寺岡敏親

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最近の記事

秋まで待てない、栗の皮むき機

秋まで待って、充分検証してから掲載したかった栗の皮むき機です 栗は代表的な日本料理の逸品。 栗ご飯が代表かな?早く食べたい! ただ、素材として用意するまでには大変な努力が必要です。 そう鬼皮と渋皮を除去しなければなりません。 多くの道具が市販されていますが、どれもある程度の使い慣れを必要とします。 YouTubeでの検索 調べてみました。「シクロエの家さん」栗の簡単な皮むきの投稿が凄い! 本当に、軍手とフォークで、あのように出来るのだ!と感動。 皆さんも閲覧下さい。

    • ティーバッグスタンド

      ティーバッグスタンド久しぶりの投稿です。 NOTEの基本から外れていますが、アイデアを込めた物作りはなかなか難しい。マイペースで進めます。 今回は超簡単なグッズを作ってみました。 Tバックではないよ! お茶類のティーバッグの為の道具です。 ティーバッグはとても便利で簡単にお茶を楽しむ事が出来ますが、ただ一つ 何とかならないかな?と言う気持ちがありました。 お茶メーカーさんは一回の使用を推奨していますが、二度くらいは使えます。 二杯目までのバッグの置場が無いのです。(小皿を用意

      ¥300
      • 北の果ての鉱山開発(母の事2)

        もっと話しをしっかり聞いておけばなぁ・・・・  昭和19年か20年か正確ではないが、三上医師に病院を辞職し、家族が集結していた大泊に戻るようば半ば命じられ、兄兄弟と共に暮らしていた。  何故、三上医師が母を退職させたのかは、分からない。  非常時の中での、本土出張時の行動が尾を引いていたかも知れないし、ソ連の侵攻を予想していたかも知れない。  いずれにせよ、侵攻まで勤めていたら集団自決の一員になっていたかもしれない。  このあたりの事から、引揚げ船に乗る前までの話しは、

        • 北の果ての鉱山開発・母の事

          序文 北の果ての鉱山開発について、父の手記を投稿しました。多くの方に御閲覧 頂き、ありがとうございます。 戦争に翻弄された樺太生まれで樺太育ちの母の思い出も、合わせて投稿します。投稿者の弟が記載しました。 当時の日本人の厳しい生き様をご覧になり、今の平和な日本の有り難さを 皆で感謝したいと思います。 母の事 大正14年(1925年)6月15日生まれの母の想い出  今になって思うのは母親の話しをしっかり聞いておけばなぁ・・・・・  母方祖父の事は後述するとして、祖母は津軽

          槙峰鉱山の変遷(封建社会から民主化へ)

           大相撲の友綱が延岡藩主内藤家から鉱区を貰ったが、鉱山の開発は、三菱の手に移ってから行われた。  その頃、岡山や生野から鉱山経験の深い者たちが選ばれて、この地にきた。  そのような上級管理職は役宅と呼ばれる住宅にあって、一般の者達とはかけ離れた階層を形作っていた。いわば上流社会があり、使用人を置くのが普通だったようだ。役宅には、二畳ほどのお手伝いさん部屋があった。  中間の管理監督者として、稼ぎ人から取り立てられた「検断」とか「号令」と呼ばれる人達がいて、作業指示をしてい

          槙峰鉱山の変遷(封建社会から民主化へ)

          北の果ての鉱山から九州の槙峰鉱山へ

          転勤の背景 半年ばかり東京にある職員組合連合会の役員に専従した事で、鉱山に復帰した時には担当する仕事が無かった。  鉱山を出る時引継ぎをしたからである。  3才と1才の息子達は、父親を忘れてしまったのも困った事であったから、私にとっては、公私共に納まるところのない復帰の姿であった。  こうして日を過ごしているうちに、北海道から一番遠い事業所、宮崎県の槙峰への転勤の社命を受けた。  満9年籍を置いた下川を出たのは、組合専従の結果であり、自分自身が作った道と言えなくもない

          北の果ての鉱山から九州の槙峰鉱山へ

          芝刈り機の改善

          ロータリ型芝刈り機は広く普及していると思います。 家庭用ですから、広範囲の芝を刈る訳ではありませんが、 長く使っていると、綺麗に刈れなくなります。 刈れなくなる原因 刈れなくなる原因1,切刃がだれる 2,小石などを噛み込み、刃が逃げてしまう 復帰法1, 1,ダレた刃を研ぎなおす。 2,逃げた刃を戻す。 この現象はかなり頻繁に起きるので、両者を一度に改善する方法を考えました。芝切断刃の形状を四角から次のような写真の星形に変更する。 本体への取り付け状態(今回は2個)

          芝刈り機の改善

          ソファーにキャスター付けてみた

          二人掛けソファーにキャスターを付け移動を楽にした限られたスペースで移動が簡単に行えるようソファー底面にキャスター を付けました。 キャスター本体 ボール型 耐荷重:30Kg 高さ:5cm 使う場所ワンルームマンションなどでスペースが限られている場所 窓際で日に当たりたい、反転してTVなどを鑑賞したい、 デスクワークしたい、足を投げ出したい、など ブレーキ解放すれば移動は自由自在 楽に動かせますこんな方法もテスト中 木枠にキャスターを取り付けリビングのソファーを乗せま

