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Kei
2024年12月8日 11:01
今思えば、何たる無謀!アイゼンなど履かず、祖父もわたしも兄も雪山を登ったのだ。前に書いたっけ。「ほら、じーちゃんのベルトに掴まれ」と、足元滑り何度も雪ん子になるわたしに祖父は、ズボンのベルトを外し、先っぽを持たせた。「絶対に離さないからな」と祖父の言葉。「うん!」と、安堵してベルトに捕まり山道登る。途中、下山する集団に「小さいお孫さん連れで、この道は無理
2024年3月25日 06:52
風邪を引いたなら、祖母が林檎をその萎れた小さな手で、おろし金で絞り、日本手ぬぐいだか、キレイな布巾だかに、絞り絞り、最後の芯付近まで絞り、その後、ぎゅっと布を巾着状にまとめ、林檎ジュースを作って飲ませてくれた。ふと、今日、いや、もう昨日。食欲不振、発熱した家族にと、果物売り場を物色。林檎は高かった。で、林檎百%なるジュースが今は在るのだった。うんと楽で、うんと安い。栄養
2024年12月4日 07:06
実際のところ夏を越したらもう無理だろうと覚悟していました。主治医曰く「全く嚥下が出来ません。機能的には出来る筈なのですが、それが出来なくなっていますので、点滴のみに頼っている状態。胃ロウか、喉切開で栄養摂取するかという選択、或いは、このまま自然に任せるという選択、どちらかでしょう。手術は・・正直進められません、お母さんの体力がもたないでしょう」退院前、そう言われました。決断しな
2024年11月21日 09:14
_亡き義父母の会話_湖畔の宿・・往年の大女優(私は盛りを知らないのですが〉高峰三枝子様が、歌われたとか。当時、舅が、「俺は、この人が好きだ」と・・つい、無用心に呟いた事がありまして、そう、高峰三枝子様は、年齢に似合わず、豊満な胸をお持ちで、入浴シーンなど、CMを観たような♪姑が、怜悧な標準語で、一言(姑は東京下町生まれですw〉「あら、貴女は、こんな女性がお好みでしたか。悪う御座
2024年11月13日 00:00
母が食べ物をこぼすと、早朝、父より電話あり。母に似合うエプロン(涎掛け)を持参せよとの指示にて、何とか、好きそうな赤い小花模様のビニール状エプロンを選ぶ。大層、似合った。母、鏡観て微笑む。昼食時、ホームの介護主任さんに、外すよう言われる。「専用のエプロンを皆つけていますから」と。父、激怒。「此処はルールルールか!持って来たモノを付けさせぬとはどういう事か!」すっ
2024年11月8日 09:45
「白い三角巾はあまりに病人っぽい」と・・娘が100均で購入したというバンダナを二枚縫い、それはそれは素敵なonly1の三角巾を持って来てくれる。夜、消灯時間のあとは長い。緊急病棟ゆえに痛みを訴える方、術後の方、重篤な方多し。一番好きな77歳のご婦人。夜中に「たすけてください。もう痛いのは厭です。自尊心を粉々に壊されるのも厭!何故?何故、あの方達は意地悪するのでしょうか。
2024年11月2日 07:55
もう少し、色付いているでしょうか。うらぶれ荒み絶望という、またぞろ私の求める域に到達しかけた頃この、原風景たるわたしの記憶が祖父の棲む地が祖母の声がまだだよ、と押し戻す。父と同じじゃないか。オヤジ、迎えに来て下さい!と泣く父・・似て来た自分を痛感する。おじいちゃん・・まだ、駄目?はい、弱音吐いて醜悪に這いつくばってでも生きます。頑張って、ソチラで、褒めて
2024年11月2日 07:50
くわっ!と、その目を見開き”お前は!”と、怒声を発せよ入道雲の如く大岩の如く圧倒的な畏怖をわたしに味あわせよ事の推移 わたし自身の風邪にて一週間訪れなかった間 父は隔離室に入れられ点滴を受け 頬削ぎ落ち目は窪み 久し振りに会う父は死に行く人の如く変貌遂げていた お父さん!と声を掛けても眠ったまま 「何も食べないからです。」介護士が憎憎しげに答える
2024年10月28日 06:17
それでも母は父を覚えているのだ。多くを忘れようと、母が口にする「一番大事な人を忘れるわけがなかろうもん」母の大手術ののち、車椅子で近付いた父が「おい、オレが誰かわかるか!?」の問いに即答した母であった。既に三年前・・認知症という病は、特効薬が無い。が、症状を遅らせることは出来るのだ。それを助ける薬もあるにはあるが、何といっても、周囲の言葉や働きかけ、母の表情を察知し喜んでいるとわ
2024年10月17日 09:30
つげ義春の「無能の人」、映画化もされたから知ってる方も多いかと思います。主人公は石を売って歩くんですね、いつも川原で石を集めてる。ふと、私の父も兄も石を収集してた事を思い出しました。放蕩三昧の若き日の父は、ここで書けない程のエピソード沢山あり。宝石だって何だって買えた当時の父が、何より大事にしていたものが沢山の石でした。その石を父が母に「これ、凄いだろ」と見せたそうな。母
2024年10月1日 07:02
あと二ヶ月で、父、奇跡の生還より丸三年経過する。脳出血で高次脳機能障害となった父は、リハビリを続けるも未だ歩けない。当初あった言語障害は回復。父の入院時より、母の認知症は悪化した。父母の三年は、私にとっても、新しい三年でありました。尊大で倣岸不遜が服着て歩いているような、巨躯の父はその肉体のみ半分になり。伊達男たる父は、全てのスーツ、ネクタイ、手を通すことも着ることも不
2024年9月27日 06:46
母は花が好きだ。ホームの玄関先に金木犀の香りが、およそ苦手な方には咽るように匂い立っている。庭には白、ピンク、濃いピンク、三色のコスモス、名の分からぬ花々。秋の日差しの中、母を連れ外に出る。以前、車椅子に乗った母は「まぁ、綺麗。」と顔綻ばせ、花を手で掴もうとした。今年の秋は母の反応が薄い。金木犀の香りが、こんなに風に乗り、貴女とわたしを包んで満たしてくれているという
2024年9月19日 06:20
緊急搬送後、しばらくナース室の前に母は移されていました。サービスステイション、見守りや検査、点滴、他、治療必要な方が入る場所。血圧、体温、他、一応安定ということで、本来ならば本日21日に、従来の父との部屋に戻すという医師、看護士さんのお達しあり。が、何しろ、父がうるさい。「夫婦を別々にするヤツが居るか~!夜、お前たちは、ずっとA子の様子を見れるんか?俺が寝ずの番をする。早く
2024年8月16日 00:08
゙お母さん、お誕生日おめでとう!ぇっと・・何歳になったんだっけ?”「38歳よ。わたしは、38歳から年を取らないの。」遠い昔の記憶、母の名言。洋装も和装も似合った母の並外れた美貌。小中学校の保護者会、校長先生筆頭に男性教師達が色めき立ち母を観に来ていたと、後に知る。そんな騒動を・・我が兄は恥じ入っていたのだった。昨日ホームで見た母の明朗さ、思いがけず観た闊達さー