北の果ての鉱山開発(野ウサギ獲り)
三月に入ると、人々は野ウサギを捕えるべく ワナ を仕掛ける。
ワナの材料に使う白樺の木を伐採する事は、本来盗伐となり厳しい罰則があり、人目を避けての仕事であった。
高さ4~5mの白樺を切り、ウサギの通り道に、さかさに立てる。
そうすると、幹を中心に枝が周囲に広がった形になる。その枝に細い針金の輪を、たくさん結びつける。
ウサギが新芽を食いに来て首を突っ込むと、針金の輪に頭が入り込み、逃げようとしても、それが閉まるというのが ワナ の仕組みであった。
ペンケから峠を越えての通勤は、冬の間は吹雪に苦しめられパンケの現場に着いたが、もうお昼だったなどと言う日も何度かあったし、夏になれば定時で帰るときは人数も多くて良かったが、残業を済ませて帰るときは熊の心配があった。いつもは、悩みの種であったが、早春の峠には、この楽しみがあった。
野ウサギは夜行性の動物で、夜なか中エサを求めて歩き廻る。
気を付けてみると、ウサギの歩く道は大体決まっているのが分る。
朝、他の人より早く自分のワナを見なければならない。他の誰かに獲物をさらわれても文句のつけようがない。ワナに名札は無いからである。
3月頃は雪が固まって、人々が自分の思うままに歩けるのだから、山は広い。トラブルは全くなかった。
ウサギが歩く道の両側に柵を作って、自然にワナに追い込むような、凝った物もあったが、果たして効果はあったのかどうか。
鉱山に麻雀パイが現れたのは戦後である。シベリア帰りが、木に彫り込んだパイを持ち帰ったのが始めてで、せいぜい花札いじりが夜の楽しみであった戦前の山奥では、こうして獲ったウサギ汁でドブロクを酌み交わすのは、一番健全な夜の過ごし方であったようだ。