記事一覧
身を削ることと、自分を満たすことについて 4/4
らを削り合う行為は
物質的で、目に見えやすく
自らの満たされたエネルギーが
自然と全てを支えているという動きは
素粒子的で、みえにくい。
(それを感じる為に繊細であること、自分自身がシンプルな状態であることでそれがみえてくる。瞑想・ワンネス・マインドフルネス等)
身を削ることと、自分を満たすことについて 3/4
だから、「何かの為に何かを
しなくちゃいけないんじゃないかって思う」
その気持ち、「〜せねば。〜すべき。」で
絶対身を削る必要はないということ。
自分自身が既に満たされていることを
気付いたり、感じたりする為に
まずは第一に、自分が安心する生き方を
自分自身に全力でしてあげること。
例えどんなに、身を削りたくなっても
そういう自分自身さえも在っていいんだと
全部の自分を肯定していい。
矛盾さ
身を削ることと、自分を満たすことについて 2/4
何をするにも、その中心に
そのままの自らを認め、ゆるす意識と
肯定して信頼する意識を持つことで
自分自身が存在しているだけで、既に
満たされた存在だということに気付いていく。
この満たされたエネルギーが
勝手に溢れ出る、その時に初めて
それが自然と人の為になり、支えになり
全体でみると、"増えていく補填"になる。
身を削ることと、自分を満たすことについて 1/4
身を削って
誰かの為に何かをすると
削り合いながら
エネルギーを補填し合う流れが
生まれる。
補填が出来たとしても
前回を上回る削り方で
また誰かの為に何かをする。
それは、補填して増えているようで
全体でみると減っていく、つまり
矛盾するようだけれど
"減っていく補填"になるのだと思う。
その人にとって尊いもの
出来るか出来ないかじゃなくて
成れるか成れないかじゃなくて
持ってるか持ってないかじゃなくて
正しいか間違ってるかじゃなくて
ありのままのその人が
その人の素直な気持ちで
これだ!と決めて選択すること、
この意志のカタチそのものが
1番大切だと思う。
それが、他人からどんな風にみえても
それはその人にとって尊いもので
最高最善な意味がある。
それに振り切ることで
それが、その人にとって一
好きと嫌いの真ん中に立つ。
好きだからといって、それは
それ以外の存在の否定にはならない。
それは、好きを肯定しているだけ。
それは、嫌いを肯定しているだけ。
好きと嫌いの真ん中に立っているだけ。
あなたがあなたの心を動かしている。
嬉しい、悲しい、楽しい、つらい。
それらは全て、あなたの心が生み出す。
例えば、ピアノの音・演奏が
あなたの心を動かしているようで
実はあなたが、あなたの心から
エネルギーを生み出して
あなたの心を動かしている。
あなたがあなたを感動させている。
それがあなたにとっての素敵な世界を
更に生み出していく。
ピアノの音に依存しなくても
あなたは、その大切なエネルギー全てを
常に
音楽は"感情をゆるす"こと
音楽は、色んな感情を
分け隔て無く、素直に表現できる。
旋律に乗せて。
歌詞に乗せて。
それは
言葉で話し合う時のような
ダイレクトな感覚ではなくて
音楽という衣に包まれて
周囲に自然と伝わる感覚。
これを
言葉で話し合う時の感覚に
置き換えた時
音楽は
"感情をゆるす"という感覚に
置き換えられるのだと思う。
「どんな感情でも
自分の中にあっていいんだよ」
と、感
本当のきもちを伝える。
自分の中にある本当のきもちを伝える。
そうすることで、より自分自身に合う環境がみえてくる。
ただ、本当のきもちを伝える時でさえ
それを"言ってはいけない"というルールが
自分の中に存在している場合がある。
「相手に迷惑をかけるかもしれない。
傷つけるかもしれない。嫌われるかもしれない。」
本当のきもちを伝えたとしても
そのルールに気づかない限りは
本当のきもちが伝わらない状況が
何度も目の前
意識するから、現れる。
冷静に考えれば
ごく自然なことなのかもしれないけど
ピアノを弾いている時に
自分自身がイメージする音になるよう
様々な角度から意識をすると
なんでもない時に
「あれ、弾ける」と感じる時がある。
意識・イメージが常に先にあって
それを続ければ、その次に必ず
それが実現する。
意識より先に、ピアノが向こう側から勝手にやってきて
「弾けるようにしてやるよ」なんて言いながら寄ってはこないし
そも
認めるから、手放せる。
自分が嫌だと思うことを手放すには
それが在ることを認めることで
手放すことができる。
それを認めないということは
それは"得体の知れないもの"
得体の知れないものなのだから
それに何かをしようとしても
どうすることもできない。
それを認めるからこそ
カタチがはっきりみえる。
だから
それを選ぶのか選ばないのかを
明確に選択出来る。
奇跡や偶然
奇跡や偶然が沢山起きてきて
それに沢山気づけるようになった時
それでも、そのひとつ1つを
新鮮に感じながら、ありがとうと思い
まるで生まれたてのように
沢山の人と、それを喜び合い
その瞬間のために
少しでも足を止め
真っ直ぐ向き合い
それを感じることに
めいいっぱい生きる在り方を
私は選んでいこうと思う。