テニス上達メモ108.自分で「頑張らない」のが集中
▶集中は「受動的」。能動的に頑張るほど遠のく
集中とは、「心を奪われる」のです。
集中しようと能動的に頑張るのではなくて、いつの間にか夢中になっていた受動的な状態。
集中を言い表すにあたって、よく次のように表現されます。
「我を忘れる」
「寝食を忘れる」
「あっという間」
我を忘れようと思って、忘れるのではありません。
寝食を忘れようと思って、忘れるのではありません。
あっという間にしようと思って、あっという間になるのではありません。
「時が経つのも忘れる」のです。
いつの間にか、心を奪われるのです。
▶窓拭きを「やめられなくなる」
日常生活でも、そのような経験はないでしょうか?
窓拭きを始めたら、やめられなくなった。
ブログを書いていたら、止まらなくなった。
窓拭きを続けようと、意識したわけではありません。
ブログの執筆を止めないように、頑張るわけでもありません。
いつの間にか「心を奪われていた」のです。
▶テニスは「他力本願」で上手くいく
テニスでいえば、ボールに心を奪われるのです。
「ボールに集中しよう」と意識しても、できません。
むしろ意識するのは、集中とは対極です。
ボールに集中しようとして、集中できるわけではないのです。
力のベクトルで言えば集中は、入力ではなく、脱力。
自分が自分でどうにかしようと頑張るのではなくて、ボールに身を委ねて体(潜在意識)に「お任せ」するのです。
自分から集中しようと頑張るのではなくて、「頼むよ!」という頑張らない「他力本願」の姿勢です。
▶「頑張る」「努力する」は楽しくない
「他力本願」などと言うと、眉をひそめる人も中にはいるでしょう。
中にはいるどころか、日本人の感覚だと、ほとんどの人がそうかも知れません。
「自分で頑張るものだ!」
「努力が実を結ぶのだ!」と。
しかし、その姿勢は楽しくないのです。
ストレスなのです。
疲れるのです。
片や、時が立つのも忘れる窓拭きやブログは、楽しいのです。
そして疲労感はあっても心地よく、窓はピカピカになるし、そういう人が書いたブログは文章も面白いのです。
私の場合もそうですけれども、頑張って努力して書いた文章は、あとから読み返しても面白くありません。
▶「This is a pen.」は一生使わない
勉強と書いて「強いる」から、楽しくないのです。
たとえば英語教育は「異国の人と友だちになるための遊び」にすれば、がぜん面白くなってミルミル上達するのです。
頑張りや努力は不要。
英語学習と、常識的なテニス指導のそっくりすぎる(残念な)共通点はこちら。
また英語教育で最初に習う「This is a pen.」など、ネイティブは一生使わないそうですね。
それに関するヤフートピックスはこちら。
配信元のHint-Potというウェブサイトはこちら。
それと同じように常識的なテニス指導に習うと、レッスンの初日からつまずくのです。
ちなみにくだんのニュージーランド人英会話講師ジェイデンさん、「間違えてもOK!」というのも、理にかなっています。
ですから、米国合衆国国務省が「唯一の”カテゴリー5+”」として最高難度に認定している日本語を、「まあまあ問題なく話せるようになったと自負しています(笑)」とおどけます(おどけることができます)。
テニスもミスするから、「あみだくじ理論」にのっとって、小脳運動機構のネットワークが最速で完成します。
「まあまあ問題なく話せるようになったと自負しています」というフレーズを、最も簡単な言語である「英語」で言える日本人は、どれくらいいるでしょうか?
▶「手動」ではなく「自動」
窓拭きだって、自ら手を動かすというよりも、汚れや曇りがあるから、手が勝手にそちらへ動くのではないでしょうか?
ブログだって、夢中で書いているときには「何を書こうか」などと自分で考えるまでもなく、書く手が止まらなくなるのではないでしょうか?
これが、「自動」の威力です。
そういう人智を越えた力が、誰にも備わっています。
自分で頑張る意識は不要。
委ねれば、体が勝手にやってくれます。
汚れや曇りがあれば、そちらへ勝手に手が動いてくれます。
汚れや曇りに、身を委ねるのです。
▶「やる気」はあとからついてくる
委ねて、あとはお任せする。
ですから、自分からモチベーションを高める必要もありません。
やる気を出して窓拭きに取りかかるのではありません。
窓拭きに取りかかったら、やる気がミルミル湧いてくるのが、行動が先で感情があとからついてくると解く「アズイフの法則」です。
自分から頑張ったり、やる気を出したりする必要がないから、気負いもない。
「頼むよ!」という他力本願。
身を委ねていると、そのうちリズムや流れやペースに乗ってきます。
▶「ほんの小さなひと穴」をチョンとつつく
ですから何事も、「やる」ためのファーストステップは、スモールステップ。
勉強のやる気が出ないなら、ノートを1ページめくるだけ。
すると目に飛び込んできた言葉が気になり、検索し出したら、いつの間にかのめり込んでいたというのが、「やる気」であり「集中」です。
自分からは、笑ってしまうくらい「ほんの小さなひと穴」をチョンとつつくだけ。
すると、ドッとやる気が流れ込みます。
これが、後述する「フロー」。
▶他人事だから「客観視」になる
「頼むよ!」
あたかも他人事だから、客観的でもいられます。
自力で犯したエラーだと思うから、悔しくなります。
ブチ切れもします。
しかし、「他力」なのだとしたら、エラーも他人事。
ウイナーが良い、エラーが悪いと思うのは主観であり、打ったボールに対戦相手が触れなかった、打ったボールがネットに引っかかったりラインの外側に飛び出したりした、という事実が客観です。
「頼むよ!」だとウイナーもエラーも、いずれも「自力ではない」から、感情がいたずらに揺さぶられることもなくなります。
▶「人智を超えて出てくる力」の正体
世の中には、言葉では言い表せない事象がたくさんあります。
むしろ言い表せるほうが、「ほんの少し」ではないでしょうか。
「集中」も、そのひとつ。
英語では「コンセントレーション」ですが、スポーツでは「ゾーン」や「フロー」などという言葉も当てられます。
日本語では「夢中」や「没頭」も、集中に近いでしょう。
フローは「流れ」という意味ですから、やはり身を委ねる印象。
没頭は「頭を没する」のですから、文字どおり「考えない」「意識しない」といった由来の言葉でしょう。
力のベクトルとしては、入力ではなく脱力。
足すというより、引く。
頑張るというより、頑張らない。
能動というより、受動。
人智を超えて出てくる力を、私たちは誰しも秘めています。
それが証拠に、ですからビギナーも「うっかりフロー」するのです。
▶ボールは「天才催眠術師」
そのためには繰り返しになりますが、テニスでは「ボールに心を奪われる」。
くるくると回るボールの回転を見ているうちに、催眠術をかけられてしまうイメージです。
頑張って催眠術にかかるのではありません。
「天才催眠術師」のボールにお任せして、催眠術をかけてもらうのです。
すると、窓拭きをする手が、ブログを書く手が、自分の意志とは関わりなしに止まらなくなるのと同様、体は勝手にボールを追いかけ、自動でボールを打ってくれます。
そのうち、リズムや流れやペースに乗ってきます。
調子に乗ったときのテニスというのは、決まってそのような感じではないでしょうか。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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