川口貴史
播磨エリアを中心に、お気に入りの飲食店をご紹介。
関西近郊の山々を中心に、歩いて旅した遊歩の記録。
その町を初めて訪れたのは、確か21、22歳の頃だった。 「ひとり旅」という言葉に対してどうしようもなく憧れを抱いていたぼくは、とりあえず行き先は西へ、とだけ決め、自宅のある兵庫県を出発し、電車の座席から伝わる心地よい揺れにただ身を任せ、岡山県倉敷市へたどりついたのだった。 倉敷の美観地区 倉敷といえば白壁の町、やはり美観地区が有名で、若かったぼくももちろん歩いた。 が、その時のことはほとんど何も覚えていない。 江戸時代から残る白壁の蔵屋敷や町屋の景観も、当時の
4ヶ月の間、毎日カレーを食べたことがある。 それはぼくが25、26歳のころの話で、かれこれ15年ほど前のことだ。 「スパイスをめぐる冒険へ出よう」とか「スパイスの織り成すブラックホールの深淵はいかに」とか考えていたわけではないのだが、神戸に暮らしていた当時のぼくは、職場近くの神戸・三宮センター街の地下へ、昼休みの度にカレーを求めて旅に出ていたのである。 それにとどまらず、休日さえも美味なるカレーを探しに神戸・三宮エリアをうろつきつつ、自宅ではスパイスを買い込んで
この街はつまらない、なんて考えていたのは、ぼくが10代のころだった。 電車は1時間に1本しかないし、徒歩圏内にコンビニはないし、大型のショッピングモールや流行の店があるわけでもない。 ただただ街の真ん中に大きな川が流れていて、青々とした稲が風にゆられている――。兵庫県小野市とは、ぼくにとってこんな街だった。あれから20年以上がたったが、街の様子は今もたいして変わらず、あいも変わらずのどかなものである。 この街に帰ってきて、2度目の春を迎えた。 今、おの桜づつ
静かな雨の中、加古川市の日岡山公園を散策した帰り道のことだった。 時刻は午前11時をまわり、そろそろお腹のご機嫌をうかがう時間である。 加古川市といえば「かつ飯」だ。ぼくと妻は、もちろんこの加古川を代表するソールフードを食べるつもりでいて、いくつかのお店をピックアップ済みである。ふたりのお腹に尋ねてみても、もうかつ飯を受け入れる準備が整っているようだった。 日岡山公園からJR日岡駅へ、そしてJR加古川駅を目指して歩き始めた。と、ぼくたちの目にとても気になる看板が
野山を歩いていると色々な香りに出合う。 土や、空気に含まれる湿り気の香り。 獣が残した野生の匂い。 そして木々や野草が発する緑の香り。中でもヨモギの放つ爽やかな香りは、あの草餅をほおばる瞬間の、食欲をそそる清々しい香りとして、多くの人の心に記憶されていることだろう。 そんなヨモギを手軽に利用する方法が、薬草茶である。作り方はとても簡単。 ヨモギの若葉を適量刻む。 刻んだヨモギを急須に入れ、湯を注いで数分待って出来上がり。 薬草茶の淹れ方は様々ある
*2022年の投稿を編集し、再掲したものです。 夕日の沈む先 港町はゆっくりと、夕暮れの光に包まれてゆく。 いつも山ばかり歩いているぼくにとって、海面に降り注ぐ温かな光と、港に漂う潮の香りはとても新鮮だった。波の音色にまじる、時々行き交う車やバイクのエンジン音、それに船の汽笛の他には、何もない。静かなものだ。 八尾川沿いの、汐待ち通りにそって漁船がいくつも並んでいる。漁船の甲板には屋台の骨組みのようなフレームがあり、そこに大きな裸の電球がいくつか備えられている。湾内
スマートフォンのカメラ性能は毎年のように進化する。もはや写真は「スマホのカメラで十分」という人も多いことだろう。 一方で、その手軽さからどんどん撮影を重ねた結果、どこで、何を撮った写真だか分からなくなることはないだろうか。もしかしたら撮影したらそれっきり、二度と開かない写真もあるかもしれない。 写真と同じく、山や旅の記録方法も随分と様変わりした。例えば登山なら、山地図アプリでログをとり、写真を添えてSNSに共有するのが、今どきの登山記録の在り方なのかもしれない。
