質問065:練習ではそうでもないのに、試合になるとなぜか、落ち着いてプレーできない
回答
▶落ち着こうとすればするほど、落ち着かなくなる
気持ちのうえで「落ち着こう」とするのではなく、体に働きかけるのがポイントです。
「落ち着け」「落ち着こう」「落ち着けば大丈夫だ」などと、心に言い聞かせようとする対処の仕方が、一般的かもしれません。
しかし、得策ではありません。
得策どころか、逆効果になりかねません。
落ち着こうと意識することは、「落ち着いていない現状のセルフイメージ」を強化するからです(参考記事:「幸せになりたい」と願うから……)。
一方、体は本当に、精緻にできています。
たとえば働きすぎて限界を迎えたとき、体は「もうこれ以上、動くな!」とばかりに、ダルくなったりしてくれて、休むためのサインを伝えてくれます。
その体からのサインを無視して、心で頑張ろうとするから、心は病んでしまいます。
▶気持ちを「今・ここ・この瞬間」に留める
では、テニスの試合で落ち着くために、具体的に、どんな体への働きかけができるでしょうか。
たとえばプレー以外の時間(ポイントとポイントの間)を、ゆったりと過ごしてみる。
ボールを取りにいく歩みのスピードを、ゆったりにする。
ゆったり歩きながら、せかせかはできませんからね。
すると、心も落ち着いてくるのです。
もちろん、あからさまな遅延行為は勧められませんけれども、ルール内であれば、何をやってもいいのがテニス。
ゆったりと歩いて、気持ちを過去や未来に飛ばしてしまわず、「今・ここ・この瞬間」に留めるように努めます。
過去の失敗や、未来の結果について考えてしまうと、つい、急いしまいたくなりがちですからね。
プロでも焦ると、「間を取る」ということができなくなります。
「早くなんとかしたい!」
「この状況をどうにかしなきゃ!」
こういう欲にとらわれると、人は行動がせかせかするのです。
▶「自分軸」と「他人軸」と「自己肯定感」と
日常生活でも、明確な意図でもない限り、歩くスピードがつい、速くなってしまったりしていないかどうか。
顧みて、「いつも急いでいる」と感じるならば、それは何か相手や状況に「合わせてしまっている」、つまり「自分のペースでできていない」ということが、言えるのかもしれません。
その生き方は、いいか悪いかは別として、「自分軸」ではなく、「他人軸」なのです。
もちろんそこには、「自己肯定感」が関わっています。
テニスの試合では、「上下関係」や「利害関係」などが完全に取り払われ、徹底的に対等性が保たれている(保たれていなければならない)にも関わらず、自己肯定感が低いと、「対戦相手を待たせてはいけない」「球出しはこちらから差し出さなければならない」「チェンジエンドの際には、自分から先に対戦相手よりも早く離席しなければならない」などと、「他人軸」で行動してしまうのです。
詳しくは後述しますが、これは多くの場合、対戦相手を「敬っている」ように見えて、実のところ「さげすんでいる」のです。
そしていつも申し上げているとおり、他者否定感と自己否定感とは、完全に正比例。
ですから他者をさげすんで「対戦相手を待たせてはいけない」「球出しはこちらから差し出さなければならない」「チェンジエンドの際には、自分から先に対戦相手よりも早く離席しなければならない」などという思いでいると、ますます自己肯定感を損なうのです。
▶自分のペースで「ゆったり」やればいい
とにもかくにも、勝負をかけたテニスの試合で、相手のペースに合わせるのは致命的。
相手のやりやすい状況(=自分のやりにくい状況)を、あえてお膳立てするようなものです。
一例を挙げると、ゆったりできていれば、サーブのトスがズレたとしても、打つのを見送り、平気で打ち直すレットができます。
だけど焦ってせかせかしていると、サーブのトスがズレたとしても、つい、一か八かで打ちにいくようなギャンブルをやらかしがち(とはいえボールのコントロールは「打点の位置」ではなく「打時の時間」が決めるので、ボリス・ベッカーは30センチのズレなら打ちにいきました)。
これは些細な例ですが、こういう細かな焦りが、プレーの所々で、いえ、至るところで、生じていることをご承知おきください。
ただ、この国には「実力が下の者が、上の者に合わせるべきである!」などという強迫観念めいた雰囲気が支配的ですから、特に初中級者は、この「妙な価値観」に惑わされないように、注意を払わなければなりません。
実力が下でも、上に合わせなければならないなんていう決まりは、ルールブックのどこにも記載されていませんからね。
※かつて、プロの試合前練習では下位ランカーが上位ランカーへ球出しすべきだなどとささやかれましたが、そのような事実はありません(参考記事:人は対等が原理原則)。
ですから、自分のペースで、ゆったりやることです。
あと、テニスはもちろんのこと、仕事や日常生活でも「効率」ばかりを求めてしまうと、せかせかの生き方がいつの間にかデフォルトとなり、「早く終わらせたい!」「チャッチャッと片付けたい!」欲にとらわれやすくなるので、注意が必要です。
ゆったりと過ごし、「早くしたくなる」欲を薄めていく地道な取り組みが、ゆくゆくはテニスの結果にも反映されてくる成り行きと言えるでしょう。
▶相手を優先しすぎる「本当の理由」
さて、いつもいつも相手を優先するのは「敬っている」のではなく、「さげすんでいる」と先述しました。
どういうことか?
