テニス上達メモ030.「知る」と「する」は雲泥の差。スパチャ(寄付)する人が富む
▶「1割」試せば御の字?
たとえばテニス雑誌などで、ネット上に的を設定して狙うコントロールの練習法が、紹介されていたとします。
フラフープなどを使って、ターゲットとする。
試してみた経験、あるでしょうか?
「そんな感じのイメージで狙えばいいのか」などと頭の中で想像はするものの、実際に試してみる人のパーセンテージは高くはないでしょう。
私の見立てでは、1割試せば御の字。
的を用意、設定したりするのが「面倒」というのが、その理由なのかもしれません。
▶「的」を置かない練習は練習ではない
しかし、そういう練習法を「知る」ことと、「実践する」ことの間には、天地ほどの差があります。
実際にやってみると一発で、「狙う」イメージが頭に焼きつきます。
今までの漠然と打ち返していた練習とは、まったく異なる具体的なイメージが、脳内で鮮明に記憶されるからです。
私は「コーン(的)を置かない練習は、練習ではない」と、よく言っています。
つい、ターゲットを定めない乱打をやりがちではないでしょうか……。
確かに体を動かすエクササイズの効果はあるにせよ、テニスにおいてコントロールを学ぶ練習には、ほとんどならないのです。
▶「1ヶ月後」には変わる
意識して狙う必要はない理由は後述するとして、的を置くように習慣づけると、もちろんプレー頻度にもよりますけれども、1ヶ月後には今とは変わっています。
また実際に的当てをやってみると、「当たった!」「惜しい!」というように、楽しく夢中になれる。
確かに、当たったからといって浮かれたり、惜しかったからといって悔んだりするのは、平常心を損なうので注意が必要ですけれども、「楽しむ」のは、「あみだくじ理論」に基づく小脳運動機構の脳内回路を形成する上で有利です。
シリアスにならずに「遊び感覚」で取り組む。
幼児がテーブルにこぼしたミルクを、手のひらでピチャピチャと遊び始めたら、心理学者チクセント・ミハイが提唱した「フロー」あるいは「ゾーン」の入り口。
それが取りも直さず「集中」なのでした。
▶アインシュタインに「奇人」扱いされる
単調な練習に、マンネリや伸び悩みを感じてはいませんか?
同じ乱打ばかりの練習でも、続けていればいつかは上手くなれると考えるのは幻想です。
いくらやっても脳に新しい刺激が加わらないと、現状維持はあっても、レベルアップは叶いません。
今までと同じやり方で違う結果を期待する人を「奇人」と言ったのは、20世紀最高の物理学者と評されるアルベルト・アインシュタイン。
どんなに効果のあるダイエット法も、禁煙法も、投資術も、断捨離も、マインドフルネスも、知っているだけで実践が伴わなければ、その知識や情報は、ほとんど何の効果もないのではないでしょうか(参考記事:米1粒の複利効果で、あっという間に100万石の大名!)
情報を仕入れるために要した時間と労力と精神力は、すっかり「無駄だった」というわけです。
▶こうすれば「上昇する」
こんまりこと近藤麻理恵さんが「トキメキ以外は捨てる」と伝え、読者は頭で知識を理解したとしても、実際に「捨てる実践」が伴うのと、やっぱり引き出しの奥に戻してしまい込むのとでは、当然ですが「その後の人生において雲泥の差」が生じます。
どうすれば、雲泥の「雲」側へ上昇していけるでしょうか?
「泥」側に沈んでしまわないためには?
