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鬱病と生きる。鬱病を生きる。with 鬱病。

鬱病に関する書籍は山程ある。精神科医や心療内科医が書かれた書籍や鬱病からリカバリーを果たされた著名人の本、禅宗によるHow to本などなど。
現在、鬱病に苦しむ私は、勿論、これらの書物を購入し拝読してきた。数度、鬱病を乗り越えるきっかけになる言葉にも出会えた。
しかし、時と場合にして、精神論に走り過ぎ、社会復帰のリカバリーを果たしたものの、また鬱病を繰り返してしまっている…。現在も通院を続ける中で鬱病患者として症状や傾向、もしくは回復をタイムリーでongoingな進捗を発信出来ないだろうか?
それが、このエッセイを始めたきっかけである。
つまり、鬱病の鬱病患者による、鬱病を供に生きる皆様のリカバリーの為に、勿論私のリカバリーの一助にもなれば幸いである。

さて、始めに鬱病経験者いや、鬱病経験中のongoingな私が目指すマニフェストがある。いや、待っていただきたい。私はまだ回復していないので、輝かしい回復実績など無く、あくまでマニフェストでありレジリエンスの為の目標(こう書くとまた精神論に走ってしまう自分がいる(汗)である。

ここから、やや柔らかく口語体も交えて進める。

鬱病の鬱病闘病中鬱病患者による鬱病克服の為のマニフェスト5か条

①笑顔でいなくていい。 しんどい時はしんどい顔したらえーやん。笑顔は作るものでなく、なるもの。Be Yourself.

②もう気にせんでえーよ。今まであんたは気にし過ぎる程、気にしてきたんやから Who cares.

③もう気を使わんでえーよ。あんたは世界で一番気配りしてきたんやで。無駄な説明は辞めよう。理解されなくても生きていける。親子関係の再構築 依存からの脱却 Mind Your Own Business.

④かさぶたは出来るもの 日々、一傷一癒あり
一喜一憂が一番良くない。摘心する事で植物は成長する。
鬱病を糧に明日を逞しく生きる。鬱病からの復帰。レジリエンスの可能性と疾風に頸草を知る生き方。
Every Rose Has It's Thorn.

⑤愉しめばいいやん! 多趣味が明日の希望!DYM
Do Yourself Medication

である。小休止。( ´ー`)フゥー...
しょーもないなぁと思ったあなた!せめて、いいねを押して下されば、鬱病克服の為の一歩になりますm(_ _)m宜しくお願い致します。この後、各項目に進みます。

①笑顔でいなくていい。しんどい時は、しんどい顔したらえーやん。Be Yourself.

これは、私が鬱病になる前は、どちらかといえば笑顔が善で神だと信じ、ひたすら笑顔で社交的にふるまっていた反動でもある。
鬱病になる前は企業で営業を十数年していた事もあり笑顔でいる事は鉄則であった。顧客には常に笑顔でいる事は基本的コミュニケーションを取る上で欠かせないからである。
だが、ひとたびトラブルが起きれば笑顔はシャットダウンし、深刻な顔で応じなければならない。いや、笑ってられない喫緊の課題がongoingなのだ。
社内外を問わず、常に笑顔でいる事は辛いときもあるが、ポジティブに自分を駆動し導く事もあり否定はしない。

だが、社外や顧客の前ではいざしらず、社内で常に笑顔でいる必要はないのだ。また家庭内でも不満があるのに笑顔でいれば、いずれ破綻する。

余談だが、社外に気を使っていないお店には個人的に行きたくない。例…怒号が飛び交う飲食店、物を粗雑に扱い大きな音を立てるお店(特に書店)、大きな声で私的な話をしている書店など 書店は明らかに静かである方が売り上げも上がると思うのだが…。私の知っている某書店では店長らしき人が「それ(本または著者)有名なの?」と言い大きな音でラックを畳む音を鳴らしていた。

話が道にそれたが、会社の中なんて、嫌な先輩や上司など満更いる。最近は、セクハラやモラハラ、パワハラ、中にはアルハラ、マタハラなどが問題になっているが、時と場合にしより、これらの問題に加えて、それを傘にした嫌がらせまで横行している。
かく言う私も職場をマネージ出来ない(サボタージュしてマネージしないマネージレスな)エア上司のパワハラで鬱病を発症し、そんな能力の無い上司に不満いっぱいの職場の先輩女性によりストレスのはけ口に更にパワハラを受け致命的になり、退職に至った。ちなみに職場には事前に私が鬱病であり、薬を服用している為に様々な症状及び副作用がある事、それでも精一杯働く意思のある事を打ち明けていたのだが一顧だにされなかった。病気と分かっていて嫌がらせをする輩は人間の糞である。その内情を訴えても不問にしてスルーする人事部も糞である。まさに文字の如く「ひとごと」なのだ。

