塩田千春展 魂がふるえる 2019
もう5年も前の展覧会をどうしてこのタイミングで回顧しようと思ったかというと、言葉では到底言い尽くせないほど強烈な印象が今でも私の中に残っていたことと、最近また大阪(会期終了)とパリで同氏の展覧会が開かれていることを知り、これはあの素晴らしかった5年前の展覧会を振り返るいい言い訳になる、そう思ったからだった。
注: パリの展覧会は現在(2024年12月)も開催中で、これは本投稿の2019年の展覧会の巡回展になる。会期は2025年3月19日まで。
その残存はあまりにも強烈で、当時リアムタイムで投稿し損ねた私は、それ故ずっと書き起こすきっかけを探していたように思う。
言葉にできないことばを紡いで、誰かと、あの美しく激しい何かを共有するために。
この展覧会には、強烈で、美しくて、何か迫ってくるものがあった。
ゾクゾクするような、人の本能的な何かに強く訴えてくるような、美醜を超えた何かを感じるのが塩田氏のインスタレーションだった。
赤い糸が張り巡らされた空間に足を踏み入れると、私は “生命” を感じた。糸はさながら毛細血管で、赤は血。まるでドクドクと心臓から送り出される血液の鼓動の中に送り込まれた気分になった。
“生きる”
“生き抜く”
“サバイブする”
張り巡らされた赤い糸を見て思い浮かんだのはこんな言葉たちだった。
太陽に手をかざすと赤く見えるものだが、この会場の影も赤かった。まるで生き物のそれのように。
赤は私たちの体内に流れる血液の色。だからなのだろうか、赤い糸の空間はひどく直情的で、とにかくダイレクトに胸に迫ってくる何かがあった。
美しくて、でも落ち着かない、落ち着けない気分にさせる何かがあって、そこにいると何故だかわからないけれど、感情的に揺さぶられる自分がいた。
ミニチュアの空間も、とても印象的だった。
整然と並べられているようでいて、よく見ると倒されているものもあり、それはまるでカオス。赤い糸で繋がれているものは、人の運命やご縁を暗喩しているよう。
正面から見ると、ミニチュアがまるで背景に見える東京 ー 私たちの住む世界を端的に表しているようでもあった。
黒の空間に来ると一転、心乱されることは止み、私は一旦落ち着いた。
この空間は、黒が映えてシックで美しかった。
けれど、この世界観の中に自分を深く浸潤させると、まるで考えが纏まらずモヤモヤしている時のような感覚に陥った。
それはブラウン管のテレビが故障した時、ザザザザッという音と共に画面に横線が走り砂嵐になる、そんな時に感じるストレスにも似ていた。
トランクの空間はまた一転、見応えがあった。特筆すべきは、この数多くのトランクは常に揺れ、ガタゴトと音がしていたこと。
私にはこの無数のトランクが “人” を暗喩しているように見えた。
人はいつも誰かと何かしら “袖振り合い” ながらも、結局は自分に立ち返り生きていく。何十億という人がいるこの地球で、 生まれる時も一人、死ぬ時も一人。
塩田氏の作品から感じられるのは、生きること、生と死、人の生き様や繋がりだった。
どこか陰のある、陰影を感じさせるインスタレーションは、決して明るいわけではない、しかしネガティブでもない、人の深い部分に触れる洞察を与えてくれるものだった。
人の数だけ人生があり、ドラマがある。
そんな “人” の生きる様を静かに、そしてエモーショナルに表現し、私たちにその意味を問いかけてくるインスタレーションだったと思う。
この展覧会はパリではどんな風に展示されるのだろう。グランパレでのそれは、きっとまた美しく、魅力的なインスタレーションになっているに違いない。
あぁ、またあのエモーショナルな空間にこの身を浸したくなってしまった。そう、またパリにも行こう。2024年の終わりに、パリのこの巡回展を来年のウィッシュリストに追加してこの年を締めくくろう。
東京(会期終了)
塩田千春展 魂がふるえる
会期: 2019年6月20日〜10月27日
会場: 森美術館
大阪(会期終了)
塩田千春 つながる私(アイ)
会期: 2024年9月14日〜12月1日
会場: 大阪中之島美術館
パリ
塩田千春展 魂がふるえる(巡回展)
会期: 2024年12月11日〜2025年3月19日
会場: グランパレ
※ 挿入されている写真及び画像はすべて筆者の撮影によるものです。
(Tokyo, 13 October 2019)