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永平寺

 永平寺の龍門をくぐると、甘茶の香りが漂ってくるかのようだった。

 バス停から門前町を抜け、四方を山に囲まれた深山幽谷の地へ向かう。永平寺川が清らかに流れる、巨杉が育つ社寺林の中に、曹洞宗大本山永平寺が静かにたたずむ。

 深い山の中でなぜ甘茶を感じたのか。

 それには、こんな理由があるからだ。

 ぼくが通った保育所は曹洞宗のお寺「慶徳寺」に併設されたものだった。曹洞宗のお寺、いわゆる禅寺である。1928(昭和3)年、農繁期に託児所を、慶徳寺の僧堂に開所したのが始まりだ。

 禅寺の保育所であるから、行事に座禅があった。当時ぼくはまだ4歳だったが、今でも鮮明に覚えているのが4月8日、お釈迦様の誕生日をお祝いする「花まつり」のことである。

 花まつりの当日、園長兼、慶徳寺のご住職に連れられて、慶徳寺の僧堂に入る。いつもは絵本に出てくるクマさんのように優しかった園長も、このときばかりは真剣な顔である。座禅の時間は、幼児がじっとしていられる程度の間だがら、10分もなかったことだろう。それでも4歳のぼくにとっては長く退屈な時間で、いつ警策きょうさくに打たれるのかとおびえる時間でもあった。

 にもかかわらず、ぼくは花まつりがとても楽しみだったのだ。

 それは座禅の後で、甘くて美味しい、甘茶をいただけるから。

 甘茶は、お釈迦様がお生まれになったとき、甘露の雨が降り注いだことにちなんでのことだ。この印象深い思い出が、大人になった今でも忘れられず、禅寺を訪れると甘茶の香りがほのかに脳裏によみがえるのであった。

永平寺川。

 通用門から吉祥閣きちじょうかくへと移り、座禅体験の受付を済ませる。吉祥閣は外観こそお寺然としているが、中は近代的でありまるで学校の校舎のような空間だった。

 しばらくすると、座禅体験を案内してくださる若い僧侶から、数名の参加者に声がかかった。

「私に付いてきてください」そう静かに述べると、吉祥閣の階段を上り始めた。

 永平寺は1244(寛元2)年、鎌倉時代に道元どうげん禅師によって開かれた。戦乱やききんが相次いだ、激動の時代のことである。

 仏教とひと口に言ってもさまざまな宗派、考え方があるが、曹洞宗を含む禅の教えは、自力でさとりを開くことを重視する。道元禅師の教えは「只管打坐しかんたざ」、ただひたすら座禅を行うことで、さとりに至るというものだ。

 その座禅とは、座ることだけではない。

 作務(仕事・掃除など)や食事、入浴、はてはお手洗いでの作法に至るまで、日常生活そのものを座禅とする。それらの一挙手一投足に厳しい作法が定められており、道元禅師が永平寺を開いて以降、その厳格さは現在にまで受け継がれているのだ。

 ——たとえ体験座禅であっても、下手なことをすると、つまみ出されるのではないか。

 ビクビクしながら僧侶の後をついてゆく。

 これから僧堂(厳密には僧堂を再現した、体験用の場所)で座禅をする。

 その前に僧侶から作法の説明があった。

「永平寺の伽藍がらんの中でも僧堂、東司とうす(お手洗い)、浴室は三黙さんもく道場といわれます。私語は厳に慎んでください」

 僧侶は案内のために言葉を発するが、ぼくたちはそれについて返事はしない。黙って僧侶の動きの真似をする。

 持ち物を所定の場所に置き、時計を外して靴下を脱ぐ。

 合掌、叉手しゃしゅ(両手を胸の前で重ね合わせる、合掌に次ぐ礼法)、僧堂への入り方、僧堂のご本尊への合掌低頭などをひととおり習い、ここで初めて入堂する。

 挨拶を済ませ、続いてたん(修行僧が座禅や食事、寝起きをする、一畳のスペース)への上がり方、下り方、そして足の組み方、手の組み方、座禅中の姿勢や目線、呼吸の仕方などなど、事細かな作法を習い、ようやく壁に向いて座る。

 ここで鐘が3回鳴る。座禅開始の合図だ。

 禅堂の扉が閉められ、照明が落ちる。

 ただ、呼吸に集中する。

 ——すると気がついたときには鐘が1回鳴り、これが座禅終了の合図である。


 時計を外していたから、どのぐらいの時間座っていたかは分からない。

 あれ、もう終わったのか、というのが素直な感想だ。

 作法に従い僧堂を後にし、吉祥閣のロビーで解散となった。

 ここで案内役の僧侶に「ありがとうございました」とお伝えしたかったのだが、僧堂での私語厳禁が頭に残っていたのだろう、参加者は誰も言葉を発することなく、その代わりに合掌して、感謝の気持ちをお伝えした。

 永平寺の修行は日本一厳しいと聞く。

 既に述べたように、日常の全てが座禅であり、ありとあらゆる動きに作法がある。

 生活そのものが修行であるから、365日、休みはない。

 その修行が数年にわたって続くのだ。

 人としての倫理観の指標、より良く生きるための心のよりどころとして、仏教には大いに感心があるが、永平寺での修行はぼくのような生半可な気持ちでは入門すら許されないであろう。

 ——修行僧に心安まる時間はあるのだろうか。

 などと凡夫のぼくは余計な心配をしてしまうのだが、永平寺で出合った僧侶たちは、みな肌がつやつやしていて、集中し、ただなすべきことをなす、といった様子だった。負の感情を感じず、何というか、不思議とすっきりとしたオーラをまとっているのであった。

 永平寺での体験は、人によっては人生を変え得るほどの素晴らしいものだった。

 ここに導いてくれたのは、やはり幼少期の花まつりの思い出だろう。幼い頃から仏教に触れられて、その記憶が今も強く残っているということは、とても恵まれた環境の中でぼくは育ったのである。

 そのことを思い出させてくれのたのが、福井県、永平寺への旅だった。

唐門。この先に山門があり、一般の参拝客は立ち入りできない。


永平寺

  • 福井県吉田郡永平寺町志比5-15

  • 電話 0776-63-3102(FAX 63-3115)

  • 時間 8時30分~16時30分(季節により変更あり)※年中無休

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川口貴史
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