          ソファーにキャスター付けてみた

          補給水置場つき冷風扇

          アイデアのセールスポイント 熱中症の原因として、水分補給の不足が上げられています。 身近に補給水が有れば、喉が渇く前でも定期的に飲むこともできます。 手持ちの扇風機にトレーを取り付け、凍らせたペットボトルを乗せられる構造として、吹き出し風を冷やす事と、溶けだしたPET内容物を簡単に飲むことが出来る冷風扇を作ってみました。 安価なミニ扇風機にも適応。 改良した部分 発生する結露水の処理が重要となる。 構造を可能な限りシンプルにして、トレーの結露水などによる汚れを掃除しやす

          補給水置場つき冷風扇

          最初で最後の仏像彫り

          現役サラリーマン時代、本社への出張帰りに東名高速バスを利用していました。一時間余りの乗車時間つぶしに週刊誌を購入し、パラパラ見ていた中で この広告に出会い、その美しさに感動したのを思い出します。 作者は中国人の李健氏で、両手の位置、少し腰を振ったバランスが良いと感じました。 定年後、時間が有れば、自分で彫ってみたいな、と思っていました。 2007年その時が訪れ、それまで版画程度しか経験はありませんでしたが、 プロの作を模写する形で、挑戦してみました。 材料はホームセンター

          最初で最後の仏像彫り

          ロールペーパーケース

          ティシュペーパー代わりに使っていたトイレットペーパー(裸で)の見栄えが良くないので、段ボールの箱を改造して使っていました。 更に一味見栄えを良くして、リビングでも使えるようなプラスティック品を作ってみました。 購入品 1,CDケース 2,ミニボックス 完成品 加工箇所 CDケースからペーパーがスライドして引き出せるようなスリット穴。 ミニボックス側壁に穴開け Φ25mm程度。 CDケースとミニボックスをビス止め。 ミニボックスの穴側位置にギザギザ加工。 市販品

          ¥100

          ロールペーパーケース

          ¥100

          北の果ての鉱山開発(野ウサギ獲り)

           三月に入ると、人々は野ウサギを捕えるべく ワナ を仕掛ける。  ワナの材料に使う白樺の木を伐採する事は、本来盗伐となり厳しい罰則があり、人目を避けての仕事であった。  高さ4~5mの白樺を切り、ウサギの通り道に、さかさに立てる。 そうすると、幹を中心に枝が周囲に広がった形になる。その枝に細い針金の輪を、たくさん結びつける。  ウサギが新芽を食いに来て首を突っ込むと、針金の輪に頭が入り込み、逃げようとしても、それが閉まるというのが ワナ の仕組みであった。  ペンケから峠

          北の果ての鉱山開発(野ウサギ獲り)

          北の果ての鉱山開発(熊狩り)

           昭和18年の晩秋の頃、ちょっとした騒ぎが起きた。  その朝、手稲から転勤してきて間もない坑内夫の一人が行方不明になった。  飯場の目と鼻の先の事務所に顔を出して、その日の作業指示を受けるのが決まりであったのに、顔を出さない。  飯場にもいない、という事であった。彼は、朝起きると近所に熊の足跡が有ると聞いて、密かに銃を持ちだし、熊を追ったのである。  それが分かったのは、だいぶ時間が経ってから、飯場の炊事婦がその事を告げたからであった。  鉱山主任以下、事務所では彼の腕前を

          北の果ての鉱山開発(熊狩り)

          発明品その4.5

          画鋲着脱補助具(改良品) 発明品4で投稿しました画鋲着脱補助具の改良品です。 令和5年2月に開催された、小山公民館サークル活動発表会に小山発明クラブも参加しました。    私も3点ほど出品しましたが、その1点が画鋲着脱具でした。(内容は発明品4をご参照下さい)  従来の公民館祭りとの比較では、全体的に規模が縮小されている事もあり、見学者の人数は若干少なめでしたが、2日間で100名以上の方々にご覧頂きました。  その中で、年配の女性の方にこの補助具の目的、使い方を説明しま

          発明品その4.5

          北の果ての鉱山開発(終戦直後4)

          目次 電線とヤギの乳 除雪と鰊のこと 戦後の終わり 電線とヤギの乳  戦後の乱れた時代、鉱山では治安係を設けて駐在さん、職組、労組の認定を得て鉱山内の自主的な治安維持に当たらせていた。  ある日、一人の治安係が聞き込んできた話は、次のようなものであった。 「数日前にペンケの請負業者の親爺が、電話で、「何メーター物何本、何メーター物何本」とパンケ側の人間に話していたのを聞いた人がいるとの事。  それまで、何度も電線を切り取られていたので、これはてっきり、その連中に

          北の果ての鉱山開発(終戦直後4)

          北の果ての鉱山開発(終戦直後3)

          目次 選鉱場の全焼 選鉱夫は坑内に 男の序列 たくましい鉱山長 選鉱場の全焼  昭和20年の初雪が降り出した頃、ペンケの選鉱場が全焼した。  その前年、パンケの小さな選鉱場が倒壊していたから、鉱山には選鉱場が無くなってしまったのである。   その日は、青空がきれいな日であった。12時を少し過ぎた時間であったが、「選鉱場が火事だ」と、事務所に飛び込んできた人があった。  出てみると、傾斜面に立つ選鉱場の右の一番上に白煙と、糸状の赤い炎が目に入った。  建物自体

          北の果ての鉱山開発(終戦直後3)