渡辺 貴裕|教育方法学者

東京学芸大学教職大学院准教授。「学びの空間研究会」主宰。研究テーマは、演劇的手法を用いた学習、実践の省察のための対話など。著書『なってみる学び』(藤原由香里と共著、時事通信出版局)、『授業づくりの考え方』(くろしお出版)ほか。

渡辺 貴裕|教育方法学者

東京学芸大学教職大学院准教授。「学びの空間研究会」主宰。研究テーマは、演劇的手法を用いた学習、実践の省察のための対話など。著書『なってみる学び』(藤原由香里と共著、時事通信出版局)、『授業づくりの考え方』(くろしお出版)ほか。

マガジン

  • 教職大学院での研究指導

    教職大学院で行っている研究指導の様子を紹介しながら、実践研究のあり方・進め方などの話を書きます。

  • 本のレビューやそこから考えたこと。好意的に取りあげたものも批判的に取りあげたものも。

最近の記事

集団のなかで研究の見方を身につけていく

教職大学院・総合教育実践プログラムでの課題研究中間報告会。今年度提出予定者が、今週と来週に分けて、途中経過を発表&質疑応答していく。 別のグループ(=普段演習で一緒じゃない)の院生の発表。 私からも質問したのだが、あとで院棟のティータイムでその院生に会ったときに(「聞きに来てくださってありがとうございました」のうえで)、 と言われる。 むむっ、読まれていたか。 もっとも、院生が、自分の研究をさまざまな視点から検討できるようになっていく、研究の見方を身につけていく、という

    • 実習における学生の「驚き」へのかかわり 〜看護教育分野での論文より

      私は日本教師教育学会で、「実践研究」をテーマとする課題研究Ⅰのまとめ役を務めている。この第12期(2023年秋から3年間)より立ち上がった部会だ。 教師教育分野での実践研究の特質や論点を考えるために、部会メンバーと協力しながら、他の教育系学会での実践研究をめぐる議論を参照したり、医学教育や看護教育など他領域の専門職教育を扱う学会での議論に目を配ったりしている。 そのなかで、面白い論文を見つけた。 佐藤 智子、谷津 裕子(2024)「初めて看護過程を展開する実習における学生

      • 学習指導要領を相対化する = 学習指導要領に従わなくてよい ??

        現職院生には、「学習指導要領を相対化する」ということと「学習指導要領に従わなくてよい」ということとの区別がつくようになってほしい。 先日、どこかの教職大学院に通う現職院生の方の文章をネットで読んだのだが、それは、大学教員から学習指導要領を「相対化して批判的に論じる必要がある」と言われることへの疑問を投げかけるものだった。「現場に戻ると優先されるのは、学習指導要領に沿っていくことなんですよ」と。 うーん、それはそれで分かるけれども、「相対化して批判的に論じる」ことと、「学習

        • 実践研究における、概念のつまみ食いと消費を避けるために

          例えば、SNSの「フォロワー」や「バズる」などの用語について説明するときに、「追従者」「賑やかになる」などと一般的な意味に置き換えても的外れだし、「誰かの発信を追うよう登録した人のこと」「支持や拡散の反応が得られて発言が爆発的に広まること」のように多少詳しくしたところで、SNSそのものの理解が伴っていない場合には、やはり意味をなさないだろう。 つまり、「フォロワー」や「バズる」について述べたいならば、SNSがどんな仕組みをもつものなのか押さえる必要があるし、また、SNSがそれ

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        • 教職大学院での研究指導
          14本
        • 34本

        記事

          新機軸の国語教科書掲載の物語文『ぼくのブック・ウーマン』(ヘザー・ヘンソン作)

          今年度から使用開始になった光村図書の小6国語教科書に掲載された新教材「ぼくのブック・ウーマン」(ヘザー・ヘンソン作、藤原宏之訳、デイビッド・スモール絵)。 よい作品だ。 1930年代に実在した、馬に乗って遠隔地をまわり本を届ける図書館員(Pack Horse Librarians:荷馬図書館員)を題材にした物語。その図書館員は主に女性だったそうで、ケンタッキー州・アパラチア山脈のあたりでは、Book Womanと呼ばれていたとか。今でいう移動図書館の元祖みたいなものだ。 山

