姫路、岡山、フィルムカメラ散策記
大阪から西へと向かう、列車の窓から眺める空には、うろこ雲が広がっていた。秋を感じる青く澄んだ空と海に、明石海峡大橋がよく映える。ぼくは手にしていた文庫本から目を奪われ、そんな景色をぼんやりと眺めていた。後ろの座席からスマートフォンのシャッター音が聞こえてくる。ええ、分かります、その気持ち。
ぼくにとって、加古川から姫路、そして岡山への道中は通い慣れたものである。
転校前、初めて通った高校は、播磨科学公園都市「テクノ」にあった。姫路から相生へ、そこからバスに乗り替え学校へ向かう。
社会人になって初めての旅は、岡山は倉敷、美観地区だった。目的地も宿も決めず、とりあえず西に向かおうと列車に乗った。乗車券の確認にまわってきた車掌さんに「行き先はわかりません」と答えて困らせたのだった。そして妻の地元である岡山には、盆や正月にふたりで帰省する。
大阪から岡山まで新幹線なら1時間もかからないのだけれど、急ぎの用がなければバスや鈍行列車を利用している。今も青春18きっぷを使って岡山へ向かう最中だ。
鈍行列車だと、大阪〜岡山の所要時間はおおよそ3時間。すると食事時を挟むことも珍しくない。そこで昼食はどうしようかと車内で思いを巡らせる。青春18きっぷは乗り降り自由だから、加古川で下車してかつめしを食べる……これも鉄板だ。
それともうひとつ、姫路駅の「えきそば」これもぼくの期待を裏切らない。姫路駅で乗り換えのために下車したぼくは「えきそば・在来線下り店」の暖簾をくぐった。
それは10人も入ればぎゅうぎゅう詰めになりそうな小さな店で、厨房ではふたりのお母さんが、忙しそうに天ぷらを揚げたりそばをゆでたりしていた。カウンターに設置された、飛沫防止のアクリル板が時勢を反映している。ただようダシの香りがたまらない。きつねそばといなり寿司の食券を差し出すと、30秒もかからずに提供された。
まねき食品株式会社のえきそばは、いわゆる立ち食いそばであるのだが、立ち食いそばと聞いて、みなが想像するものとは少し違う。
かんすいを入れた黄色いラーメン+和風だし、この一見ミスマッチのような組み合わせこそ、まねき食品のえきそばなのである。
戦後まもない頃、大掛かりな設備が必要のない麺類を姫路駅で販売しようと、当時のまねき食品は考えた。その頃、小麦粉は統制品で入手しづらく、こんにゃく粉とそば粉でうどんのようなものを作ったという。その後、味や腐敗のしづらさなど試行錯誤の上、誕生したのが現在のえきそばというわけだ。1949(昭和24)年、10月のことである。
中華麺に和風ダシという一風変わった組み合わせがくせになる。
初めて食べたのは高校生の頃だから、それから何杯のえきそばを食してきただろうか。加古川駅にもえきそばの店舗があって、加古川にゆかりのあるぼくはずいぶんとお世話になったものだ。
出来上がったえきそばを3分ほどで完食し、姫路駅発相生行きの普通列車に乗り込んだ。
都会を離れ、列車はのどかな田園風景の中を走ってゆく。
相生駅で三原行きに乗り換える。そこで初老の、四国遍路の旅人に出会った。
日に焼けた引き締まった顔に、コンパクトにまとめられた手荷物、片手に金剛杖を携えた、みるからに旅慣れた人だ。
「お寺とお寺が数十kmは離れた場所があってね。寝ないで、一晩中歩くこともあったよ」
聞けば四国遍路は4周目だという。ちなみにお遍路1周は約1200kmである。彼は宿を利用しながら全ての工程を歩きで踏破するのである。
「旅は歩きに限る。歩き旅が一番ぜいたくだよ」
数ある旅の手段の中で、歩きがもっとも時間がかかる。それだけ旅費、特に宿賃がかさむことになる。野宿・自炊の旅もあるだろうが、山ならともかく、このご時世、やはりそれは現実的とは言えないだろう。だから彼は、時間とお金がかかる歩き旅がもっともぜいたくだと説くのである。
「それでは気をつけて。良い旅を」
お互いにあいさつを交わし、彼は岡山から四国へ、ぼくはさらに西へと進んだ。
えきそば・在来線下り店
住所:JR姫路駅 山陽本線 下りホーム
営業時間:6:00〜24:00
撮影データ
ボディ:ニコンF
レンズ:オートニッコール 50mm f1.4
フィルム:フジカラー SUPERIA PREMIUM 400 36枚撮り
現像:カメラのみなみや