かる読み『源氏物語』 【空蝉】 軒端荻が登場したワケを考える
どうも、流-ながる-です。2024年大河ドラマ『光る君へ』の発表をきっかけに『源氏物語』をもう一度しっかり読んでみようとチャレンジしています。
今回は【空蝉】を読み、この帖で突如に登場した軒端荻という女性の意義ついて考えてみました。
読んだのは、岩波文庫 黄15-10『源氏物語』一 空蝉になります。【空蝉】だけ読んだ感想と思って頂ければと思います。専門家でもなく古文を読む力もないので、雰囲気読みですね。
空蝉との恋物語の結末
【帚木】では、源氏が伊予の介の後妻である空蝉と"方違え"をきっかけに出会い、空蝉とまたもう一度会いたいとその弟・小君をつてにして会う機会を作ろうと頑張るも、空蝉が全く応じず拒みつづける(というより逃げ続ける)というお話が書かれていました。
中の品、いわゆる中流階級の女性との物語ということで、出会いはあっさりしたものですが、その後については押しても押してもダメという形で、【空蝉】の帖では結果として、"うまくいかなかった"という結末を迎えています。
空蝉は地味な人妻で、かつては宮仕えを希望するぐらいには良い家柄の娘さんだったけれども、親が亡くなったことで挫折して、随分年上の伊予の介の後妻となっていました。自己肯定感がかなり低いと思われ、源氏の押しに対して逃げの姿勢でした。まだ親のいた頃にこういうことがあったならと、思うだけです。
空蝉について、【帚木】の帖を読み、こんな人なのではないかと考えました記事は以下です。
軒端荻の登場
【空蝉】の前の帖である【帚木】ではまったく登場しなかった軒端荻という女性が出てきます。ちょっとこの一家を整理するとこんな感じです。
伊予の介…空蝉の夫(名称だけ登場)
空蝉…伊予の介の後妻
紀伊の守、軒端荻…伊予の介の子、兄妹
小君…空蝉の弟
ちょっと遅れて登場したこの女性が空蝉と綺麗なコントラストになって、空蝉とはどういう人物かというのがより深く掘り下げられているなと思いました。しかもこの女性が決して空蝉を際立たせるというだけではなく、結構リアルです。ほんのわずかの登場ですが、印象に残りました。
軒端荻は空蝉からみたら義理の娘にあたりますが、年齢はかなり近いですね。なので義母と娘というよりは、友人同士、あるいは姉妹のようだという印象をうけました。
源氏は紀伊の守の邸に方違えという名目で訪れた場合、空蝉に逃げられるという失敗をしました。なので【空蝉】の帖では、小君に手引きしてもらってまさしくこっそり忍び込みます。こっそり忍び込んだ場合どうなるか、というのが今回の話ですね。
結論、空蝉は察して逃げてしまい、残念ながら源氏はもう一度会うことができませんでした。それでその前に、源氏が垣間見をするシーンが出てきます。
当時の男性が女性の姿を見るのはなかなかに難しく、堂々と見るのではなくこっそり見ます。それが垣間見ですね。この場面で源氏は、空蝉と軒端荻が碁を打っている様子を観察します。この場面で【帚木】には登場しなかった、軒端荻が出てきます。
綺麗なコントラストを見せる空蝉と軒端荻
このシーンに至る経緯を先に説明されて、自分は空蝉と軒端荻って仲が良いんだなと思いました。軒端荻が空蝉のいるところへやってきて碁を打っているわけですね。この時、軒端荻の兄にあたる紀伊の守は留守にしています。兄がいない間に義母のところへ行って碁を打って楽しんで、そのまま一緒に寝るというのは普段から仲が良くないとしないなと思いました。
小君が紀伊の守の留守を狙って源氏を連れてきたのはいいですが、普段から軒端荻がその留守を狙って空蝉と過ごしていたなら、小君もなかなかに抜けているなと思いますが、そこは子どもの思いつきですし、それが作中でも強調されていて、源氏がうまく空蝉と会えなかったのは橋渡しを子どもである小君にさせていたことが大きそうです。
空蝉と軒端荻はさほど年齢が離れていないのでしょう、軒端荻はとても明るい感じの頭の回転が早い女性らしく見えます。ぱっと目に付く美人さんで愛嬌があり、垣間見という特殊な条件もありますが、源氏もこっちもいいな、と思ってしまうぐらいです。
空蝉は生まれつきのものもあるでしょうが、振る舞いは隙がない感じですね。そうして美人ではない。ものすごくわかります。美人ではないことを自覚している人間らしい振る舞いといいますか、地味に控えめに見苦しくないようにといった印象を受けました。
普段から彼女は、ぱっと見てわかるぐらいに愛嬌のある美人の軒端荻と接していて、空蝉はよりそれを意識しているのではないかと思います。
軒端荻が突如登場したことによって、源氏を拒む空蝉の内面がさらにくっきりとして深みが出たように思えました。軒端荻はこの後、空蝉が源氏から逃げてしまったがために、源氏と契ることになります。
何事も簡単であると得るものが少ない
軒端荻は空蝉のそばに寝ていたために、はじめは空蝉と勘違いされ、源氏が空蝉ではないと気づいたあとは人違いと知られたくないと源氏が誤魔化して、前々からずっと気になっていたというようなことを言って契ることになりますが、そんな源氏の空言をすっかり信じてしまいます。さらに源氏は誰にも言わないでね、と言い含めてしまうのですが、それにも素直に従います。
おそらく普段から周囲に可愛いと言われて育った軒端荻は、気質が素直で源氏が会いにきたことの疑問も葛藤も持たないのだなと思います。言ってみれば"可愛い"と言われてもなんの疑問を持たずに素直に受け入れるといったピュアさがあるように思えます。
そのせいか源氏の心に深く残るということはなく、源氏がその後、文を書くのは結局会うことができなかった空蝉でした。
マイナスな感情も多く持たされたというのに源氏は空蝉が忘れられない。軒端荻は素直である意味都合が良すぎる女性だったのかもしれません。そうして物語に描かれるのは、うまくいかない話であることを感じさせられます。そのほうが何かを得るというか、軒端荻のようにさっくりとうまくいってしまうと逆に何も得られないことなのかもなと思いましたね。
軒端荻に着目して今回は考えてみました。ちょっとの間しか出ない人物でもしっかりと物語の中で意義を持たせてくる。歯ごたえあるなと思いました。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
参考文献
岩波文庫 黄15-10『源氏物語』(一)桐壺ー末摘花
続きはこちら。源氏の事情について考えてみました。
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