          新機軸の国語教科書掲載の物語文『ぼくのブック・ウーマン』(ヘザー・ヘンソン作)

          教材文を劣化させていることに無自覚な道徳教育の業の深さ 〜小5「クマのあたりまえ」

          原作の趣旨からかけ離れた改変を行っている道徳教材について、先日書いた。 道徳教材の恐ろしいところは、こうした「えっ、こんな改変ありなの!?」と言いたくなるようなものが、決して特殊な事例ではなく、ザクザク見つかることだ。 今回は、小5道徳教科書(東京書籍)に掲載された「クマのあたりまえ」を取りあげる。 教材を通して目指したいとされる「内容項目」は、「生命の尊重」。 あらすじは次のとおり。 「クマのあたりまえ」、教科書に掲載された本文はこう始まる。 私は最初にこれを読んだ

          教材文を劣化させていることに無自覚な道徳教育の業の深さ 〜小5「クマのあたりまえ」

          教科書教材を批判するということ

          先日の道徳教材批判はそこそこ反響を呼んだようだ。私は今までも道徳科に限らずいろいろな教科書教材の批判を行ってきたし、note記事にしなきゃと思いつつまだできていないのもある(小学校国語科の「くちばし」&「つぼみ」の手引きの問題など)。 それで、ふと思ったのだけれど、こうした教材批判って、最近は教育界でずいぶん減っている気がする。20年、30年前には、宇佐美寛の国語科や道徳の教材批判、武田忠の説明文批判など、いっぱいあったし、それをめぐる論争だって行われていた(宇佐美&望月の

          教科書教材を批判するということ

          道徳教材「蹴り続けたボール」批判、その後

          先日書いた、道徳教材「蹴り続けたボール」を批判的に考察するこの記事。 私がこの教材を知るきっかけとなった院生に、「note記事に書いたよー」と知らせたら、それへのレスポンスが返ってきた。 気になっていたアンガーマネジメントとのつながらなさの背景にこうした改変があったのかと、腑に落ちてくれた様子。 それで、興味深いのは、そこから先。 彼女にとっての一連の経緯を簡単にまとめると、こんな感じだろう。 私は、こういうのがまさに、「省察的実践」であり「省察的対話」であると考えて

          道徳教材「蹴り続けたボール」批判、その後

          「道徳」の名のもとに行われる非道徳 〜中2道徳教材「蹴り続けたボール」への疑問〜

          道徳教材談義をしているときに、ある院生が、「実習校で扱ったやつで、納得いかないのがあったんですけど…」と紹介してくれた。 中2道徳教科書(学研)に掲載の、「蹴り続けたボール」。 サッカー、ワールドカップ日本代表としても長く活躍した長谷部誠選手が、プロになりたての頃を振り返って書いた文章だ。 教材文は、こんなあらすじ。 院生が引っかかったのは、本文そのものではなく、これが、「アンガーマネジメント」とセットになっている点。 「蹴り続けたボール」の続きで、「怒りの温度計」とい

          「道徳」の名のもとに行われる非道徳 〜中2道徳教材「蹴り続けたボール」への疑問〜

          自然の家でのシーツ畳みの本当のハードルは

          吃音親子サマーキャンプのことを書いたついでに、恒例ともいえる自然の家でのシーツ畳みのことを書いておこう。 参加者が寝泊まりする部屋は二段ベッドになっており、各自シーツを2枚受け取って、それを敷いて寝る。最終日には、それを畳んで、部屋ごとにまとめて返すことになっている(シーツの数が合わない騒動も時々起こる)。 シーツには推奨の畳み方がある。短辺の両辺を2人で持って、まずは2回谷折りにし、その後、長辺を3回畳むというもの。 私が24年前に初参加したときからこの畳み方は変わって

          自然の家でのシーツ畳みの本当のハードルは

          「これはどもっている人の特権だと私は思う」 ~第33回吃音親子サマーキャンプに参加して

          8月16日(金)から18日(日)の3日間、彦根市の荒神山自然の家で開かれた吃音親子サマーキャンプに参加してきた。 「吃音と上手につきあう」ことを掲げる日本吃音臨床研究会(代表:伊藤伸二)による、今年で第33回となる催しだ。 参加者は、どもる子どもと親を中心に、さらに、どもる大人、ことばの教室の教師、言語聴覚士、どもる子どものきょうだいなども加わる。計90名近く。 誰かが何かを「してあげる」場ではなく、一緒に、どもることについて話し合い、作文を書き、劇の練習をして上演し…の3

          「これはどもっている人の特権だと私は思う」 ~第33回吃音親子サマーキャンプに参加して

          「研究になる/ならない」ってどういうこと?

