かる読み『源氏物語』 【桐壺】 弘徽殿の女御の不運について考えてみた
どうも、流-ながる-です。
来年の大河ドラマ『光る君へ』を視聴するかどうかはともかく、それまでにもう一度『源氏物語』をおさらいしたいなと思っているところです。
せっかくnoteはじめたんだしということで、思いつくままに『源氏物語』を読んで考えたことをまとめようと思いました。
おさらいとデカいこと言いましたが、ちゃんと読んだことはないですし、文学の専門ではないので、感想文と備忘録のミックスって感じです。古文を読む力もないので完全に雰囲気読みですね。
読んだのは、岩波文庫 黄15-10『源氏物語』一 桐壺になります。
桐壺だけ読んだ感想と思って頂ければと思います。今回は弘徽殿の女御について考えてみました。
読む前の弘徽殿の女御の個人的イメージ
ゲームに例えると弘徽殿の女御は序盤の敵キャラって感じです。主人公である光源氏(以下、源氏)にとっては母親のライバルって立ち位置で、明らかな敵意を源氏に向けてきます。平たく言うと、弘徽殿の女御は夫(=桐壺帝)の寵愛を奪った女性・桐壺の更衣の息子にあたる源氏が憎いという立場で、源氏が主人公の物語の中では敵役(悪役)に位置します。母親世代であることから先に政治の世界から退場するので、序盤の敵キャラですね。
【桐壺】での弘徽殿の女御のプロフィール
桐壺がはじまるというか物語スタートより前の弘徽殿の女御のプロフィールが以下になります。
右大臣の姫(右大臣の女御と最序盤では呼ばれている)
桐壺帝の女御(皇后の一歩手前)
一の御子の母親、他にも御子がいる
完璧だな、と思いました。平安時代の後宮に入るエリート姫の大成功例になります。身分高い女性のサクセスストーリーのひとつとして、帝の後宮に入り、皇子を産むというのが第一段階、次に皇子が次の帝となる東宮(皇太子)の座につくというのが第二段階、年月が経ちその皇子が帝となるのが最終段階でここから本番というものですね。帝の母になる女性は国母となり絶大な権威を持つと。
地位としては女御から中宮(皇后)になるという出世コースを歩みますね。女御でも十分な地位ですが、中宮となると別格です。弘徽殿の女御はこの中宮になる一歩手前って感じです。一の御子、つまり桐壺帝の最初の皇子を産んでいるわけですから、将来の帝の母として期待されます。
さらに他にも子どもがいるということですから、桐壺帝からの信頼もきっと厚かったと思われます。政治的パートナーにあたる父親(右大臣)も健在、完璧です。完全なるサクセスストーリーですね。
弘徽殿の女御の不運① 桐壺の更衣の出現
はじまりはそこからです。おそらく桐壺帝にも他の貴族にもとても重んじられて信頼されていたはずなのに、帝はある女性に夢中になります。それが桐壺の更衣ですね。物語はこの決して身分が高いというわけではない桐壺の更衣という人が帝の寵愛を独占して御子(後の源氏)を産みましたというところから始まりました。
とにかく特別扱いが過ぎて、後宮の女性たちだけではなく他の貴族たちもおかしいよって思うほどだったと。
自分の見解ですが、弘徽殿の女御は逆に特別扱いされて当然の立場だと思います。右大臣の姫で、一の御子の母、女御という立場。なのに桐壺の更衣はそれ以上に帝に重んじられます。子どもの扱いも本来なら一の御子は次の東宮(皇太子)になるだろうという立場、さらにその後に東宮なので、特別扱いされるはずなのに、袴着、元服という子どもの晴れの儀式はその自分の子どもに勝るとも劣らないレベルで行われる。
こうなると弘徽殿の女御は自分の子じゃなくて、あの子(源氏)が次の東宮になるのでは、なんて不安にもかられたとなっても不自然ではないなと。
弘徽殿の女御の不運② 桐壺の更衣が亡くなっても不遇
源氏の母の桐壺の更衣は病弱で早くに亡くなります。とんでもないライバルが消えたと思ったら、今度は桐壺帝がしきりにずっとずっと桐壺の更衣を想い続けます。地位は盤石ですが、弘徽殿の女御の子である一の御子を見ても、更衣の子である二の御子(源氏)のことを想い続けるといった感じ。キツイ、ほんとにつらいなと。そら、ちょっと愚痴っても変じゃない、いいじゃないとなりました。
弘徽殿の女御の不運③ 桐壺の更衣をいじめた主犯というレッテルはられる
そう見えました。というより今回読み直してびっくりした点です。そうだったのか!って。