橋桁から、カマキリが川に落ちた。 とたんに川魚が我先にとカマキリに群がってきた。獲物を、待ち構えていたのだ。 カマキリはもがいて逃れようとするが、抵抗むなしくやがて川底へと飲み込まれてしまった。ここでは、自然界の当たり前の営みが繰り返されていた。 * ある年の夏、青春18きっぷを利用して、石川県加賀市・山中温泉を訪れた。温泉郷のすぐそばには、情緒ある街並みと、心を洗う自然がある。温泉街に沿うように流れる大聖寺川の渓谷は「鶴仙渓」と呼ばれ、それはそれは心の休まる
冬の空気に注がれる、日の光が暖かだった。 自転車を鴨池公園駐車場にとめ、男池、女池をぐるりとまわる。獣よけのゲートをくぐり紅山と惣山の谷間をゆくと、その先が登山口だ。休日ながら人の気配は感じない。木々の隙間から光が差し、森が爽やかに照らされていた。 アルプスと名付けられてこそいるが、兵庫県小野市に連なる小野アルプスは、日本一低いアルプスとして知られている。最高峰の惣山、通称”小野富士”でさえ、標高はわずか198.9mだ。白雲谷温泉ゆぴかから福甸峠までの約8kmの間に
ひんやりとした、秋の爽涼な空気を感じながら、栂ノ尾バス停を出発した。 雨上がりのトレイル。 ぬかるんだ地面にできた水たまりに、1枚の色づいた紅葉が浮かんでいる。昨夜の雨の影響だろうか。清滝川を流れる水が、青白くにごっていた。 栂尾・槙尾・高雄は三尾と呼ばれる、京都を代表する紅葉の名所である。高雄から清滝川沿いに広がる錦雲渓は、清流に映える紅葉が美しい。今日は錦雲渓を伝う京都一周トレイルを、栂ノ尾から嵐山までつなぐ。 水をたっぷりと吸ったコケの緑が目に鮮やかで
旅のお供に文庫本を1冊選ぶとするならば——。 この難問に応えうる愛読書をいくつかピックアップしてみると、『旅をする木』/星野道夫、『つむじ風食堂の夜』/吉田篤弘、『思考の整理学』/外山滋比古、『風の歌を聴け』/村上春樹などが思い浮かぶ。いずれも一度だけでは飽き足らず、何度も読み返しているぼくの一軍リストである。 ここにもう一冊加えたいのが、ぼくの読書の原点『緋色の研究』/コナン・ドイル——顧問探偵シャーロック・ホームズとその友人ワトスン博士が主人公の、シャーロック・
永平寺の龍門をくぐると、甘茶の香りが漂ってくるかのようだった。 バス停から門前町を抜け、四方を山に囲まれた深山幽谷の地へ向かう。永平寺川が清らかに流れる、巨杉が育つ社寺林の中に、曹洞宗大本山永平寺が静かにたたずむ。 深い山の中でなぜ甘茶を感じたのか。 それには、こんな理由があるからだ。 ぼくが通った保育所は曹洞宗のお寺「慶徳寺」に併設されたものだった。曹洞宗のお寺、いわゆる禅寺である。1928(昭和3)年、農繁期に託児所を、慶徳寺の僧堂に開所したのが始まりだ
大阪から西へと向かう、列車の窓から眺める空には、うろこ雲が広がっていた。秋を感じる青く澄んだ空と海に、明石海峡大橋がよく映える。ぼくは手にしていた文庫本から目を奪われ、そんな景色をぼんやりと眺めていた。後ろの座席からスマートフォンのシャッター音が聞こえてくる。ええ、分かります、その気持ち。 ぼくにとって、加古川から姫路、そして岡山への道中は通い慣れたものである。 転校前、初めて通った高校は、播磨科学公園都市「テクノ」にあった。姫路から相生へ、そこからバスに乗り替え学
あべのハルカスから見下ろすミナミの街は新鮮だった。 登山が趣味であるぼくにとって、山上からの山や海の景色は見慣れたものだ。標高1000mを超える山々からの眺めは、それはそれは素晴らしいものである。 しかし、あべのハルカス16階の庭園から眺める街の姿も、悪くないなと思うのだった。 ビルの屋外に設けられた庭園は、木々や植え込みに囲まれた緑の空間である。ベンチがいくつも備えられ、家族連れやカップルが思い思いにくつろいでいる。屋外だからもちろん天井はない。地上よりいくら