          「研究」の感覚の話、続き。 ※前回↓ 教職大学院で研究者教員がよく使う表現として、「研究になる/ならない」というのがある。 みたいな使い方。 おそらく、「研究になる/ならない」がどういうことなのかわかることが、教職大学院で実践研究に取り組もうとする院生にとって、一つの関門になるのだと思う。 例えば、ある現職院生が、研究テーマとして、 と述べたとする。 これは、このままでは研究にならない。 前回述べたとおり、これは、実践上の願いと研究上の問題設定が渾然一体になってし

          「研究になる/ならない」ってどういうこと?

          「その研究で何に挑もうとしていますか?」

          実践研究に取り組む院生が「研究」の感覚をつかんでいるかは、 「その研究で何に挑もうとしていますか?」 という質問にどう答えるかで、だいたい分かる気がする。 みたいな答えが返ってきたら、研究の感覚がつかめていない。 実践上の「◯◯したい!」という願いが、そのまま研究上の問題設定と一体化してしまっている。 一方、研究の感覚をつかんでくると、次のような言い方になる。 これらは、もちろん、細かくて具体的というのもあるが、それ以上に大事なのは、ここで「挑む」対象になっているのは、

          「その研究で何に挑もうとしていますか?」

          「質的研究!? ちゃんと教則本買って手法マスターしなきゃ」という人へ 〜楠見友輔『アンラーニング質的研究』〜

          現在は信州大学講師、「ニューマテリアリズム」の視点からの教育研究など、刺激的な論考を多数出されてきた若手研究者・楠見友輔さんの著作。 楠見友輔『アンラーニング質的研究 表象の危機と生成変化』新曜社、2024年 面白かったし、いやあ、すごい。 この内容をこの平易さで書くとは。しかも、これだけ膨大な文献(かなりは洋文献)を押さえながら。 本書、2章で伝統的な質的研究について説明される。「フィールドワーク」やら「データ収集」やら。 そして8章で、そこから逸脱していく動きとして

          「質的研究!? ちゃんと教則本買って手法マスターしなきゃ」という人へ 〜楠見友輔『アンラーニング質的研究』〜

          「能力」がないとやっていけない世の中でいいの!? 〜勅使川原真衣『働くということ』

          あー面白かった! 勅使川原真衣『働くということ 「能力主義」を超えて』集英社新書、2024年 前著『「能力」の生きづらさをほぐす』に続く、勅使川原真衣氏の著作第二弾。 能力主義の幻想に挑むのは前作と同様だが、今回は特に、「選抜」、つまり「選び・選ばれること」に焦点を合わせている。 本書のスタンスを最も端的に表しているのは、もしかすると、 の一文じゃないかな。 これは私自身も賛同するスタンスであり、また、昨年度教育方法学会のシンポジウムで佐藤由佳さんと共に行った「教えるー

          「能力」がないとやっていけない世の中でいいの!? 〜勅使川原真衣『働くということ』

          「授業を見て学ぶ」とはどういうことか

          「授業を見て学ぶ」ということのイメージが、多くの現職院生と私とでは異なるのかも、ということにふと思い至る。 多くの現職院生の場合、模範的な授業から自分が見習うべき点を見つける、というイメージ。 私の場合、授業について考えるための手がかりを得る、というイメージ。 模範的な授業から見習うべき点を見つけるイメージの場合、模範的な授業に出会うことなんてそうそうないので(そもそも「模範的な授業」とはなんぞや、という問題はさておき)、たいてい、「ここがダメ」「これができてない」が意識に

          「授業を見て学ぶ」とはどういうことか