この複雑な現代社会では、パワハラが年功序列の悪しき伝統や階層化により階層的な、さらなるカースト的なパワハラを産む素地が存在する。
悲しい事だが、常に前向きに笑顔で真面目に頑張っている人間は疎まれ嫌がらせを受ける。弱った植物にアブラムシがたかる様に、現実の社会には、精神を病んだ人間に寄生して栄養を吸うサイコパスが不特定多数存在するのだ。そういう人間は絶えず、恐らく死ぬまで不満や不安や憎しみを他人にぶつけながら晴らされる事の無い行方不明なルサンチマンの標榜者である。悲しい事に、そんなサイコパスのせいで亡くなる悲しい犠牲者が出たとしてもサイコパスにとってはストレスのはけ口が一人いなくなっただけで良心の呵責は皆無である。そんなツマラないサイコパスな人間の末路は天罰が下り悲惨だと確信している。

企業の発展に陰りが見え、バブル期入社で仕事は無論、部下への配慮も出来ない上司が横行し膨張し、氷河期の報われない世代の退職や転職に伴う若者人口の先細りによる会社の行方は知れている。

営業時代に、「社内で気配り出来ないやつは営業出来るか」と豪語していたパワハラ上司はセクハラで異動されていたと風の便りで聞いたが…。
社外に気配りしない(出来ない)が社内では気配りをする、社内で気配りする為には社外を疎かにしていいのかの問題は棚上げであった。

堅い話になったが、世の中、嫌な事だらけなのだ。
嫌な上司、嫌な同僚にはクソ喰らえだ!笑顔など必要ないのである。それで無理にゴマをする笑顔の貴方が一番傷ついてきたのだから…。妬みや恨み嫉みは、糞の役にも立たず社会的な害悪であり、それに冒されている人間の何と多い事か。
心療内科に通い、無理に笑顔を作らないで良くなった私は今のところ、順調な日々を過ごせている。
勿論、山の様な量の治療薬の力を借りながらだが。 

②もう気にせんでえーよ。あんたは気にし過ぎる程、気にしてきたんやから。親や家族への過剰な依存
相互間心配スパイラルを辞めよう。
Who cares.Who gives a shit.

そもそも、鬱病を発症する人間は色々なタイプがいると思うが、神経質で繊細でよく周りに気がつく、気がつくあまりに浮いてしまうぐらいの過剰な気にしい(関西弁)が多いと思う。HSPの人程、鬱病になりやすい気がする。
育ってきた生活環境によるものや、産まれもった性格にもよるだろう。
生まれ育った環境により精神を病む可能性は高い。

親のどちらかが強権的であったり、DVを日常的に行い、家族間で不安感のある日常を強いられていたり、両親が精神的な不安や恐怖や禁欲的な潔癖性を持っていた場合、精神的な圧迫が子供の幼少期にもたらす影響が大人になり現れる事は多いと思う。子供は他人の顔色をうかがう様になり、強迫性障害や分離不安を伴い成長してしまう。

分離不安は、ある種の依存的な性格を帯びたり、逆にストイックで人に頼らない、頼れない外見は明るいが内面は傷つきやすい脆弱な精神的弱点を内包してしまう。
恵まれない子供時代が、その人の人生をも恵まれない人生にしてしまう。
社会で鬱病が増える宿痾は、幼少期の家庭にあると思われる。かく言う私も上記の家庭に育った。
だからもって精神を病むのは脳科学の分野だと思う。
生まれ持つ性質か生まれ育った環境要因か。
鶏が先か卵が先か…。

③もう気を使わんでえーよ。あんたは世界で一番気配りしてきたんやで。 Mind Your Own Business.

鬱病患者は、自分自身が深く傷ついた場合、人の悪口を聞くのも辛い人間と被害妄想で常に他人を攻撃する人間とに分かれる。 
私はどちらかというと、前者であり、誰かが口論しているのさえ、自分の事を言われるのではないかと身構えてしまう。いや、これこそが被害妄想であり、攻撃的な人であれば、それを自分で客観的に理解し消化する事なしに他人を攻撃する。
パワハラ、セクハラ諸々する人間は既に病んで人格破綻しているのである。
何より、自分を否定され、全否定されるのを恐れる。恐らく脳の海馬が萎縮しているのではないか。
物音や光匂いなどにも敏感で耐えられない事が多い。
シェルショックの様なものである。
全身が耳になった感覚もある。周りの雑音をキャッチしてしまうのだ。
特に親しい家族や身内からの心無い言葉は最大に傷つく。身近な人間は最大の味方であり、時には最大の敵にも豹変しうる諸刃の剣なのである。
「あなたの事を思って…」は最大の甘い毒の蜜なのである。

親子関係でも何でも、お互いに気を使っているのは相互依存である。相互依存からの脱却なしでは病からの回復はあり得ない。勿論、経済的な援助や心の支えがそこにしかない場合は除くが可能な限り他に支えを見つけた方が安心であり、回復への道も早いと考える。善意の押し付けや余計な気遣いは逆に苦痛となり復帰の妨げになる。鬱病からの復活の為の成長痛にはならずただの苦痛である。
愛の押しつけは、ただの苦痛でしかない。