弘徽殿の女御が桐壺の更衣を憎んでいたという前提の認識があったのですが、今回読んでみたら桐壺の更衣の生前に弘徽殿の女御が何かをしたという証拠はないのかって。彼女が憎んだのって更衣の没後なんじゃという見解になりました。更衣が死んでしまったがために、弘徽殿の女御の苦しみが始まったのではと考えを変えました。
じゃあなんで弘徽殿の女御がいじめたんだとなったかというと、そう発言した人がものすごい地位ある人だったからと思いました。その人は、后の宮です。
桐壺帝は桐壺の更衣が忘れられず、似通った人はいないかと探していた、そこで似ている人がいるという話を聞いてその女性を後宮に入れたいと考えたんですね。その人がのちに藤壺の宮と呼ばれる人になります。その藤壺の宮の母親にあたる人が后の宮ですね。
そりゃ母親ですから娘を帝のそばにとなるといろいろ考えてしまう。そうしたらなんとこの人が、弘徽殿の女御のせいで桐壺の更衣が亡くなったといったニュアンスのことを発言するんですよ。唐突に。
確かに桐壺の更衣が虐げられていた描写はありました。しかし誰が指示したとか、誰がやったかというところは謎です。でもこの発言だけで勘違いしてしまう。自分は勘違いしました。
よく考えたら女御のような名門のお姫さまがそれをするイメージが自分にはない。彼女は真面目に大臣家の姫として出仕して皇子まで産んだ、そんなことするのか、ずっとそういう道を志してきた人がするのだろうか、と思いました。真面目な長女という感じだなと。実際に長女ですし。それに一の御子や他の子どものことを考えるとないかなと。母親の不祥事は子どもに返ってくるわけですし。
后の宮は当時の後宮について詳しくないのではと思いました。噂で弘徽殿の女御が意地悪な人で桐壺の更衣をいじめたんだ、その心労で更衣は亡くなったんだと聞かされたのかなと。あるいは娘を後宮にやりたくないからこしらえた発言だったかもなんて思います。いずれにしてもこの高貴な人の発言によって、弘徽殿の女御は更衣をいじめたんだというレッテルが貼られたんだなと思いました。噂を流したのは誰なのかなんてことまで考えてしまい、怖い。(見当つくようなつかないような感じで、本当に恐ろしいのは名無しのモブってことかもしれない)
弘徽殿の女御の不運④ 藤壺の宮が出現する
もうトドメって感じなんですが、桐壺帝は桐壺の更衣が忘れられず似た女性を後宮に入れてしまう。それが藤壺の宮ですね。もうそっくりなものだから、更衣の子である二の御子(=源氏)を連れて行って仲良くしてほしいな、なんて思うわけです。気持ちはわかります。これも弘徽殿の女御にとっては大打撃です。後ほどそれは形となってしまうのですが、【桐壺】の話から逸れるでここまでにします。
で、その前です。藤壺の宮が登場するより前に桐壺帝って源氏を弘徽殿の女御のところへも連れて行ったことがあるんですよね。母親のいない子であるからという感じで。自分、恥ずかしながらこのくだりを今回読むまで知らなくて、「おや?」って思いました。
弘徽殿の女御が代表となっていじめていたことが事実ならば、帝はそんなことしないのではと思ったんです。源氏は桐壺の更衣の子です、弘徽殿の女御が嫌がらせをしていると思っていたのなら、その子を側にやるかなと。
帝の目の届かないところで嫌がらせがあったってわけではない。更衣への嫌がらせを知って対策をとるということもあったので、知らないわけじゃない。ということは弘徽殿の女御がそんなことをする女性ではないと帝は思っていたのでは? と思いました。内心は嫌であったとしても危害を加えるってことはなかったんじゃないのかと。あくまで想像です。
弘徽殿の女御が嫌がらせをした説は桐壺の更衣が亡くなった後に起こったことで、そこからのほうがつらいことが多かったんじゃないのかなと思いました。”弘徽殿の女御はきっと桐壺の更衣を恨んでるはずだ”という物語の中での世間の想像が女御をいじめの主犯だ、というレッテル貼りに繋がったというか、実際にいじめていた人たちがうまく隠れ蓑として利用してしまったのかも、なんて思います。
今回いろいろ考えてみたら弘徽殿の女御という女性が好きになりました。平安時代の現実を考えると弘徽殿の女御は帝の妃として勝者だったと思います。
言ってみれば「地位も金も何もかも持っていた強者を打ち破る」そんな主人公側の話を劇的にするエッセンスだったのかなと。だったら面白いなと思いました。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
参考文献
岩波文庫 黄15-10『源氏物語』(一)桐壺ー末摘花 桐壺
弘徽殿の女御のライバル、桐壺の更衣についての記事はこちらです