多くの場合、相手の寛容性・許容度を、「著しく低く見積もっている」証左だからです。
「待たせると、対戦相手はイライラするに違いない」
「対戦相手に球出しをさせるのは、失礼にあたる」
「チェンジエンドの際には、相手よりも自分があとに席を立つと、待たせて迷惑をかけてしまう」
そうやって相手を否定的に見ているから、「他者否定感=自己否定感」の等式が、成り立ってしまうのです。
もちろんテニスでは、「ポイント間は25秒以内ルール (2020年より以前の20秒以内ルールから変更)」、「チェンジエンドは90秒以内ルール」、「各セット終了時のセットブレイクは120秒以内ルール」などの定めがありますから、これらは守らなければ、自分にタイムバイオレーションの不利を招いてしまいます。
※蛇足ですが 、一般的によく使われる「コートチェンジ」という言い方は和製英語で、1番コートから2番コートへ、「コートを変更するようなニュアンス」になってしまいます。
▶「相手を敬う」のが自己肯定感の根幹
相手を本当に敬っていれば(相手のありのままを本当に受け入れるならば)、「こんな些細なことでイライラする相手ではない」「相手はこちらの事情も汲んでくれるに違いない」「もっと寛容性・許容度の高い人だ」という感じ方になるでしょう。
これこそ、「自己肯定感の根幹」です。
自己否定感と言うと、どうしても「自分は、テニスが上手くなれば」「自分の、容姿が良くなれば」「自分さえ、ちゃんとすれば」などと、(自己肯定感というネーミングに引っ張られて)「自分」にばかり、目が向いてしまいがちです。
だからこそ、勘違いされやすい。
そうすると先の例でいうと、「今の自分は、テニスが上手くないからダメ」「今の自分は、容姿が良くないからダメ」「今の自分は、ちゃんとしていないからダメ」といった具合に、自己否定のフィーリングを強めてしまうのです。
「他者肯定感の高さ=自己否定感の高さ」なのだから、視座をクルッと180度ひっくり返して、他者のありのままを受け入れると、自己のありのままも(テニスがヘタでも、容姿に自信がなくても、ちゃんとしていなくても)、受け入れられるようになるのが、「自己肯定感」です。
▶自己肯定感を高めるにも「体に働きかける」
自己肯定感も「感覚」ですから、体に働きかけるのが有効。
つまり他者のありのままを受け入れるには、他者と関わり(つながり)を持つのです。
自己肯定感の低い人には、「人間関係が苦手」という人が少なくありませんけれども、そうするとますます他者を受け入れる機会がなくなって、「自己否定感」にさいなまれがちです。
もちろん、「人間関係が苦手な今の自分はだめだ」という感覚も、覚えるかもしれません。
しかし人間関係が苦手な現状の苦しみは、他者を「否定的に見ている」からでもある、という自己否定感との相関になっています。
▶(安全な環境で)「さらけ出す」ほど高まる自己肯定感
また、「ありのままの自分」をさらけ出さないから(偽りの自分でいるから=他者に自分を偽るから)、人間関係がつらくなる側面もある。
(否定されたりアドバイスされたりしない安全な環境で)本心を「さらけ出す」ほど、似たような体験を通じて他者と気持ちの交流ができ、互いにリスペクトしやすくなりますよね。
とはいえ「人間関係が苦手な自分も、今は仕方がない」と、ありのままを受け入れるのも自己肯定。
そんな自己と同じように、他者にもいろんな(苦手などの)事情がある。
他者の事情を汲みし、ありのままを受け入れていけば、自分も肯定的に感じたり、自分を大切にしたりが、できるようになってくる心の練習です。
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