世の中には「いじられキャラ」なるものが一応存在する。
しかし、これは形を変えたイジメである。
いじられやすいキャラと言えば、性格が良くて可愛らしいイメージ?があるが本人は人知れず心理的に辛いかも知れないのだ。常に笑顔でいる姿はさながら現代の道化師である。
何をかくそう私も「いじられキャラ」で通してきた、が、
鬱病に今は苦しんでいる。
イジる人間が口々に言うのは「(いじられる人は)喜んでいると思った」である。とんでもないクソ野郎の考えである。

私の容姿がいじられやすいのか、言動や性格にいじられやすい側面があるのかは知らない。知りたくもない。
私は鬱病になった今は「いじられキャラ」を止めようと誓った。嫌な事は嫌と言えばいいのだ。角が立てば角が立てばいい。Who cares.Who gives a shit.である。

ことさらこの手の「イジリ」に多いのが容姿への茶化しである。持てるものが持たないものへ言動的な暴力を働くとは実に下劣の極みである。

④かさぶたは日々出来るもの 日々一癒一傷あり。
一喜一憂は一番良くない。Every Rose Has It's Thorn

これは私が営業時代からしていた事なのだが、営業で嫌な事があれば、さっさと帰り、眠りにつき忘れていた。勿論、忘れられないヘビー級もあったが…。
但し、個人的な感想で言えば、お酒は依存性が高く、時に攻撃性を増したり、大脳皮質の下にある野生本能を呼び覚ましてしまうから控えた方がいい。パワハラ、セクハラなどを起こしてしまうのは、お酒の力で野生本能が呼び覚まされ、その人の攻撃性を加速させてしまうからだ。
私も数々のパワハラ上司に何度もお酒の席で叱責を越えたハラスメントを受けた。

怪我をすれば後になり、かさぶたが出来る様にいつか癒えるものだ。勿論、無理にはがしたりしなければ…。

職場で嫌な事があった、または起こりそうになれば、早々に仕事を切り上げて帰ったものである。そして、翌朝早朝出勤して気分転換しながら残務整理したものである。
困った事には、早々に帰宅する私の姿に怒る「厄介な輩」がいて、後に私を退職に追いやる嫌がらせをする事になるのだが…。最近では不機嫌で周りの人間を精神的に追い込む不機嫌ハラスメントという言葉もあるらしい。

兎角、日本の社会は多様性を拒否し、寛容性を失っている。
相手に見返りを求めない。また、相手の意見にいちいち反応しない。バカ正直に答えない。時には答えなくて良い。あなたには全部が全部答える義務はないのだ。疲れるだけである。答えないという選択肢があると思えば気が楽である。

⑤愉しめばいいやん!多趣味が明日の希望!DYM
Do Yourself Medication

鬱病と生きる中で、少しでも他の社会に興味が湧く事があれば、そのチャンスは逃すべきではない。
朝露に咲く朝顔みたいに、チャンスを生かさないと勿体無い。ここで問題なのが周囲の反応や声である。

自分を知る周囲は、元気な時の自分を知っているので、
「病気なのに…」とか「それは良くない」とか非難や否定をしてくる可能性がある。
結論から言えば、無視しろ!である。
趣味の無い人間や極端な禁欲主義者は、他人の趣味を否定したり卑下したがる。
その人の相談やアドバイスや意見をする事が必ずしもその人の助けになるとは限らない。
よく言われる、鬱病患者に「頑張れ!」が絶対に禁句なのはこの為である。
ビルの屋上で自殺を躊躇う人間の背中を押してしまいかねない発言である。
鬱病で苦しむ本人は耐えて耐えて頑張り、精神的にもはや限界や疲弊の極みなのだ。
着かず離れずでマラソンの監督の様に黙って伴走したり後ろから見守る事が大事だと思う。(無駄な励ましやスポ根的な根性論で攻めるのは無論禁句である)
せっかくの病気の回復の機会を見逃すべきではない。
新しい趣味をきっかけに、新しいコミュニティに参加出来たり、社会性を取り戻すきっかけになるかも知れない。
鬱病患者に対しては、大いなる第一歩である。
旧態然したつまらない人間に趣味を否定された事で、せっかくの趣味を辞めてはならない。
鬱病患者の家族に必要なのは、意見を言う事ではなく、鬱病に苦しむ本人の意思に理解を示す事では無いだろうか。

影に日向にと言う言葉はまさにそれを表わしている。

兎にも角にも趣味とは大なり小なりお金がかかるものである事は覚悟しなければならない。
イニシャルコストは覚悟して、それに見合う心の豊かさを得られれば御の字だろう。
自分の時間を無駄にしたくないなら、ツマラない人間には関わらない事である。ツマラない人間に使っている無駄な時間はあなたの人生にはないのだ。