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教科書教材を批判するということ

先日の道徳教材批判はそこそこ反響を呼んだようだ。私は今までも道徳科に限らずいろいろな教科書教材の批判を行ってきたし、note記事にしなきゃと思いつつまだできていないのもある(小学校国語科の「くちばし」&「つぼみ」の手引きの問題など)。

それで、ふと思ったのだけれど、こうした教材批判って、最近は教育界でずいぶん減っている気がする。20年、30年前には、宇佐美寛の国語科や道徳の教材批判、武田忠の説明文批判など、いっぱいあったし、それをめぐる論争だって行われていた(宇佐美&望月の「夕焼け」論争とか)。

もしかすると、

教科書に載っている以上、それを使って授業をしなければならないんだから、批判は無意味だ。現場の教師を混乱させるだけだ。

みたいな意見があるのかもしれない。実際にそれに近いことを言われたこともある。

が、私から見ればこの意見は二重の意味で間違っている。

1つは、たしかに教科書使用義務(学校教育法第34条)はあれど、別に教科書をべったり使ってその手引きや指導書の通りに授業しなければならない、なんて決まりはないから。現行制度上、学習指導要領に準拠していれば、教科書以外の教材に差し替えることがあったっていい。そうした教師の裁量は認められている。

もう1つは、仮に批判対象となったその教材を使って授業するとしても、そうした批判、つまり、その教材の問題点やツッコミどころは知っておいたほうがよいから。子どもが疑問を持ったときに、教師がその教材を疑いもせず使用しているのと、「まあ問題点もあるけれど、諸般の事情により(あるいは、その教材にもいいところがあるから)使おう」と思って使用しているのとでは、対応が異なる。

だいたい、私が教材批判をするのは、別に、その教材がこの世に存在するのは悪だ、根絶すべきだ、と思って行うわけではない。完璧な教材なんて現実的には存在し得ない以上、どの教材にも何かしらツッコミどころはある。そうしたツッコミどころを知っておくことで、仮に教師がその教材を用いる場合でも、授業における扱い方が違ってくるはずだ。

もちろん、なかには、私の立場からは「なんでこんな教材がこれまで使い続けられてきているの?」「なんでこんなものがまかりとおっているの?」と思わざるを得ないものもある。
そうしたものに対して私は厳しく批判を行うけれど、だからといって、それに対する反論や、その教材に価値があると考える人からの主張を排除するわけではない。
先にも述べたように、完璧な教材なんてないのだから、その教材をどのように受け止めるかは、オープンかつ多様に議論されたほうがよい。だいたい、子どもによる受け止め方自体が多様なものなんだから。

なんでこんなに教材批判を目にしなくなったのだろう。
いや、私がカバーできていないだけで、今もどこかではしっかり行われているのかな。「○○力」の育成とかで次から次へと「モデル」をつくってアピールしたり、最新のテクノロジーを活用した指導法の開発を喧伝したりもいいかもしれないけれど、今まさに使われている教材を批判的に検討すること、教材に疑問を投げかけるということを教師(教育関係者)自身が実践することって、よほど大事なことだと思うんだけどな(別に比べられるものではないけれど)。

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