひとは、人の描いた理想世界に執着しています。
洗脳
一人残らず洗脳されている状態を、それを洗脳とは言わない。
狭い範囲ではそれを「世論」と言い、
道徳的にはそれを「常識」と言い、
全体的にはそれを「意識」と呼んでいる。
いずれも力による征服があった。
救われたい
救われたいとは思うが
自らを救うとは思わない
偏差値教育
偏差値を作り出した人間の偏差値を知りたい。
それを受け入れた側の偏差値を知りたい。
おそらくは上等なものでしょう。
それは歪んだ精神が生んだに違いないからです。
それを青少年時代から植え付けられ、長じて政治家・官僚になるまで、日本人の貪欲・競争心の助長に大きく貢献してきました。
テクノロジーまたはAI
それらに依存する分だけ人間はもぬけの殻にさせられました。
それらとインタラクティブな関係性を持った時、人間は彼らに知性を依存するだけでなく、吸い取られてゆきました。
人間は使い物にならないガラクタのロボットになりました。
疑う
疑うことは生きることだ。
信ずることは生きないことだ。
疑うことは発展だ。
信ずることは停滞だ。
疑うことが、なぜ猜疑心のような卑しいものに貶められ、私たちはそれをそのように信じさせられて来たのか?
いつ、どこで、誰が、何のために、それを言い出したのかを疑わなくてはならない。
(そこに「権力」の二文字が浮かび上がろうとも)
喧嘩
関係性が喧嘩をする。
関係性は必ず衝突する。
それを見ているものは喧嘩をしない。
一人では喧嘩は出来ない。
逆説的
現実は膨大な対象の相関作用で出来ている。
だからそのどこを切り取っても逆説的である。
二元論(大いなる分裂)
一元世界に向かわなければならない、という二元論。
人々を優劣、美醜、貧富・・あらゆる角度から分類、分析、差別しようという自らの貧相さからくる二元論。
人類は、と語るその内容に決して自分は入らない傲慢さゆえの二元論。
そのスタート地点からの誤りこそが、あらゆる学問、宗教、哲学、思想を形骸化(机上の空論)してきた。
それは人類のあらゆる誤りの中でも最大の誤りである。
なぜならば、それらはすべて問題を他人事にしているからだ。
どうしようもない世界
そこはどうしようもない世界だとひとは言う。
では、なぜにどうにかしようとするのか?
文字通りのどうしようもない世界だから、どうもする必要はない。
そこは、どうせ成るようにしかならない世界だと、ひとはあきらめる。
しかし、それは(黙っていても)成るようになる世界だからこそ、(積極的に)為す必要はない。
あなたの思い描いてきたその理想世界は、その理想からではなく、実にあなたの踏みしめているその足元から展開する。
将来のため
誰しもが「将来のため」という幻想で今を無駄にしている。