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「能力」がないとやっていけない世の中でいいの!? 〜勅使川原真衣『働くということ』

あー面白かった!

勅使川原真衣『働くということ 「能力主義」を超えて』集英社新書、2024年

前著『「能力」の生きづらさをほぐす』に続く、勅使川原真衣氏の著作第二弾。
能力主義の幻想に挑むのは前作と同様だが、今回は特に、「選抜」、つまり「選び・選ばれること」に焦点を合わせている。
本書のスタンスを最も端的に表しているのは、もしかすると、

縁あって出会った人をどう活かし合うか?

p.77

の一文じゃないかな。
これは私自身も賛同するスタンスであり、また、昨年度教育方法学会のシンポジウムで佐藤由佳さんと共に行った「教えるー教えられるの関係性を超えて」の校内研修の提案にも現れているように、学校とのかかわりにおいてそうあろうと努めてきたスタンスでもある。

本書の中身、

「持ち味」同士が周りの人の味わいや、要求されている仕事内容とうまく噛み合ったときが「活躍」であり、「優秀」と称される状態なのではないでしょうか。

p.103

と「能力」概念を解体し、

「自分たち各々が持ち味を持ち寄って、すでにこんなふうにあんなふうに、どうにかやってきたよね」ということを吐き出してもらい、耳を傾け、承認し合う=行為を理解し合う、ということ

p.133

の大切さを説くあたり、これまでに哲学者や人類学者らが述べてきた内容と重なる。
が、本書はそれを、ビジネスの世界、しかも「人材開発」という、「能力主義」のご本尊的領域に根ざしながら、そしてそこにきちんと滲み入るかたちで述べているのがすごい。

だから、具体例がとてもリアル。
営業企画部次期部長「シンさん」からの

「『優秀な人』を即刻採用できる秘策はないですかね?」

という相談(p.90)、
進路指導部の先生による

「推されるためには、どうすべきか? くれぐれも考えて行動するように。内申書とは『推し活』だと思ってください」

という訓話(p.17)、
あるいは、「エース社員」の「エリコさん」による、

「自分自身が社内の上司や同僚のことを「お手並み拝見」モードで見てきましたからね。(中略)すると何が起きるかと言うと、私が見ているのと同じように、相手も私のことを「倒すべきライバル」としか見ないんですよね」

という談話(p.190)などだ。

また、勅使川原氏によるさまざまな現場へのかかわり方が垣間見えるのも面白い。
一件落着したかと思われる場面で「シンさん」からふと漏らされた「「弱音」からは何も生まれないといった話」から、勅使川原氏が

ここからどう学びを抽出しましょうか。

p.129

に転じるあたり、特に好きだ(この、起きた出来事から何につけ学びを引き出そうとしてしまうあたり、親近感を覚える)。

本書から考えさせられたことはいろいろある。

一つは、学校教育の場合の「能力主義」解体の難しさ
ビジネスの場合、「互いの持ち味を活かしてなんとかやっていくやり方のほうがうまくいくな」となると、それでスッと納得してもらえるという、ある種の分かりやすさがあるように思う。
一方、学校教育の場合、例えば、以前ある現職院生に、勅使川原氏の前著やガーゲン&ギルの『何のためのテスト?』に描かれているような、個体能力観とは異なる評価の発想を紹介したことがあったのだが、長年特別支援教育にたずさわってきたその現職院生には、「でもやっぱり子どもたちには学力をつけてあげないと…」とピンとこない様子だった。
子どもたちの行く末を案じるからこそ、つまり、ある種の善意と結びつくからこそ、より「能力主義」が強固に作用してしまうという難しさ。いや、先生たちが子どもに「◯◯ができるようになってほしい」と願うこと自体は別に悪いことではない(私だって院生らに「論理的な文章の読み書きができるようになってほしい」とかいろいろ願っている)。どうすれば、それが、息苦しいもの、圧迫感のあるものにならずにすませられるのか。

もう一つは、ついこの前も書いた気がするが、教育評価論が抱える課題
教育評価は、学習者個人の値踏みではなく、教師の指導の改善のための評価という発想をもっており、その意義は私も十分に認識している。が、それが、「目標に準拠した評価」であれ「ルーブリック」であれ「パフォーマンス課題」であれ、具体的な形をとり、それが学校の制度のなかに位置づいて用いられるようになると、どうしても選抜の問題と切り離すことができなくなる。端的には、中学校の先生方が成績づけをするときに、高校入試のことを意識せざるを得ない、といったことだ。けれども、教育評価論は、選抜のための評価と一線を画そうとするあまり、逆に、学校(特に中高)では実際には先生方はこうした力学のなかで「評価」を行っている(そして、しばしば、理念的には素晴らしいはずの評価方法が変質してしまう)という事実を見過ごしてきてしまったのではないか。
本書が、「選び・選ばれること」の現状を見据えたうえでそこからの脱却を図ろうとしているのを見ながら、そんなことを考えた。

一つ、機会があれば勅使川原氏と議論してみたいのは、変革に向けての道筋にかかわるあたり。
氏は、変革の起点として、

まず声の大きい企業、経済界やアカデミズムで著名な方々が、「個人の能力で仕事をしている/社会を形づくっているのではない」と明言してほしい

p.145

体制側、つまり社会経済の基盤に関する決定権を持つ人たちにご理解いただき、「人間観」を見直す形で、経済界からまず号令が出されることを祈るばかり

pp.149-150

というように、いわば「トップ」の側のアクションを期待している。
その重要性は私も理解するし、私も同じく期待するのだが、一方でどうしても、「それでほんとに変わるかなあ」と懐疑的になる部分もある。
例えば学校教育の場合でいうと、仮に文部科学省や教育委員会が「能力を個体に内在するものと見るのをやめていきましょう」と呼びかけたとしても、おそらく、私たち自身、教師自身に染み付いているふるまいが強固すぎて、そう簡単には変わらないだろうなあ、と思ってしまうのだ。もっとも、こんな呼びかけがもしなされたとしたら、すごいことですけどね。

さて、本書は昨日(6月17日)が発売日。
乗り換え駅での書店でゲットしたのだが、新書棚に、『働くということ』が『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆・著)と一緒に並んでいるのがなんだか面白くて、(店員さんに一言断って)写真を撮らせてもらった。

本書もまた多くの人に読まれますように!


追記(2024.10.30)

上記レビュー記事がきっかけとなって、勅使川原さんとの対談を行いました。金子書房のnoteで公開中です。


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