「実践!」
「実践!」
「とにかく実践!」
これだけは、言っても言いすぎることはありません。
自己啓発書を読んで、一時的にやる気や気分が高揚するチャンスはあったとしても、結局現実が変わらないのは、やっぱり身をもって行う実践が伴わないからです。
頭による理解だけではなくて、体を通じて体で覚える「体育」です。
そのためにもぜひ、お試しでもいいから、遊び感覚や実験感覚で「実践」してみる体験学習をすると効果的です。
▶的との「乖離」を脳が記憶する
コートに的を置いてみてください。
意識して狙う必要はありません。
置いた時点ですでに狙うイメージはできているので、あとは的と打ったボール落下地点との乖離を確認するだけで、脳はコントロール情報を記憶します。
逆に言えば、的がないと脳は何を根拠にコントロールすればいいのか分かりません。
「何もないところを狙って」といっても、狙いようがないのです。
「知る」と「する」とでは、雲泥の差だという厳然たる事実。
▶こんな記事は「高が知れている」
ここまで来てこう言ってはなんですが、この記事を読んでも、実際に変わる人は、多くないかもしれません。
繰り返しになりますが、私の見立てでは1割未満。
なぜならこの記事が、「無料」だからです。
すると意識的であろうと無意識的であろうと、「無料だから高が知れている」情報だろうというイメージに基づき、読みがちです。
それは結局、何も「体験していない」に等しいのです。
▶ネットで有益な情報を見つけても「人生が変わらない」理由
無料だとうっかり、私たちは「高が知れている」というイメージに基づき読んでしまう。
毎日ネットサーフィンをして役立ちそうな記事に目を通しているにも関わらず、人生が何も変わっていないという人は、少なくありません。
ネットサーフィンは、楽しみもあるでしょうけれども、検索は役立つ何かを知りたいのがメイン。
にも関わらず昨日読んだばかりの記事なのに、内容を思い出せないという例も、少なくないはずです。
それは、「無料」だからです。
結局その記事を読むのに費やした時間と労力と精神力は、すっかり「無駄だった」というわけです。
▶身銭を切るという「教え」
ではこのテニス上達メモ「『知る』と『する』は雲泥の差」の記事を血肉とし、今後、私たちが変わるために役立てるには、どうすればいいでしょうか?
「知る」と「する」は雲泥の差なのですから、「身銭を切る」体験をすればいいのです。
天と地との差とも先述しました。
実際にやってみると一発で、イメージが頭に焼きつくともお伝えしました。
つまり「高が知れている」内容ではなくて、「身銭を切る」体験をするぶん、「回収」しようとするイメージに基づき言動が具体的に変化します。
▶「貧富の差」はイメージの差
身銭を切る。
禅では生活が苦しい人へほど、布施に回ったといいます。
もちろん貧しい人からせしめて「もっと苦しめてやろう!」という他意が、托鉢僧にあったわけではありません。
苦しんでいる人が身銭を切る体験を通じて、豊かな生活へと導く狙いであった。
本来、お金を支払うというのは、人に流す「豊かな循環」です。
それがいつの頃からか「節約は美徳」「我慢が大事」などと、まことしやかにささやかれ、貯め込むイメージが私たちの潜在意識に形成されました。
そしてテニス界のレジェンドであるアンドレ・アガシが言うように、私たちのあらゆる言動をイメージが司っています。
すなわち節約ばかりしていると、貧しいイメージにさいなまれ、実際に貧しくなるし、積極的にお金を「人」へ支払う豊かな循環のイメージが形成されると、それにふさわしい人生観が定まります。
▶スパチャ(寄付)する人が「富む」
いろんな役立つ情報を発信するYouTube動画はたくさんありますけれども、本当にそれらを視聴して役立てられるのは、恐らく視聴者全体の1割未満。
なかでも「身銭を切って」スパチャをする人が、確実というわけです。
そうでなければ、昨日見たばかりの動画内容も、思い出せないのでは?
昨日どころか1週間後なら、なおさらでしょう。
というわけで、このテニス上達メモの記事は「無料」ですから、皆さんの中では「高が知れている」情報としてイメージされます。
なので筆者の私から申し上げるのもはばかられますけれども、役立ちません。
▶実践すれば何でも「役に立つ」
役立てるには、どうすればいい?
方法論はすでに述べました。
「『知る』と『する』は雲泥の差」というのは、そういう意味です。
明日になって何ひとつ思い出せず、実践が伴わなければ、この記事を読んだここまでの時間と労力と精神力は、すっかり「無駄だった」という顛末。
結局人生は、思うようには変わりません。
役立てるには、「実践、実践、とにかく実践」。
それが一時的かつ主観的に失敗に思えたとしても、それは上手くいかないことが新たに分かった「新発見」。
この記事は「無料」ですけれども、どうかお読みいただきました時間と労力と精神力が、無駄とはなりませんように。
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